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栃木の旅・・・③大雄寺

 雲巌寺までのバスの運転手さんに、帰りに1時間ほどで見られるお勧めの場所はないかと尋ねて、教えていただいたのが雲巌寺からバスで22分の大雄寺です。大雄寺入口のバス停から、私の足でも5分もかからず山門の前に着きました。読みは「だいおうじ」ですから、車内のアナウンスをぼんやり聞いていて、危うく下り損ねるところでした。このお寺のことは念頭にありませんでしたが、とてもいい雰囲気です。

http://www.daiouji.or.jp/daiouji_flower.html

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 大雄寺は、応永11年(1404)余瀬白旗城内に創建された600年以上の歴史を持つ曹洞宗の禅寺です。応永33年(1426)に戦乱により焼失し、文安5年(1448)黒羽藩主第 10代大関忠増により再建されました。その後、大田原藩の大田原資清との争いで第13代大関増次は敗れ、大関家の後継第14代高増(大田原資清の子)が天正4年 (1576)に本拠黒羽城を余瀬白旗城から現在の地に移築しました。大雄寺もこの時期に移築し、大関家累代の菩提寺となっています。大関家は1万8000石の小大名ですが、室町時代から明治に至るまで存続した大名は、あまり多くありません。大雄寺の9棟の建築物(本堂、禅堂、庫裏、鐘楼、経蔵、総門、廻廊3棟)は、国の重要文化財の指定を受けています。御朱印を頂いただけですぐ帰ってしまった女性以外は誰にも会わず、静かな境内を独り占めです。

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 石柱門の奥は、またしても手すりのない石段です。でも、雲巌寺に比べると段差が優しく、雨でも滑る心配はありません。

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 参道で石仏が迎えてくださいます。

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 参道を登っていくと山門が見えてきました。

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 羅漢の丘。

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 ここから左に進むと黒羽藩主大関家累代墓所があります。

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 本堂の前の庭園を廻廊が取り巻いています。

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 総門です。

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 本堂の庇が深く、雨に濡れずに一周できる梅雨どきにはありがたいお寺です。

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 鐘楼も茅葺です。

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 総門付近に戻ってきました。ロマネスクの修道院の廻廊を思い出しましたが、木造ですので、優しい感じです。

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 廻廊に掲げられた大雄寺の沿革。枝垂れ桜や牡丹など花の時期には賑わうのでしょうが、花より静寂です。

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 石柱門前の道を行くと、大田原市が力を入れている芭蕉の里の観光スポットが並んでいます。芭蕉の道入口に「行春(ゆくはる)や 鳥啼(とりな)き魚(うお)の 目は泪(なみだ)」と刻んだ句碑が建っています。

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 黒羽城の黒門跡は芭蕉公園になっています。奥の句碑は「田や麦や中にも夏のほとヽぎす」。

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 木立の奥にちらりと見えるのが旧浄法寺邸です。元禄2年(1689)に江戸を発った松尾芭蕉は、門人の曽良とともに「奥の細道」行脚の途中黒羽の地を訪れ、旅程中最も長い14日間逗留し、知人や史跡を訪ねました。宿泊先は、江戸で芭蕉の門人となっていた黒羽藩城代家老浄法寺高勝(桃雪)邸とその弟鹿子畑豊明(翠桃)邸ですが、桃雪邸は、黒羽城の三の丸にありました。現在残っている旧浄法寺邸は、芭蕉が逗留した建物ではありません。

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 芭蕉の道の一部です。

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 黒羽藩校「作新館」の跡。

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 「芭蕉の里くろばね紫陽花まつり」が開催中でしたが、バスの発車時間が迫ってきましたので、ごう一部しか見ていません。

 那須塩原に向かう市営バスに乗ったころから雨脚が激しくなってきました。帰宅した日から西日本の豪雨の報に接し、瓦礫と化した大切な生活の拠点の映像を見て、言葉もありません。避難所といえば体育館に雑魚寝。我が国は、悲惨な目に遭っている方々に、こんな劣悪な環境しか用意できないほど貧しいのでしょうか。











栃木の旅・・・②雲巌寺

  東野交通のバスは、那須塩原駅の西口に着きます。送迎タクシーの倍以上時間がかかりましたが、この機会に行ってみたい名刹がありました。那須塩原駅東口に行くと、雲巌寺前行の大田原市営バスは、すでに待機。この旅を計画したころは、東野交通の雲巌寺線が運行していたのですが、4月1日から大田原市営バスに移りました。宿の方に伺うと、経営が苦しく、次々と廃線になっている、それでは通学生や高齢者が困るので、市営バスが肩代わりしているということでした。運転手さんは、うら若い女性、乗客は4名、運賃は200円です。ほぼ同じ走行距離の板室温泉ー那須塩原の運賃が1150円でしたから、安い! と驚いてしまいました。

 何を隠そう、数か月前まで、雲巌寺の存在は全く知りませんでした。JR東日本の大人の休日倶楽部のCMで、吉永小百合さんが、この地を紹介されているのを見て知ったのですが、あちこちと旅して、こういう場合は、ほとぼりが冷めるのを待つのが良策だと思っています。作戦成功。4人の乗客のうち1人は黒羽刑務所で下車し、終点の雲巌寺前で下車したのは、3人だけ。CMが流されていたころは、満杯になったという門前の広い駐車場は閑散としています。余談ですが、市営バスは黒羽刑務所の内に入ります。高い塀や何棟もある刑務官の宿舎、面会所など、初めて見ました。

