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三世代で奈良・京都・・・④平等院から錦市場

  ハイシーズンの旅館は、おひとり様はお呼びではありません。この機会を逸したら、一生無理と焦って予約したのが、「花やしき浮舟園」です。この宿は、1929年に治安維持法の改悪に衆議院議員でただ一人で反対し、右翼団体員に暗殺された山本宣治が若主人だった宿で、いまも子孫の方が経営されています。宣治という名前は、熱心なクリスチャンのご両親が宣教師から一字を取ったそうです。先年、別所温泉を訪ねたときに、山本宣治の記念碑に込められた信濃の方々の熱い気持ちを知り、かなうことなら、ゆかりの宿に泊まってみたいと思っていました。館内には山本宣治資料館がありますが、残念ながら公開されていませんでした。

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 夕食は、京風懐石で、このあと蛤の土瓶蒸しをはじめ、いただききれないほど美味しいものを賞味しましたが、伏見の「かぐや姫」というお酒に浮かれて、写真はそっちのけになってしまいました。

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 半露天風呂付jの和洋室は2部屋だけなので、予約がとれて幸運でした。↑の3枚の写真は旅館のHP所載のものです。ツインのお部屋を独占し、娘が淹れてくれたお茶をいただきながら、宇治川や塔の島の春景色を楽しみました。

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 7月1日から始まる鵜飼の舟は、宿の直近から出航します。タクシーの運転手さんは、長良川より歴史が古いと誇っていらっしゃいましたが、宇治川の鵜飼は『蜻蛉日記』に出てくるので平安時代までは遡れるのに対して、長良川の鵜飼は「正倉院文書」の大宝年間の戸籍で美濃国に鵜飼を生業とする集団がいたことが判明していますから、どうも分が悪そうです。

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 浮舟園の桜です。孫娘S子のリクエストで、徒歩5分の平等院を拝観に向かいます。

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 いつも表門から入っていたので、南門は初めてです。

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 養林庵書院は桃山城の遺構と伝えられ、床の間には「雪景山水図」、襖には「籬に梅図」、天袋は「花卉図」が描かれ、作風から狩野山雪作と伝えていますが、山雪の工房作かもしれません。残念ながら非公開です。最近では2012年に山口晃氏の襖絵が奉納されたのを記念して特別公開されたのが最後のようです。5年前の京博の「狩野山楽・山雪」展にも出品されていませんでした。 庭園は細川忠興の作庭で、十字架の形をした織部燈篭があるそうですが、特別公開のときでも撮影禁止で、まさに幻の庭園です。

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 平等院は1052年に関白藤原頼道の開創以来、天台宗の三井寺が住持を務め、藤原一門が管理していましたが、藤原一門の衰退とともに荒廃の時代に入ります。 1231年に平等院を訪れた藤原定家は『明月記』の中で、その荒廃ぶりを嘆いていますが、こうした苦難の時代に浄土宗が勢力を得て、栄久上人が平等院修復に乗り出したと言われています。その後、平等院の管理をめぐって、天台宗と浄土宗が勢力争いを続けますが、江戸時代に入って、1681年に寺社奉行の裁定で、「平等院の名称は一山の総称」とされ、現在も、浄土宗の浄土院と天台宗系の最勝院の2塔頭による共同管理となっています。大聖堂をカトリックの神父さんとプロテスタントの牧師さんが交替で管理するような感じですが、なんとも日本的な折り合いの付け方です。 明治維新までは10院弱の塔頭がありましたが、浄土院と最勝院以外は廃寺となり、浄土院に隣接する養林庵書院も浄土院に統合されました。

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 浄土院境内の木瓜(ボケ)の花。

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 浄土院境内の羅漢堂です。

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 天台宗と浄土宗の共同管理も驚きでしたが、江戸時代に建立された浄土院境内の羅漢堂は禅宗様式です。孫娘たちは枝垂れ桜を熱心に撮影中。

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  鎌倉時代の石塔。

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 観音堂の藤棚はまだまだ咲きません。

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 阿字池から鳳凰堂に向かう橋まで出てきました。白壁に囲まれた最勝院は前回拝観したので、割愛しました。

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 有名な鳳凰堂全景。あまり仏閣に興味のないR子は「5分でいい」と言っていたのに、10円玉とのコラボ写真を一生懸命撮っていました。桜の時期に来たのは初めてなので、たくさん写してしまいました。

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 金色の鳳凰はレプリカ。鳳翔館で実物を拝見しました。梵鐘や飛天など、貴重なお宝は宝物館で展示されています。地に利を得て、朝早く入場できましたので、まだ観光客もまばらで、良い時を過ごせましたが、南門から出入りしたので、孫たちに表門付近の美しい景色を見てもらえなかったのは心残りです。これからの人生でまた訪れる機会はあるでしょうから、私が気をもむことではありませんが。