 雲厳寺は、栃木県と茨城県の県境に近い、八溝山系に位置しています。臨済宗妙心寺派の名刹は、日本四大禅道場として名高く、筑前の聖福寺、越前の永平寺、紀州の興国寺と並んで、今なお厳しい禅の修行が行われている寺院です。境内の拝観は自由ですが、内部は公開されておりません。鎌倉時代に北条時政が創建したと伝えられていますが、何度か火災に遭っています。

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 CMは、「松尾芭蕉が『おくのほそ道』で最も長く滞在したという黒羽。彼がこの地に留まった理由には『雨が多かった』『東北の手前で心の準備をした』など諸説ありますが、真相は彼のみぞ知るところ。答えがないから知りたくなる。あなたも、先人の足跡を辿り、想いを巡らす旅へ』とささやきます。

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 門前は何もありません。入口の石柱門をくぐると、杉の老木が高々とそびえて、厳かな雰囲気です。

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 樹齢550年、樹高約39,6m、樹周は5.2mです。

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 小雨降るなか吉永小百合さんが立っていた瓜瓞橋を渡ります。 

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 雲厳寺の歴史的価値のある見どころとして、石段を登った正面に構える「山門」が挙げられます。天正18年(1590)の豊臣秀吉による小田原征伐にあたって、那須与一の子孫・烏山城の那須資晴が秀吉に従わなかったため、城攻めを受けました。そのさい、付近の人々が雲巌寺に逃げ込みます。北条氏を大檀那とするこの寺を豊臣方は要塞と判断し、火を放ちますが、この山門は焼け残ったそうです。

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 瓜瓞橋から見下ろすと、武茂川が森の中を流れ下っています。

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 手づくり感あふれる略図が掲げられていました。

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 山門から釈迦堂(仏殿)、獅子王殿が一直線に並んでいます。

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 仏殿は、風格があります。

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 黒羽は「芭蕉の里」を懸命にアピールしています。松尾芭蕉が江戸深川時代に禅の教えを受け、師であり尊敬する友人として慕っていた仏頂国師がかつて雲巌寺で修行していたことから、元禄2年(1689)4月に雲巌寺を訪れ、仏頂国師を偲んで句を残しています。

  啄木も庵は破らず夏木立

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 平和観音を祀る観音堂です。

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 仏殿の裏手の石段を更に登ると「獅子王殿」です。石畳を囲んで咲くギンパイソウの白い花に心が和みます。

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 クチナシが甘い香りを漂わせていました。

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 庫裏の前から仏殿(左)と獅子王殿(右)。緑豊かな山内を眺めました。

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 この石段も怖かったな。下ると鐘楼の前に出ます。

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 鐘楼と山門。

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 木々に囲まれた勅使門、

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 険しい石段は下りのほうが恐怖です。

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 石段を降りて、帰途につきました。

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 参道沿いに水戸光圀公の「お手突きの石」があります。資料や文献がないのでよくわかりませんが、江戸時代はこの地が水戸藩の領地だったので、黄門さまが来られたかもしれません。

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 雲巌寺前を流れる武茂川には「雲巌寺五橋」と呼ばれる五つの橋が架かっています。山門前に架かる「瓜瓞橋」はCMで一挙に知名度があがりました。さらに上流の「瑞雲橋」「涅槃橋」「梅船橋」には行けませんでしたが、下流側の「独木橋」まで行って、バス停に戻りました。バスは1時間に1便しかありません。12時30分発の市営バスの乗客は、往きも一緒だった親子の方と私の3人、運転手さんは、またしても若い女性です。

栃木の旅・・・①板室温泉

 女性の独り旅も少しずつ普通に受け入れられるようになりましたが、若いころはたいへんでした。地理を教えていた同僚は、卒論のための調査でも、宿に断られることが多く、交番のお巡りさんに事情を話して紹介してもらったそうです。いまでも日本旅館は「お二人様から」という設定がほとんどです。そのなかで、山好きの女性の方のブログで知った板室温泉の大黒屋さんは、HPのシングルのお部屋の写真が予約の決め手でした。おりしも梅雨の時期、たまにはのんびり温泉三昧もいいかもしれません。出かけたのは7月4日(水)です。

Img_rooms_matsu_main_01HPより

 

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 大黒屋さんは、チェックインが13時からで、新幹線の那須塩原駅から有料(12時35分発の1便は1000円)の送迎があります。女性二人と相乗りで、13時少し前に宿に着きました。

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 案内された松の館2階のシングルのお部屋です。松の館の、この日の宿泊者は、私だけのようでした。

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 大きな窓から見える景色を楽しみながら東京駅で買ってきたランチをいただいて、宿の視察開始。

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 サロンでは、硝子工芸作家の瀬沼健太郎氏の個展が開かれていました。

Art_071HPより

板室温泉大黒屋では、2018年7月1日(日)より7月30日(月)まで、ガラス作家の瀬沼健太郎の個展を開催いたします。

瀬沼は東京都生まれ多摩美術大学デザイン科を卒業後、ガラス工房での勤務や大学での非常勤講師を経て2010年に東京で独立。現在は秋田公立美術大学准教授として後進の指導にあたりながら、展覧会を定期的に開催し精力的に活動しています。
瀬沼の作品の多くは古陶磁の形の普遍的な要素をガラス器に写した作品が特徴的であると同時に、制作の基本に水を大きなテーマとして捉え、ガラスの瑞々しさを引き出しつつ水を見せるということを常々考えて制作をしています。自身で花を生けることでも知られ、器をつくること、花を生けることどちらの行為も大事にしています。
本展示では、板室の夏に合わせ森の緑、通り抜ける風、水の気配を感じとれるような作品をテーマに花器、うつわ、オブジェなどの展示を予定しております。どのように板室に咲く野花で大黒屋の空間に生けるのか、是非ご高覧ください。