 宿に戻って、送迎バスでJRの宇治駅に向かいました。次はR子のリクエストの伏見稲荷です。昨年の4月、若冲が原案を作った五百羅漢を拝観しようと稲荷駅を利用したときは、あまりの混雑に驚きました。今回は午前中だったので、それほどではありませんが、9時を過ぎるとコインロッカー難民になるという情報もあり、体力温存を兼ねて、駅のベンチで全員の荷物の監視役を務めました。外国人観光客の人気度4年連続第一位だそうで、奇妙な和服姿の外国人がたくさんおられます。せっかくですから、娘が撮ってきた写真を数枚。

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 約1時間、スマホで佐川氏の国会証人喚問などを見ていると、3人が戻ってきました。京都駅構内も午前9時を過ぎるとコインロッカー難民があふれるそうですが、攻略サイトで超穴場を見つけていました。奈良線の10番線中央のコインロッカーは、地下鉄乗り場も新幹線乗り場も最短です。身軽になって地下鉄烏丸線でやはりリクエストのあった錦市場に向かいます。

 地下鉄の四条駅は地下道で阪急烏丸駅とつながっています。16番出口から地上に出ると、娘が予約してくれた「花咲」はすぐ見つかりました。間口が狭く、長い路地で奥につながる典型的な京町屋です。

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 坪庭のある個室でいただいた京料理は、目に麗しく、お味も趣向も格別です。

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 珍しい京漬物のお寿司。

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 お店を出ると、錦市場は1分です。

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 錦市場の青物問屋の主人だった伊藤若冲の絵が垂れ幕になっている市場は海外からのお客様であふれ、イタリア語も聞こえてきました。ここでしか買えないものを入手して、意気揚々と京都駅まで戻り、楽しい旅も終わりに近づきました。

 最後に錦市場商店街のHPから若冲の記事を引用させていただきます。

伊藤若冲(1716-1800)は、個性的な絵師が多く登場した江戸時代後半の京都にあって、ひときわ輝く強い個性で作品を生み出し続けた絵師である。はじめは、狩野派や中国絵画を学習して絵画制作の基礎を築くが、すぐにそこから離れて独自の表現を求めるようになる。(中略)

伊藤若冲が京都錦の青物問屋の生まれという事実はひろく知られている。若冲が描く絵画のなかには蕪、大根、レンコン、茄子、カボチャなどが描かれ、菜蟲譜という巻物には、野菜だけではなく柘榴や蜜柑、桃といった果物までが描かれている。 極め付けは、野菜涅槃図で、釈迦の入滅の様子を描いた涅槃図になぞらえて、中央に大根が横たわり、その周囲には、大根の死を嘆くさまざまな野菜や果物たちが描かれている。

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このようなユニークな作品は、若冲が青物問屋を生家とすることに由来しているといわれる。若冲は、次弟に家督を譲って、錦で絵画三昧の生活を送っていたとされていた。
しかし、近年、あらたな史料が発見されたことにより、錦市場における若冲のイメージが一変した。その史料とは、「京都錦小路青物市場記録」というもので、明和8年(1771)から安永3年(1774)までの錦市場の動向を伝える史料である。これによると、若冲は、錦市場の営業認可をめぐって、じつに細やかに、かつ、積極的に調整活動をおこなっている。その結果、錦市場は窮状を脱することになるのだが、若冲のこのような実務的な側面は、これまでまったく知られていなかった。若冲は、文字通り青物問屋の主人として錦市場に生きていたのである。

 錦市場には若冲生家跡も残っているそうですが、市場内の狭い道はなかなか進めません。時間の制約もあって断念しましたが、まだ京都に行く機会がありそうですから、再訪を期したいと思います。

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 京都国立博物館所蔵「野菜涅槃図(果蔬涅槃図)」

 






































































三世代で奈良・京都・・・③宇治(宇治上神社・興聖寺)

  JR奈良線で20分あまり。まず旅館に荷物を預けて散策しようと思っていたのですが、営業に練達したタクシーの運転手さんにつられて、荷物を車のトランクに入れて観光することになりました。独りなら絶対にやりませんが、結果的に良い選択だったと思っています。宇治も何度も来ていますが、行く機会に恵まれなかった興聖寺は外せません。タクシーは宇治橋を渡って、最初に宇治上神社で下車。運転手さんは、宇治では唯一の観光ガイドの資格を持っていると自慢されるだけあって、なかなか博識です。

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 宇治川右岸にある仏徳山の西側の山裾に世界文化遺産の宇治上神社が建っています。宇治は古くは菟道と書き、『山城国風土記』逸文に出てくる菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)の名が語源とされています。運転手さんは、『古事記』の記述どおり、応神天皇の皇子の菟道稚郎子と大雀命が皇位を譲り合って、菟道稚郎子は宇治川に身を投げたので、大雀命が仁徳天皇として即位したと語っておられましたが、本当はそんな美談ではないと思います。古墳時代は、多数の渡来人が日本に来て新技術をもたらし、灌漑設備など大規模な開発によって農業生産力が増大した時代でした。それを背景にして力を蓄えた地方豪族と婚姻関係を結んで権力を確立しようとした大和朝廷をめぐる山背(のちの山城)の勢力と河内の勢力の争いが菟道稚郎子の死につながると考えたほうが腑に落ちます。