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 硝子の器とさりげなく組み合わされた緑の清涼感は折からの蒸し暑さを忘れさせてくださいます。

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 サロンから庭に出ました。水琴亭でタクシーで一緒だった方と出会ったら、お茶を淹れてくださいました。埼玉県から来られたそうです。

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 2階建ての建物が松の館です。

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 松の館から渡り廊下でつながっているのが、少し広めの竹の館。

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 今度は山側を散策。野鳥の森があります。

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 源泉かけ流しの温泉は、貸切状態。こちらは松の館の「ひのきの湯」。少しぬるめのお湯と熱めのお湯に交互に入るよう勧められました。

Img_place_index_taiyoHPより

  「たいようの湯」の名のとおり、燦燦たる陽光が差し込むはずですが、残念、曇っていました。

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 「たいようの湯」の奥に「露店の湯」。

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 お食事は夕食も朝食もお部屋でいただきます。

 午後7時半からスタッフの案内で近くの那珂川のほとりにホタルを見に行きました。幼いころは家の周りにたくさん飛んでいて、捕まえて蚊帳のなかに放したりしましたが、自然のホタルを見るのは70年ぶり。夕方から降り出した雨の影響で、いつもより少ないそうですが、儚げな光の交錯する様はこの世ならぬ美しさでした。

 翌朝、ホタルの住処を探しに行きました。宿から石段を下りて、那珂川の河原ぞいの遊歩道を歩きます。

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同じ栃木県だからでしょうか。日光キスゲをあちこちで見かけました。万葉時代は忘れ草と呼ばれ、この花を持っていると、辛いことを忘れることができると信じられていました。忘れたいことはたくさんありますが、手折るのもはばかられます。

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 このあたりがホタルのお宿です。

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 宿に戻って、朝食です。

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 宿の送迎タクシーは10時半出発なので、すぐそばのバス停から9時20分発の東野バスで那須塩原駅に向かいました。東野は「とうの」でも「ひがしの」でもなく、「とうや」と読むのだそうです。

 この宿のことを詳しく紹介してくださった方のブログのリンクを貼っておきます。

http://www.yamaonsen.com/entry/itamuro_daikokuya

水無月も過ぎて

 6月は、映画「修道士は沈黙する」を観て、酷暑のなかにやってきてよかったと思い、METのライブビューイングの「ルイザ・ミラー」で、シラーの文庫本を引っ張り出し、バーリ歌劇場の来日公演で、初めてバーリに行ったときに一緒だった友を偲び、ガザーレやメーリの舞台姿を回想しているうちに終わってしまいました。一大イベントの「安芸の旅」については、別項で記録としてとどめました。

 読んだ本でインパクトがあったのは、五木寛之著『孤独のすすめ』と小石川真美著『親という名の暴力』です。どちらも内容が全面的に首肯できるわけではなかったのですが、五木氏の高齢者の特権は「一人秘めやかに回想に耽ること」という一節は、そのとおりだと思います。ただ、最後に力説されている嫌老の風潮があるから老人も働けという意見は賛成できません。20××年に高齢者駆除法が成立して、一人駆除すれば1万円、おかげで医療費や介護費が減って、財政は豊かになり、出産祝いとして300万円支給されるので、少子化問題一挙に解消というグロテスクな漫画が若者に受けているというのですが、本当でしょうか。

 以下は、月末に調布音楽祭の深大寺の公演に行った時の雑感です。バスを乗り継いで、深大寺小学校で下車すると、東参道に面して、深大寺小学校の子どもたちが育てた蕎麦の花が咲いていました。

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  山門まで320mの道沿いに名物の深大寺そばのお店が並んでいます。帰りに「雀のお宿」という老舗のお蕎麦屋さんに寄ろうかなと思っていたのに、5時すぎには閉まっていました。

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 昨年、白鳳仏が国宝に指定されたので、地元の方は大喜びです。普段は公開されない本堂で今日はコンサートが開かれます。

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 本堂前の蓮の花もポンと音を立てて開くのでしょうか。

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 元三大師堂の左側に新しい建物ができて、国宝の釈迦如来像をしっかり拝めるようになりました。300円の志が必要ですが、以前のように薄暗くてはっきり見えないということはありません。向かって右に兵庫県鶴林寺聖観音像、左に奈良県新薬師寺香薬師像が安置されています。よくよく見たら、精巧な複製でした。

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 14時30分ごろに整理番号順に並べと言われて、炎天下に立たされるのはちょっと大変。次の機会があったら、どんな席でもいいから、あとから入ります。本堂の中は冷房が効きすぎて、羽織るものが必要です。15時から6人の院内僧侶による天台聲明の詠唱がありました、おそろいの衣と袈裟を身に着けた僧が3人ずつ向かい合い、ソロと合唱を交えた詠唱は、南チロルのモンテ・マリア大修道院の晩祷を思わせます。あの幸せな日のことは、いまもしっかりと刻み込まれています。

 15時30分から寺神戸亨トリオの演奏が始まりました。 こんなに演奏者と聴衆の距離感のないコンサートは初めてです。寺神戸氏のトークで、モーツアルトが鍵盤楽器だけではなくて、iヴィオラの名手だったと初めて知りました。

  • 寺神戸 亮(ヴァイオリン)
  • 原田 陽(ヴィオラ)
  • 懸田貴嗣(チェロ)
  • シューベルト:弦楽三重奏 第1番 変ロ長調
    Franz Schubert: String Trio No. 1 in B-flat major, D471