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 非常に簡素な佇まいです。鎌倉時代前期に造られた、数ある神社建築の中でも現存する最古の拝殿で、建築様式は平安時代の貴族住居の様式である寝殿造になっています。

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 本殿は奥にあります。

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 本殿(国宝)は、覆屋に内殿三社が並立して収まる構造で、1060年に建築された現存する日本最古の神社建築です。本殿の中殿に応神天皇、左殿に菟道稚郎子、右殿に仁徳天皇が祭神として祭られています。
 
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 タクシーで門まで来たので、鳥居は振り返って拝見。

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 運転手さんが、ロケ地として有名だと言われて車を停めた朝霧橋。

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 左岸の奥に今夜の宿が見えます。

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 朝霧橋の畔の匂宮と浮舟の像。

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 ほとんど花は散っていますが、「ヒカルゲンジ」という椿です。

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 桜はソメイヨシノだけではありません。

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  朝日焼のお店です。

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 孫娘R子が待ちかねた抹茶スイーツ。抹茶わらび餅にご機嫌でした。私は盛沢山の抹茶アイスパフェ。二食付きの宿泊費は私が負担し、交通費は各自、その他(昼食・拝観料・タクシー代等)は娘が負担。遠慮なくご馳走になりました。

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 最後に興聖寺に駆け込みました。4時までという情報がありましたが、5時までだったようです。ハイシーズンなのに、独占状態です。曹洞宗のお寺らしく凛とした雰囲気でした。道元禅師が宋から帰朝されたのち、天福元年(1233)京都深草に日本初の純粋な禅道場として七堂伽藍を建立し、観音導利院興聖宝林禅寺と呼んだのが興聖寺の始まりです。道元禅師が越前に行かれたのち、興聖寺は応仁の乱などの兵火に遭って衰えますが、江戸時代に入って、寛永10年(1633)に淀城主として入国した永井信濃守尚政が、興聖寺の廃絶を惜しみ、両親の菩提のため慶安元年(1648)伏見城の遺構を用いて本堂、開山堂、僧堂、庫院、鐘楼、山門などの諸堂を建立整備し、いまに至っています。

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 琴坂は紅葉のころは非常に賑わうそうですが、誰もいません。谷川のせせらぎが琴のように聞こえるため、この名があります。

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 白の漆喰が眩い楼台にアーチ形の門は、明朝様式の竜宮門で、楼上には釈迦三尊と十六羅漢が安置されています。。足を踏み入れると薬医門と本堂が目の前に見え、本堂、書院、方丈等の堂宇が一巡できるように回廊で繋がれているのがわかります。

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 釣鐘は林羅山が自ら選び、自ら書いた銘が刻まれています。

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 医薬門の左側に拝観受付があります。拝観料を自販機でお払いするのは、永平寺でも経験しました。


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 庭園の五重塔の相輪は、塔の島の十三重石塔の上に載っていたものです。

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 法堂の鴬張りの前縁の天井は、いわゆる血天井で、手形や足跡がわかるように白線で囲んでありました。関ヶ原の合戦に先立つ伏見城の戦いで、徳川家康の家臣鳥居元忠たちが守っていた伏見城は、石田三成の軍勢に攻められ、落城します。そのとき自刃した鳥居元忠たちの血痕の残る床板を供養のために現在の京都市や八幡市などの寺院の天井に貼りますが、その一つが興聖寺の天井です。

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 法堂奥の知祠堂には、平安時代の歌人小野篁作だと言われる木造の聖観音菩薩立像(平安時代後期)が安置されています。『源氏物語』宇治十帖にも登場する「手習の杜」の観音堂に安置されていた金箔張りの「手習観音」は、通常は非公開だそうですが、運転手さんはスイッチを押して照明までつけてくださいました。
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 僧堂では座禅体験も可能です。
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 開山堂は「老梅庵」とも呼ばれ、道元禅師が竹椅子に座った等身大の木像が安置されています。
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 法堂から琴坂がよく見えます。

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 これまで訪ねる機会のなかった興聖寺を孫たちと一緒に拝観できて、とてもとても幸せでした。

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 宇治川をさかのぼって天ヶ瀬ダムの前の端から左岸に渡り、宿に着きました。







































































 

 

三世代で奈良・京都・・・②ならまち

 2018年3月26日(月)の朝食は「茶粥定食」をいただきました。

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ホテルから階段で「ならまち」に向かう道があります。

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  まず元興寺極楽坊へ。3年前に訪ねたときに詳しく記しましたので、重複を避けます。

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 極楽坊は内部も拝観できます。

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 極楽坊の隣は禅室です。

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 浮図田の桜が見事。

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 元興寺の境内北側にあるガマガエルのような石は、古くから有名な奇石で蛙石と呼ばれています。現在この蛙石は、以前にかかわった有縁無縁一切の霊を供養して極楽カエルへ成就しているそうです。

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 境内を一周したあと、収蔵庫を拝見して、元興寺をあとにしました。