  • ボッケリーニ:弦楽三重奏曲 へ長調
    Luigi Boccherini:
    String Trio in F major, Op. 14, No. 6, G. 100
    I. Larghetto II. Allegro III. Rondeau con moto
  • モーツァルト:弦楽三重奏のためのディヴェルティメント
    変ホ長調 より 第1、4、5、6楽章
    Wolfgang Amadeus Mozart:
    Divertimento in E-flat major for String Trio, KV 563
    I. Allegro IV. Andante V. Menuetto VI. Allegro


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  •  苔だけではなくて草まで生えた茅葺の山門は、元禄8年(1695)に建てられた深大寺ではいちばん古い建物です。プログラムにバッハの生まれた年と10年しか違わないと書いてありました。

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     深大寺小学校前のバス停。こういう塀なら震度6の地震でも大丈夫でしょうね。

    スマートウオッチ

     三個目の歩数計が壊れて、買い換えようと思っていたら、スマートウオッチ(スマートブレスレット)なるものを知りました。価格帯も幅広くて迷いましたが、お値段も約1万円と手ごろで、歩数や血圧も測れる↓の商品を注文したら、すぐ届きました。受注や発送を知らせるメールから、微妙な違和感を感じたのが的中し、届いた商品の取扱説明書は虫眼鏡を使っても読みづらい中国語と英語で書かれています。

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     連絡したら、すぐに日本語の取説をPDFで送ってきましたが、QRコードをスキャンして、アプリをダウンロードしなければなりません。Andoroidの格安スマホは、旅先での緊急連絡以外はほとんど使っていません。まず、QRコードの読み取りアプリを取り込むところから始めて、本体を充電し、wearheartというアプリを開いたら、また中国語!ここでグッと血圧上昇。パソコンでノウハウを検索して、使えるようになるまで、ずいぶん無駄な時間を費やしました。

     それから一週間、これは便利です。心拍変動(HRV)、血圧測定、活動量計、歩数計、消費カロリー、電話の着信通知、LINE通知、座りすぎ注意、遠隔カメラ操作、時間や日付表示、気温表示等々、多機能で、操作も簡単で言うことなしです。ホームドクターから、朝晩、血圧を測って記録しろと仰せつかっていますが、腕帯を巻いて測定するのは面倒ですし、旅行中は無理。これならタッチパネルをタップするだけで、いつでも測れます。

     ちょっと驚いたのは、スマホのアプリを開くと、睡眠のデータが、棒グラフで出て来て、何時間寝たか、そのうち深い眠りは何時間で浅い眠りは何時間か、何時に寝て何時に起きたか、何回、目覚めたかがわかるので、気味が悪いほどです。

     最初は五里霧中で、夏休みになったら、娘か孫に助けてもらおうと思っていましたが、なんとかなって満足しています。いまの血圧は132と83です。

    安芸の旅・・・④広島(縮景園・県立美術館)

      宿の車で桟橋まで送っていただいて、JRで広島駅に着きました。空港行のリムジンバスと市内のr観光ポイントをめぐる、めいぷるーぷのチケットをゲット。

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     車内で映像と音声で観光案内があって、一日券が400円。やはり広島で観光というのは抵抗がありまが、あれこれと悩んだ挙句、縮景園と県立美術館を選びました。6分で縮景園前のバス停です。

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     縮景園は、広島藩主浅野長晟(ながあきら)が、元和6年(1620)から別邸の庭園として築成させたもので、作庭者は茶人として知られる家老の上田宗箇です。 園の名称は、多くの景勝を聚め縮めて表現したことによりますが、中国杭州の西湖を模して縮景したとも伝えられています。中央に濯纓池を掘って大小10あまりの島を浮かべ、周囲に山を築き、渓谷、橋、茶室、四阿などが巧妙に配置され、それをつなぐ園路によって回遊できるようになっています。正門は冠木を2本の柱の上の方に渡した屋根のない冠木門です。

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     この種の庭園は、回遊式庭園と呼ばれます。室町時代にその萌芽がみられ、江戸時代初期に最盛期を迎えた形式で諸大名の大庭園の多くはこれに属しています。

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        池の中央に架けられた跨虹橋は、七代藩主重晟(しげあきら)が京都の名工に二度も築き直させたものといわれ、東京小石川後楽園の円月橋や京都修学院離宮の 千歳橋にも似た大胆奇抜な手法が駆使されています。

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        清風館は庭園のほぼ中央にあり、庭園にふさわしい数寄屋造りで、屋根はこけら葺きです。

     縮景園は、 昭和15年(1940)に浅野家から広島県に寄付され、同年7月12日国の名勝に指定されました。 昭和20年(1945)原爆によって壊滅状態になりますが、県教育委員会が戦災前の景観に復すために整備をすすめ、清風館、明月亭などの亭館も復元されました。 

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     藩主が田植えをして豊作を祈願する小さな田は、岡山の後楽園にもありました。

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     京橋川(旧神田川)のほとりに原爆慰霊碑があります。1987年7月下旬、被爆直後の縮景園を撮った写真が発見され、その1枚に、「戦死者之墓38名」「戦死者墓5名」「戦死者21名墓」と記した3本の立て札が並んで写っていました。県教育委員会が同年7月31日と8月1日、遺骨の発掘調査を行ったところ数千点の骨片を収集し、6日に原爆供養塔に納骨しました。これを機に、地元町内会や老人クラブなど11団体からなる供養会が結成され、碑が建立されました。毎年8月1日に供養祭が行われています。

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     茶室「明月亭」は、縮景園のの北西に建てられています。数寄屋造り、一部は書院造りです。

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     小さな滝が落ちています。かつては牛田山の清水谷から水を引いていましたが、現在は井戸水を使用しているそうです。

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     超然居と名付けられた四阿では、婚礼衣装を身に着けたカップルの写真撮影が続いていました。

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     入口付近に戻ってきました。季節の花が咲き誇っています。

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     こちらからも県立美術館に入れます。

     ここは誰も来ていません。企画展が終わったからかもしれませんが、7月1日まで「光と影の時代ー1920~30年代の美術」と題する春の所蔵作品展が開催されていました。 靉光や山路商の作品は何点か展示されていましたが、密かに期待していた船田玉樹の作品に出会えなかったのが残念です。

     館内のイタリアンのお店、ゾーナイタリア・イン・チェントロは、縮景園を眺めながら、新鮮な食材を活かし、洗練されたお料理を出してくださいました。

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     もう一カ所、行こうかと思っていたのですが、バスが遅れて来て諦めました。原爆ドームや平和記念館は車窓から見ただけです。

     奈良や京都にもまして、外国人観光客の多いのに驚きました。弥山ですれ違った方の半分ぐらいが欧米系やアジア系の方々です。梅雨の季節に雨は一滴も降らず、気温も30度以下、交通トラブルにも遭わず、強運が続いています。ANAを利用しましたが、帰宅してから、山陽新幹線がストップという報道を見て、胸をなでおろしました。

    安芸の旅・・・③宮島(歴史民俗資料館・弥山・五重塔・千畳閣)

     朝早くから行動を開始したので、宮島歴史民俗資料館(以下資料館)に着いたのは、まだ10時過ぎでした。資料館は、江戸時代後期から明治にかけて醤油の醸造を営み、豪商といわれた江上家の500坪の敷地に建てられています。庭園以外は撮影禁止でした。※を付けた写真は資料館のHPからお借りしました。

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     資料館は、池のある庭園を中心に、保存民家、展示館A(土蔵)、展示館B,、展示館C(土蔵)、展示館D、代表民家の6つの建物から構成されています。

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     保存民家(旧江上家母屋)は、明治末期に宮島の旅館岩惣が買い取り「岩惣別荘」となりましたが、昭和46年(1971)に宮島町が資料館開設のため譲り受け、一部を補修改築しています。

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     展示館Aは、石畳のある土蔵をそのまま保存し展示館としています。 壺、釜、桶や山子鋸・滑車などの民具、約200点を展示しています。なかでも、弘法大師ゆかりの弥山霊火堂からおろした消えずの火の大釜(昭和20年10月)が目を引きます。

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     展示館Bは、宮島の桃花祭(神能)、管絃祭、玉取祭、たのもさん、氏神祭などまつり行事を写真パネルと関係用具・模型など約70点で紹介しています。

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     展示館Cは、,土蔵を活用した展示館です。 宮島の生産・生業といえば木工関係があげられます。僧誓真が創始したといわれる飯杓子をはじめ、ロクロによる盆、菓子器、茶器や木匙、宮島彫などいずれも江戸時代後期に興されたものです。それぞれの製作工程、工具、製品、問屋の看板など、今日までの変遷を跡付ける資料約160点を展示しています。

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     展示館Dの1階は「厳島神社と平清盛」フロアとして、平清盛の足跡から、世界文化遺産となる今日までの映像資料や年表などを6つのゾーンに分けて展示しています。平清盛像や二位尼像をはじめ源平合戦の錦絵や大河ドラマで使用された小物、そして映像シアター(上映時間約10分)など見どころいっぱいです。早くも悲鳴をあげだした足腰のご機嫌をとろうと拝見した映像は、厳島神社の歴史や建築物の構造を知るうえで、中身の濃いものでした。

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      2階は、宮島ゆかりの諸家の書画、屏風、古絵図、古写真、案内記、古文書など、主に江戸時代以降の歴史資料や土器類などの考古資料、約300点を展示しています。宮島芝居や富くじに関する資料、名所図会などは、信仰と観光の島、宮島を理解するうえで欠くことができません。ここで見た「厳島の合戦」の絵解きのような展示は、なかなか興味深いものでした。大内氏を滅ぼした陶晴賢と毛利元就が厳島で繰り広げた死闘の全貌がわかります。

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     庭園の池の鯉が何かもらえるかもと寄ってきましたが、ごめんなさい。

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     最後に代表民家を拝見して、資料館を出ました。宮島の古い町家は、ふつう間口が狭く奥行きが深くなっています。大戸から入ると奥まで「通り庭」になっており、それに沿ってミセ(表の間)、オウエ(中の間)、ザシキ(奥の間)に続きます。オウエには天井がなく、戸棚の上には神棚がまつられているのが、神の島宮島の特徴です。

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     お昼は「ふじたや」の穴子めしに決めていました。ミシュランの星を持つお店など全くご縁がありませんし、2時間待ちは当たり前という情報に震えましたが、開店の11時に入ると、待つことなくカウンターのお席に案内されました。注文を受けてからタレを塗って焼くので、出てくるまでに30分という噂通り、しっかり待ちます。天然物しか扱わず、売り切れしだい終了。熱々のご飯の上にカリッとした穴子が敷き詰められています。

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     どんどん人が押し寄せてきました。お店を出ると、隣に屋根付きの待合所があって、10人ぐらいが待っていました。入口の名簿に名前と人数を書いておくと、呼んでいただけます。ふっくらとした美味しい穴子でしたが、早めに行くのが正解です。

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     厳島神社の出口に近い大観寺の前からもみじ山公園に向かいました。無謀にも弥山に挑戦します。