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 民家に囲まれて塔跡があります。

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 御霊神社は、光仁天皇の井上皇后・他戸皇太子が奈良時代末の政争で敗れて非業の死を遂げたのち、勝者である桓武天皇が怨霊を鎮めるために建てたお社ですが、いまは縁結びの神として信仰されています。

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 元興寺の広大な境内に江戸時代に建てられた町屋が並んでいます。次の誤算は、ほとんどのお店は月曜定休だったことです。

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 お昼は「粟 ならまち店」でいただきました。築140年の町屋を改装したお店で、大和牛や奈良県産の食材を提供しています。

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 中庭を囲んで小さなお部屋が並んでいます。

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 これはお店のHPの写真です。珍しいお野菜をたくさんいただきました。

 ホテルに戻って荷物を受け取り、タクシーでJR奈良駅から宇治に向かいます。

三世代で奈良・京都・・・①依水園・春日大社

   孫娘S子は、4月からOLです。その前に4人で旅に行こうと娘から声がかかって、有頂天で宿を予約しました。2018年3月25日(日)から2泊3日です。独り旅では無理な宿も4人なら大丈夫。あまり迷っている時間はないので、かなり独断で奈良の老舗ホテルと宇治の老舗旅館に決めて、各自で行きたいところを考える楽しい作業の結果、旅程もバッチリ、のはずが・・・。

 西に向かうときは、ジパング倶楽部の割引が使える10時10分品川発の「ひかり」が定番です。新幹線の特急券は4人分買って、3人分は娘宅に送ってあったのですが、最寄りの駅に着くと、人身事故で中央線は遅延のテロップ。娘たちは中央線利用で、品川で合流ですから、少し気をもみましたが、列車が来て、3人の顔が見えたときはほっとしました。せっかく乗った電車が新宿で運転打ち切りになって、かなりギリギリだったようです。

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 三島に近づいたころ、富士山の麗容を観ることができました。何度も往復していますが、めったにお目にかかれません。

 京都でJR奈良線に乗り換え、奈良駅からはタクシーでホテルに直行、荷物を預けて、最初に向かったのは、東大寺でも興福寺でもなく、穴場の依水園です。依水園は、江戸時代前期の日本庭園として作られ、周りから隔絶された空間である「前園」と、明治時代に築かれ、周りの景観も取り入れた「後園」から構成されています。

  前庭は武士の裃などに用いられた奈良晒の御用商人であった清須美道清が移築した三秀亭がシンボルのような建物です。

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 前庭の枝垂れ桜

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  挺秀軒の露地を通り、細い石畳みを抜けると、パッと視界が広がって、広い後園が現れます。

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 満開の淡墨桜を撮影する孫娘たち

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 木瓜(ボケ)もほぼ満開。.

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 バス停に向かいます。次の目標は春日大社ですが、ここで誤算。大渋滞で直近まで行くバスが来ません。鹿を怖がる孫娘Rをなだめて、参道を歩きました。奈良には小学生のころから何度も来ていますが、春日大社だけはなぜかご縁がありませんでした。息を切らして坂道を登り、なんとかたどり着きました。

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 1300年前に鹿島のタケミカヅチの神が降り立ったのが始まりの春日大社
は鹿だらけ。修学旅行で怖い思いをした孫娘R子は逃げまどっていました。

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中門・御廊

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 回廊をめぐるには、500円の初穂料を納めて、特別参拝の手続きが必要です。

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中門の近くに五代将軍徳川綱吉の生母である桂昌院が奉納した燈篭があります。徳川家の「葵紋」と実家である本庄家の「九目結紋」が施されていますが、判然としません。

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 ぐるっと回って、中門前に戻ってきました。特別参拝を希望する人は少なくて、春休みの日曜日にしては静かな佇まいです。

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 もう歩きたくないので、春日大社前のバス停に向かいます。

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 帰りのバスも渋滞に巻き込まれ、予定していた奈良国立博物館の特別展「珠玉の仏たち」は、時間切れ。この日が最終日で残念でしたが、4人で歩いて楽しかったから、まあ、いいか。県庁前でバスを降りて、氷室神社の桜を見ながら、ホテルに向かいました。

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 荒池の畔にホテルが建っています。興福寺の五重塔が夕暮れの空に端正な姿を現していました。

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 前回、奈良に来たときに歩いた旧大乗院庭園が眼下に見えます。

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 毎度おなじみのビジネスホテルとは比べようもなく・・・。たまには贅沢もいいものです。

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 ユニットバスじゃないし。

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 夕食はメインダイニングの「三笠」でいただきました。

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 ロビー上の、二階吹き抜け部分です。.2部屋続きのコネクションルームで快適な夜を過ごしました。今日の歩数は13515歩です。

 奈良公園の散策の際、カメラを入れたまま荷物を預けてしまったため、依水園・春日大社の写真は娘が撮ったものです。

 

プールでのお付き合い

 関節の手術を受けて8年たちました。理学療法士のお勧めでプールでの水中歩行を続けています。昨年の4月から新しいプールができて、いい点と悪い点が交錯していましたが、最大の問題だった滑る床は、年末年始の2週間の休館の間に手直しされて、やれやれです。