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     宮島屈指の老舗旅館「岩惣」前から、ロープウエー乗り場まで無料バスが20分置きに出ています。12時10分発の午前の最終便に間に合いました。

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     昭和34年(1959)に開業したロープウエーは、誰でも弥山登山が楽しめるように建設され、瀬戸内海の絶景や原始林の眺めを満喫しながら空中散歩ができます。紅葉谷駅から榧谷駅までは6人乗りゴンドラの循環式で1分間隔で運行。10分で中間駅の榧谷駅に着き、展望台のある獅子岩駅までは大きなゴンドラの交走式で約5分です。

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     ロープウエーを降りて、覚悟して歩きました。

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     徒歩20分だという霊火堂を目指したのですが、休み休み歩いたので、倍以上かかりました。視界が開けると美しい海と山にうっとり。晴れていたのでなんとかなりましたが、ほとんどがつかまるところのない坂道ですから、危ないです。この場所だけは、土砂崩れがあったため、柵がありました。

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     下山してくる方々に励まされて、やっと霊火堂までたどりつきました。1200年、ともしつづけているという「消えずの火」が信仰を集めています。

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     向かい側の本堂には毘沙門天が祀られています。

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     来た分だけ戻らなければなりません。

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     「天然記念物弥山原始林」と刻んだ石碑と説明板が立っていました。天然記念物、特別保護区、世界遺産になっています。昔からほとんど人の手が加わることがなかったため、本土と比べ自然度の高い植生が残されています。 ドイツの植物学者エングラー博士が、「できるなら一生ここに住んでここで死にたい」と絶賛したほどです。

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     遥かにロープウエーの獅子岩駅付近の建物が見えて、生還することができました。

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     帰りのロープウエーは、車で世界遺産巡りをしているという男性と2人だけ。豪雨の三保の松原から姫路城を見て、明日は石見銀山だそうです。いろいろな旅のスタイルがあるものですね。

     最後の力を振り絞って、また石段に挑戦。向かい合って建つ五重塔と千畳閣で宮島の旅を締めくくりました。

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     五重塔は応永4年(1407)に創建され、三度の再建を経ています。大聖院の子院にあたる金剛院の塔でしたが、現在は厳島神社の末社の豊国神社の塔になっています。現存する22基の五重塔のうち、7番目に古いそうです。

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     1587年に豊臣秀吉が戦没者を鎮魂するためのお経を唱える「大経堂」を造ろうとして、安国寺恵瓊に命じますが、完成しないうちに豊臣秀吉が没し、安国寺恵瓊も関ケ原の合戦に敗れて処刑されたため、頓挫してしまったのが千畳閣です。実は857畳だそうですが、広々とした空間です。建築が中断したため、天井も壁もありません。かつては内部に釈迦如来像などが安置されていましたが、明治初年の神仏分離令で大願寺に移され、千畳閣は豊臣秀吉と加藤清正を祀る豊国神社となりました。

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     山を仰ぎ、海を見下ろす高台です。

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     いくつか石段があるので、千畳閣の受付の方に宿にいちばん近い石段を教えていただいて、帰途につきました。

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     江戸後期の僧・誓真は、水不足にあえぐ島民のため島内10カ所に井戸を掘ったと伝えられ、4カ所が現存します。宿の近くに誓真釣井の一つがありました。誓真は道路の改修や宮島名物となった杓子づくりも手がけています。

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     干潮のときは、大鳥居まで歩いて行けます。もう余力がなくて、遠望するだけです。

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     錦水館の玄関とシーサイドテラス。

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     2泊目は、メニューが一新。苦手の蝦蛄以外は美味しくいただきました。

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     呉のお酒の飲み比べで、いい気分です。

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     ライトアップされた大鳥居を見ながら、夜が更けました。

    安芸の旅・・・②宮島(厳島神社・大聖院)

     朝食もナイスでした。サラダバーとドリンクバーは自由に選べます。いわゆるバイキングは大の苦手なので、朝からいい気分です。

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     外国人旅行客の人気が伏見稲荷に次いで2位というので。人波が押し寄る前に、最初で最後の厳島神社詣で。宿の前から5分です。

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    宿の前の道を大鳥居に向いて歩きます。

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     作戦成功。お掃除の方しかおられません。入口から出口まで一方通行です。

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     厳島神社の創建は、推古元年(593)、佐伯鞍職によると伝えられます。平安時代後期の仁安3年(1168)に、佐伯景弘が厳島神社を崇敬した平清盛の援助を得て、今日のような廻廊で結ばれた海上社殿を造営します。本殿以下37棟の本宮(内宮)と、対岸の地御前に19棟の外宮が設けられ、全て完成するまでに数年が費やされたそうです。社運は平家一門の権勢が増大していくにつれ高まり、その名を世に広く知られるようになりました。鎌倉時代から戦国時代にかけて政情が不安定になり荒廃した時期があったものの、弘治元年(1555)、厳島の合戦で勝利を収めた毛利元就が神社を支配下に置き庇護したことから、社運は再び上昇します。天下統一を目前にした豊臣秀吉も参詣して武運長久を祈願しており、その年に安国寺恵瓊に大経堂(千畳閣)の建立を命じています。
     厳島神社は社殿が洲浜にあるため海水に浸る床柱は腐食しやすく、長い歴史の間に幾度となく自然災害や火災に見舞われてきましたが、その度に島内外の人々の篤い信仰心に支えられて修理再建され、今日まで平安の昔さながらの荘厳華麗な姿を伝えています。

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     日本三景などと言われると、敬遠したくなりますが、『平家物語』の世界が蘇ってきて、やはり来てよかったと思いました。いまの季節は6時半から開門していますから、団体様が押し寄せる前がお勧めです。