 週に2回から3回、1時間かけて歩いたり、泳いだり、水中ストレッチをしたり。ありがたいことに、旅に出ても、ほぼ問題なく歩けています。顔なじみの方も増えて、お話をしながら歩いていると、時間のたつのを忘れてしまいます。ところが、ここへきて、また問題が・・・。

 特定の曜日の午後、知的障碍者の施設の方が何人か来られて、歩いたり、泳いだりしていらっしゃいます。同じ時間帯に行きますので、数か月たつうちに、挨拶をかわし、世間話をするようになったのですが、今年になって、その中のお一人に「遊びに行きたいから住所を教えて」と言われて困惑してしまいました。お仲間と二人で来るおつもりのようでしたが、それは無理です。即答は避けて、申し訳ないのですが、今週から顔を合わせない時間帯に変えました。プールまで行く交通機関の制約もあるし、これまでの時間帯で生活のリズムができていたので、変更は残念ですが、一人暮らしですから、ご近所の業者さん以外は、お入りいただくわけにはいきません。他のプール利用者の方は、なんとなく避けていらっしゃって、それはお気の毒、差別しないで接しようと思うなら、きちんとした覚悟が必要だったと反省しています。

 もう一つは、スピーカーから大音声で流れてくる音楽です。先日は郷ひろみさんの歌が繰り返し流れていました。ドラムやシンバルが激しくなっている日もあります。泳いでいれば聞こえないのですが、歩いていると、もはや拷問。通販で耳栓を買ったら、かなり音量が減ったので、なんとかしのいでいます。

高齢者の5タイプ(丸写し)

 

 以下は「KAIGO LAB編集部」が高齢者の性格を5タイプに分けて解説された文章の丸写しです。単純に分けられるものではなくて、複合型もあるそうですが、「転載を禁ず」とは書いてなかったので、自分自身を省みるために挙げてみました。

1. 適応型;円熟型

自らの老いを自覚しながらも、それによって活動意欲を低下させることがないタイプ。過去の自分を後悔することなく受け入れ、未来に対しても現実的な展望を持っている。老いによってできなくなることも、それはそれとして、新しい現実の中で満足を得られるタイプ。周囲が無理にアレンジしなくても、自分で自分の人生を進めようとするので、性格的な部分で、周囲が対応する負担が少ない。スマホのような新しい技術も、面白がって使えるようになる。

2. 適応型;安楽椅子型(依存型)

受身的に、消極的に老いを受け入れるタイプ。後は皆にまかせて、自分はのんびりという具合に、他人に依存しながら「気楽な隠居」であることを求める。積極的に新しいことには取り組まないが、誘われれば、新しい環境への適応もできる。性格的な背景から、生活不活性病にならないように、活動的な物事への取り組みをうながす必要がある。スマホのような新しい技術も、それが自分を楽にさせる便利なものであることが理解できれば、使いこなせる。

3. 適応型;装甲型(自己防衛型)

老いへの不安と恐怖から、トレーニングなどを積極的に行い、強い防衛的態度をとるタイプ。なんとか若い時の生活水準を守ろうとする。スマホのような新しい技術も、使いこなせないと恥ずかしいという心理から、受け入れようとする。責任感が強く、様々な活動を続けようとする。結果として無理をおし進めるリスクもあり、怪我などをしてしまうことも。性格的な背景から、本人の「まだまだ、現役だ」という自尊心を傷つけることなく、無理はしすぎないように注意する必要がある。

4. 不適応型;自責型(内罰型)

過去の人生全体を失敗とみなし、その原因が自分にあると考え、愚痴と後悔を繰り返すタイプ。典型的には、仕事に一生懸命だった反面、家族をかえりみず、現在は家族から相手にされない状況にあることを嘆くような高齢者。うつ病になりやすい。新しい技術にも適応しようとしない。いつまでも過去にとらわれることなく、反省すべきは反省しつつも、なんとか新しい関係性などを築いていく必要がある。

5. 不適応型;攻撃憤慨型(外罰型)

自分の過去のみならず、老化そのものも受け入れることができないタイプ。過去を失敗とみなし、その原因を自分ではなく、環境や他者のせいとして責任転嫁する。不平や不満が多く、周囲に対しても攻撃的にあたり散らすため、トラブルを起こす。高齢者として他者から親切をされても、それをポジティブに受け入れられない。周囲としては、どこまで献身的に対応しても感謝されることもないため、サポートすること自体が困難。

 周りを見回すと、この5タイプのいずれかに当てはまる人に思い当ります。できれば円熟型でありたいと願っていますが、さてどうなりますか。とりあえず、今年も掃除・買い物・調理で暮れそうです。

師走の吉備路・・・⑤旧閑谷学校

 最終日、ホテルに荷物を預けて8:09発の山陽本線・相生行きに乗車。今日も登校する高校生で満員でしたが、途中駅でどんどん下車してまもなくガラガラ状態になりました。40分で吉永駅です。隣の和気駅付近で、和気清麻呂の大きな像が田園の中にすっくと立っておられました。