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     出口の前のきらびやかな建物は霊宝館です。平家納経はレプリカしか展示されていないそうで、通り過ぎました。これまでに本物には一度しかお目に掛かっていません。

     霊宝館の左側の道をたどり、大聖院の仁王門の前に着きました。高野山に行く前に読んだ高村薫氏の『空海』の中にかなり詳しいご紹介があり、さらに東博の『仁和寺と御室派のみほとけ』で大聖院の本尊の不動明王を拝観したことも加わって、行ってみたい場所の一つでした。大聖院は、明治初年までは厳島神社に付属する別当寺でした。明治初年の神仏分離から廃仏毀釈への流れは、隣国の文化大革命を嗤えない大愚行だと思いますが、大聖院はなんとか存続します。

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     仁王門から石段を登りきったところに、四脚門の御成門があります。長い石段を手すりを頼りに這い上がりました。このあとも斜面に配置されているお堂をめぐって、石段を登ったり、下りたり。

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     大師堂から振り返ると、青い空、白い雲。

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     観音堂の前にテントを張って、外国人旅行者目当てにこけしなどを売ろうと準備中でした。奥の二層の建物は摩尼殿です。

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     平家一門も尊崇した十一面観音を安置する観音堂の堂内ですが、判別不能の写真しか取れませんでした。仏罰かもしれません。十一面観音は、もとは厳島神社の本地堂に祀られていましたが、神仏分離令により大聖院に移されました。

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     高村氏の『空海』で紹介されていたチベット密教の砂曼荼羅です。

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     摩尼殿の前まで来ました。

     勅使門から仁王門までの石段の途中に霊宝館があって、東博でお会いした重文の不動様がご帰還でした。

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     弁髪を結い,両眼を開き,上歯牙を露わす、大師様不動明王像の古例です。顔をわずかに右に向ける姿も,東寺講堂像(国宝)に似ていますが、整理された量感表現や装飾的な臂釧にみる浅い刻出などから平安時代(10世紀後半)の作と推定されています。もとは京都の仁和寺塔頭・真乗院に祀られていました。

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     海を眺めながら、石段を下ります。このお寺にはおびただしい石仏が並んでいて、いかにもお大師様信仰の聖地という感じですが、個人的な好みでは禅宗寺院の簡素で清冽な雰囲気が好きです。婚家の宗旨が真言宗でしたので、蝋燭とお線香を備えてきました。

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     奈良ほどではありませんが、シカがのんびりと日向ぼっこをしています。

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     あせび歩道と名付けられた道を登ると、多宝塔(重文)に至ります。

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     1523年に創建、1704~10年(宝永年間)に改修されています。もとは大聖院の伽藍を構成していましたが、明治初年の神仏分離令で、厳島神社の管理下に移されました。この場所は絶景ポイントで、宮島口から宮島桟橋に向かうフェりーが映っています。

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     石段を下りると、次の目的地の宮島歴史民俗資料館はすぐそばです。

    安芸の旅・・・①三景園&不動院

      厳寒や酷暑の時期を除いて、月に一度は小旅行をしています。6月12日~14日の旅は広島県を選び、宮島の宿を予約しました。錦水館は日本旅館には珍しく、シングルの洋室があります。少し遠いので、新幹線ではなくて、ANAとセットのプランを選びました。梅雨の季節もものかは、お天気は3日間とも上々でした。10時50分発の羽田空港から広島空港まで1時間10分のフライトは定刻どおりです。

     まず空港から徒歩5分の三景園に寄りました。広島空港の開港を記念して1993年に造られた築山池泉式庭園です。

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     庭園は三つのゾーンに分かれています。正門付近は、宮島をイメージした海のゾーンで、数寄屋風水上建築と大きな池や島を配しています。


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     すべてを回り時間はありませんので、「湖畔の道」を通って、「ショウブ田」と「アジサイ園」を見に行きました。右側は池、左側は新緑の森の美しい遊歩道は静けさに包まれていました。

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     「ショウブ田」は、規模は小さいのですが、人が少ないのが高得点。

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     道沿いにおびただしい種類のアジサイが植えられています。絢爛と咲き誇るというよりも、どこか儚げな風情でした。

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     山のゾーンは割愛して、空港に戻り、広島バスセンター行のバスに乗りました。広島駅行に比べると利用者が少なく、私を含めて5人で発車。38分で中筋に着きました。

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     ここで平成6年に開業したアストラムラインに乗り換え、4分ほどで次の目的地の不動院前です。私が利用した区間は高架でしたので、駅からそれらしい建物が見えました。

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     地図の①が不動院で、ここを起点に「二葉の里歴史の散歩道」が設定されていますが、今回は不動院だけにとどめました。私にとって不動院には三つのキーワードがありました。

     1.広島市内唯一の国宝建造物

     2.安国寺・利生塔

     3.安国寺恵瓊

     広島県内の国宝建造物ということでしたら、尾道の浄土寺やこれから行く宮島の厳島神社が著名ですが、市内に限ると牛田山の山麓という地形的要因によって原子爆弾の爆風を逃れた不動院の金堂しかありません。

     現在は安国寺不動院と呼ばれていますが、足利尊氏・直義兄弟が後醍醐天皇が亡くなったあと夢窓国師の勧めで戦禍の犠牲になった人々の霊を弔うため、北海道と沖縄を除く全国に置いたのが、安国寺・利生塔の一つです。ただし、先例と考えられる聖武天皇の国分寺・国分尼寺とは違って、安国寺の寺号を得た寺のほとんどは、新しく建立されたものではなく、各国で守護との結びつきが強かった有力寺院が「安国寺」の寺号を与えられたようです。