 吉備路に行こうと思い立ったのは、10月ごろに「美の巨人たち」というテレビ番組で閑谷学校が取り上げられているのを見たのが始まりです。何度も申しておりますように、私の旅は認知症予防ですから、少しでも興味がわけば、ほいほいと行ってしまう節操のない有様です。

 無人駅の駅前にポツンとバス停があります。近寄ると、9名の定員を超えた場合は、次のバスか、タクシーを利用してくださいと書いたピンクの紙が貼ってあります。次と言っても、1時間後なんですけど・・・。

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 事情はバスに乗ってみてわかりました。車体は10人乗りのハイエースで、乗り心地は抜群。各地のシティバスに乗っていますが、こういう車は初めてです。幸いにも乗客は2名。8分で駐車場に着き、3分ほど歩きます。運転手さんのお話では、テレビで放映されたあと、人々が押し寄せて、列車が着くと、4,50人の列ができたそうです。やはり紅葉の時期を避けて正解でした。

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 旧閑谷学校は、江戸時代前期の寛文10年(1670)に岡山藩主池田光政によって創設された、現存する世界最古の庶民のための公立学校です。藩主の意を受けた家臣の津田永忠は、約30年をかけて現在とほぼ同じ外観を持つ学校を完成させました。旧閑谷学校の講堂は国宝に指定されています。

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 校門の屋根は備前焼の本瓦焼きです。

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 こちらは公門です。

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 聖廟は、儒学の祖である孔子を称える最も重要な施設で、中央のいちばん高いところに配されています。聖廟の前の2本の楷の木は中国山東省曲阜の孔林から持ち帰った種から育てた「学問の木」です。HPに載っていた見事な紅葉はみんな散り果てていました。

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 旧閑谷学校を代表する国宝の講堂。創建当時は茅葺でしたが、いまは備前焼瓦に葺き替えられています。

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 内部は10本の欅の丸柱で支えた内室と、その外側を囲む入側とで構成されています。

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 講堂に隣接している小斎は、藩主が来られたときに使用する御成の間です。屋根はこけら葺きで、現存する建物のなかでは最も古い姿を残しています。


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 小斎の向かいの公門です。藩主臨学の際に使用した門で御成門とも呼ばれます。       
本柱の後ろに控柱二本を建てて切妻屋根を乗せる薬医門様式の建物で、石塀が築かれた元禄14年(1701)の時点で設置されました。

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 習芸斎は教室として使われ、農民たちもここで学びました。

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 飲室は、教師と生徒たちが湯茶を飲んだ休憩室です。

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 飲室門は、通学生や毎月朔日の朱文公学規講釈に出席する聴講者が出入りする通用門でした。

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 火除山は、西側にある校舎や寄宿舎から出火しても、火が講堂などに及ばないようにするために造られた人工の山です。

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 明治38年に学房跡に私立中学が建てられました。本館部分が資料館となって、旧閑谷学校の資料が展示されています。石油ストーブの匂いがする懐かしい建物でした。

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 学校全体を765mに及ぶ石塀が取り囲んでいます。300年を経ても、その姿は変わりません。市民バスが来るまで、少し時間があるので、閑谷川に沿って、少し足を延ばしました。

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 旧閑谷学校を完成させた津田永忠宅跡です。

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 さらに2分ほど川沿いの道を進むと、黄葉亭が建っています。文化10年(1813)に来客の接待や教職員・生徒の憩いの場として建てられたお茶室です。頼山陽も訪れたそうです。

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 10時34分の市民バスで吉永駅まで戻りました。朝、一緒に乗った男性とまた出会いました。西宮から来られたそうです。乗員・乗客合わせて3名。来たときと同じ顔触れです。

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 市民バスの運転手さんが教えてくださった備前市のもう一つの観光スポットは八塔寺で、吉永駅には旧閑谷学校と並んで八塔寺のパネルが立っていました。弓削道鏡が開いた八塔寺をはじめ、72のお寺がある、高野山と並ぶ宗教都市だったと聞くと、行ってみたくなりました、いまは13戸の茅葺屋根の民家と2寺院だけが残っているそうです。運転手さんは、「黒い雨」や「八つ墓村」など映画やテレビドラマのロケ地になったとご自慢でした。

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 すべての乗り物が定刻どおりで、快晴続きという運のいい旅の終わりは富士山で締めくくりました。来年も独り旅ができますように。

師走の吉備路・・・④倉敷

 倉敷駅から中央通りを数分歩くと、大橋家住宅→という表示があります。わかりやすいです。倉敷は50年以上前に来たことがありますが、まったくさま変わりしています。

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 ちょうどお昼どき、ランチはここと決めていた「鬼の厨 しんすけ」でいただきました。大橋家の門長屋の一部がお店になっています。評価が極端に分かれていて、恐る恐る入りましたが、とてもおいしくいただきました。接客も決して悪くありません。何しろ、隣が行きたかった大橋家住宅ですし。

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 松花堂弁当をいただきました。

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 倉敷では大原家と並ぶ豪商の大橋家は、江戸時代に倉敷に住むようになり、水田・塩田の開発と金融業で大きな財をなしました。実は我が家のお隣の奥様が倉敷の大橋家の出で、叔母様は日本女子大の学長をされていたと伺ったことがあります。奥様は数年前に亡くなられましたが、懐かしくて、受付の方に訪ねましたら、分家筋だとおっしゃいました。

http://www7b.biglobe.ne.jp/~chinke/ohashike.html

 街道に面して長屋を建て、その内側に前庭を隔てて主屋を構えています。

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 前庭から長屋門を振り返ってみました。


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 前庭の奥に主屋があります。

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 なまこ壁の米蔵。

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 おざしき(下の間と上の間)を外から。

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 私の生家にもこれと全く同じシンガーミシンがありました。

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旧東大橋家住宅を倉敷市が改修して「倉敷物語館」として公開しています。南側の長屋門・塀、西側の路地がひときわ美しく、当時の景観が保たれています。建築年代は、江戸期とされ、長屋門、土蔵などが当時の風情を現代に伝えています。

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 このあたりから倉敷美観地区というちょっと気恥ずかしい名前の場所に入ります。

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やはり最後はここです。最後の力を振り絞って、本館、分館、工芸・東洋館を回りました。

 各館から1点すつ。

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 左側の大原家別邸(有隣荘)は春と秋の特別公開以外は入れません。

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 旧大原家住宅.。2018年3月末から内部も公開されるそうです。

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 帰りは商店街を通って駅まで戻りましたが、閉店セールをやっている店もちらほら。活気あふれる街にはなかなか出会えません。倉敷と岡山がこんなに近いなんて、知りませんでした。夕食は、駅ビルの洋風総菜屋さんで調達し、ワインの小瓶を買って、お部屋食です。

師走の吉備路・・・③総社

 今回、滅多にしないことをやりました。岡山県立美術館からバスで岡山駅に着いたとき、みどりの窓口で「駅から観タクン」の総社発「吉備路歴史満喫コース」のチケットを5500円で買っておいたのです。公共交通利用にこだわって旅をしていますが、総社市は路線バスもコミュニティバスも廃止されてしまって、どう考えてもタクシーを利用しないと行きたいところに行けそうにありません。

 コースは、総社駅→井山宝福寺→鬼ノ城→備中国分寺→造山古墳(車窓から)→総社駅で、2時間です。

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  ベテランの運転手さんの案内で最初に着いた宝福寺は、臨済宗東福寺派の寺院で、本山の京都東福寺と結びつきが強く、地方の中でも有力な禅宗寺院です。古くは天台宗の寺院でしたが、鎌倉時代の中ごろに県内ではいち早く臨済宗に改宗しました。盛時には塔頭・学院五十五、山外の末寺三百余を数えたと伝えられています。また、雪舟が修行した寺として有名です。

 建造物では三重塔が最も古く、解体修理の際、永和2年(1376)の墨書銘が発見されています。その他の建物は戦国時代の戦火で焼失したと考えられますが、歴代の住職の努力で復興され、禅宗様式の広がりをもつ重厚な構造となっています。

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 山門は、明治時代後半に建立されました。六本柱の楼門で十段の石段の上に、東に面して建っています。屋根は入母屋造りの桟瓦葺で、上層は正面3間、側面2間とし、周囲に高欄付きの縁を廻らしています。

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 江戸時代後期に建立された禅宗様式の意匠が典型的に示された、方三間一重裳階付き仏殿です。寺域の中心に位置し、東に面して建っています。

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  江戸時代中期に建立された方丈です。絵に熱中しすぎた幼い雪舟が柱に縛られて、涙でネズミ描いたという伝説がありますが、当時の建物は火災で焼けてしまいました。

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 どうも最近できた像のようです。

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 白壁が美しい鐘楼につるされた梵鐘は、銘によると、応仁2年(1468)に、霊仙寺のために鋳造されたものですが、なぜ宝福寺に移ったかは明らかではありません。霊仙寺は備前国熊山霊仙寺ではないかと思いますが、いまは廃寺になっています。

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 室町時代中期の三重塔は、方三間の本瓦葺で、総高18.4メートルの和様を基本とした建築です。静かな境内の小高い場所に美しく佇んでいました。

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 観光タクシーは便利ですが、自力で苦労して行くのとは違って、距離感がわかりません。対向車が来ると、バックするしかない山道をかなり走って、「鬼ノ城」のビジターセンター前の駐車場に着きました。30分で戻らなければならないので、ほんの一端を見学しただけですが、この種の遺跡を訪ねるのは初めての経験です。

 今年の漢字は「北」だとか。国難という言葉が声高に語られていますが、ありったけの叡智で平和を守り抜いてほしいと強く願っています。日本の歴史を振り返ると、最初に対外的な危機意識を持ったのは663年の白村江の戦いではないでしょうか。朝鮮半島で、倭・百済の連合軍が唐・新羅の連合軍に敗れて、日本に攻め込んでくるのではないかと恐れた天智天皇の政権は、対抗策として、水城の建設や通信手段としての烽火などのほか、九州地方や瀬戸内地方を中心に西日本各地に山城を築かせました。「鬼ノ城」もその一つで、朝鮮式山城と分類される古代山城ではないかと考えられていますが、『日本書紀』など文献資料には全く出てきませんので、発掘調査の進んだいまも謎に包まれています。

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いただいたパンフレットによると、西門コースが、約1.5km、30分、一周コースは、4~4.5km、1時間半~2時間です。

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  西門までは遊歩道が整備されていて、車いすでも行けるようになっていました。

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 遥かに見える復元された角楼まで歩きました。

 

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 高石垣の遺構です。

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 城門は四カ所に構築されています。西門と南門が堅固でした。

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 復元された西門。

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 ビジターセンターに戻って、西門の復元模型などを見ていたら、もうお約束の時間です。

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 坂道を下って、タクシーは、備中国分寺跡に着きました。広い遺構の中に五重塔が建っている風景は嫌いな言葉の「インスタ映え」します。

 備中国分寺は、聖武天皇が天平13年(741)に仏教の力を借りて天災や飢饉から人々と国家を守ることを目的に建てられた官寺の一つです。その当時の境内は、東西160m、南北178mと推定されますが、江戸時代に再興された現在の備中国分寺があるため、 南門・中門以外の建物の位置は明らかではありません。しかし、創建当時の礎石が多く残されているので、わずかに当時が偲ばれます。

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 高さ34.32mの五重塔は、弘化元年(1844)に完成します。江戸時代後期の様式を残す塔としては代表的な建物です。

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 礎石は、仏像や石碑の台座として再活用されています。

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 ここは井戸跡です。

 最後に日本の古墳では第4位の規模を持つ造山古墳を車窓から見学しました。1位が伝仁徳陵、2位が伝応神陵、3位が伝履中陵で、すべて古市・百舌鳥古墳群に含まれますから、それに次ぐ大きな古墳の存在は、古代吉備の勢力がいかに強大であったかを示しています。

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 造山古墳は5世紀前半の前方後円墳で、全長約360m、後円部径約224m、高さ約27~32.5mです。昨日、訪ねた県立博物館で出土品のいくつかを見て、予備知識はありましたが、運転手さんのご厚意で周囲を一周していただいて、圧倒されました。

 1位から3位までの巨大古墳は、考古学的な年代観と文献上の系譜が合いません。たとえば履中天皇は仁徳天皇の皇子だとされていますが、考古学的には伝履中陵のほうが伝仁徳陵よりも古いという矛盾があります。

 総社駅まで送っていただいて、伯備線で倉敷に向かいました。

 

師走の吉備路・・・②吉備津神社

 2日目も晴天に恵まれました。8時10分発の総社行で15分、無人駅の吉備津に着きました。桃太郎線というローカル線には高校生がたくさん乗っていましたが、ほとんどが次の駅で降りてしまいました。線路沿いの道を300mほど行くと、この景色に出会います。ここで右折すると松並木の吉備津神社の参道です。隣の駅の近くに吉備津彦神社があって、祭神も同じなので紛らわしいのですが、文化財としての価値の高さから吉備津神社に絞りました。

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境内図

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 吉備中山の北西に位置する吉備津神社の参道の両側に県下最大の松並木が生育しています。

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 ここから吉備津神社の境内に入ります。

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  北随身門は、室町中期に再建されました。

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 吉備津神社は岡山市にある、大吉備津彦大神を主祭神とする山陽道屈指の大社です。 豪壮で優美な「吉備津造り(比翼入母屋造)」の本殿・拝殿は国宝に指定されています。2度の火災で焼失しますが、現在の本殿・拝殿は今から約600年前の室町時代、将軍足利義満の時代に約25年の歳月をかけて応永32年(1425)に再建されました。それ以来、解体修理も行われず、雄大な姿を現代に伝えています。

 祭神の吉備津彦は、『日本書紀』によると崇神天皇が諸国平定のために派遣した四道将軍の一人となっています。北陸へ大彦命、東海へ武渟川別、西海へ吉備津彦、丹波へ丹波道主命を派遣したという記述を史実とするのは無理で、吉備津彦は、その名からしても吉備の代表的王者の可能性が濃厚です。

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 拝殿の右側から天正7年(1679)に再建された全長360mの廻廊が地形に沿って続いています。

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 石段を登っていくと「えびす宮」だと思うのですが、記憶がさだかではありません。

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 廻廊の中ほど右側の御竈殿は、吉備津彦に退治された「温羅」を祀っていると伝えられ、釜の鳴る音で吉凶を占う鳴釜の神事は、上田秋成の『雨月物語』でも紹介されています。「温羅」は、鬼だとも百済の王子で鉄をもたらしたとも言われていますが、桃太郎伝説ともつながる人物です。

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 廻廊を引き返し、急な石段を下り、北随身門を出て、お参りは終わりです。

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 この鳥居は、昭和10年にいまの天皇が誕生されたのを記念して建てられました。

 参道を歩いていると、左に行くと栄西禅師生誕の地だという表示がありました。帰ってから調べてみると、日本における臨済宗の開祖の栄西は吉備津神社の神官の子だったそうです。来年は京都の建仁寺にも行ってみたいと思います。

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