     安芸の安国寺は安芸の守護武田氏の菩提寺として繁栄しますが、戦国時代の大永年間(1521~27)の武田氏と大内氏の戦いで伽藍が焼け落ちてしまいました。 荒廃していた安国寺を再興したのが毛利氏の外交僧として活躍し、のちに豊臣秀吉の直臣大名として戦国の世に名高い安国寺恵瓊です。安芸の安国寺の住持を務めたので、安国寺恵瓊と呼ばれています。恵瓊は海北友松を描いた『墨龍賦』にも登場しますが、敗者であることも加わって、あまり評判のいい人物ではありません。

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     参道の奥に見えてくるのは楼門(重文)です。上層の尾椎に「朝鮮木文禄三」(1594)等の刻銘があり、文禄の役に従軍した恵瓊が当時の朝鮮から良材を持ち帰って建立したものと伝えられています。

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     国宝の金堂は、大内義隆が周防山口に建てたものを恵瓊が移建し、仏殿にしたと伝えられています。現存する唐様の建築としては最大の遺構で、中世の本格的な仏殿の規模をうかがうことができます。屋根の反りや花頭窓などに魅せられました。安置されている薬師如来坐像(重文)は、藤原時代の定朝様なので、創建はその時代にさかのぼれそうですが、残念ながら、お正月の三が日と5月5日しか公開されません。

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     重層袴腰付屋根を持ち、入母屋造柿葺きの鐘楼(重文)は、永亨五年(1433)に建立されたもので、現存する不動院の建物では最古です。内部には高麗鐘があります。

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     恵瓊は関ケ原の合戦で西軍に加わったため、石田三成や小西行長とともに処刑されます。4月に訪ねた建仁寺に恵瓊の首塚がありましたが、不動院にも首塚があります。毛利氏が防長2国に国替えとなって去ったあと,芸備2国49万石の大名として福島正則が入国します。正則の祈祷僧である宥珍が住持となったとき、禅宗から真言宗に改め、不動明王を本坊に移して本尊とします。最初は本坊のみが不動院と称されましたが、のちに全体を不動院と呼ぶようになりました。福島氏が台風の被害を受けた広島城を幕府の許可なく修理したのを理由に改易されたのちは、浅野氏による治世が続きます。

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     本坊の前に立っていた掲示板を読んで、胸が痛くなりました。8月6日のことが書かれています。当時、大阪の郊外に住んでいて、新聞社に勤めていた叔父が強張った表情で訪ねて来て、「広島に新型爆弾が落とされた。次は大阪かもしれない」と言った日のことは、いまもはっきりと覚えています。いろいろな思いがあって、広島を観光で訪れることは長く念頭にありませんでした。戦争を知らない世代が圧倒的多数になって、もっと戦力を持っていれば、戦禍を免れたなどという人まで出て来たのには驚くしかありません。金属はすべて供出し、飛行機を飛ばす燃料を確保するために松の木を切り倒して、松根油を集めていたのですから・・・。再び愚かな道を歩まないよう、強く願っています。

     アストラムラインの新白島で岩国行のJRに乗り替え、宮島口に着きました。5分ほど歩くと、宮島桟橋行のフェりーの乗り場です。

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     フェりーに乗る前に電話したら宿からお迎えに行くというお話でしたが、電話がつながりません。あとで機内モードのままだったことがわかりましたが、仕方がないのでタクシーに乗りました。

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     ランチョンマットにこまごまと書いてありましたが、食材はすべて地元産です。とても美味しく、接客も気持ちのよいものでした。

     惜しむらくは5階なのに視界が悪く、ベランダの壁画に笑ってしまいました。

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     シーサイドテラスがロビーのそばに造られています。ちょうど米朝会談の日で、夜景もそっちのけで、テレビを見続けました。

     下に見苦しいものが残っていますが、どうしても消えてくれません。

    「名作誕生」東博再訪

     5月8日(火)から後期の展示が始まった東博の特別展「名作誕生}を再訪してきました。彦根城博物館蔵の「彦根屏風」の展示は5月15日(火)から27(日)までなので、16日に行ったのですが、とても暑い日で涼みに行くのはもってこい。前期よりも来館者は増えていました。東博は広いし観たいものが多いので、体力温存を図って、行きは中央線の御茶ノ水駅前からタクシーを利用しています。

     前期の「松林図屏風」に替わって、富士山・三保の松原・清見寺の三点セットが並んでいました。先日、静岡から三島に行く途中で通った清水から清見寺に行けるので、機会があれば訪ねてみたいと思います。

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     まず伝雪舟の「富士三保松原」(永青文庫蔵)。近年の研究によって雪舟の原画ではなく、室町時代に描かれた忠実な模本と考えられていますが、現存する作例が極めて乏しい雪舟の真景図を考える上で非常に重要な作品と位置づけられています。

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     続いて狩野山雪の「富士三保松原図屏風」(静岡県立美術館蔵)。清水港ごしの富士で、右隻の連山は愛鷹山、左隻近景は清見寺です。基本的な図様は、伝雪舟画を継承していますが、景物を平行・相似の関係におき、垂直線や「へ」字型を反復する幾何学的な画面構成や復興後の清見寺伽藍の描写は独特で、署名の「山雪始図之」は新しい図を描いたという宣言、というのはいかにも山雪らしいと思います。

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     最後が曽我蕭白の「富士三保松原図屏風」(MIHOミュージアム蔵)。三保の松原に大きな虹がかかっています。三者三様の富士山の絵をゆっくり拝見して、私のなかの富士山について回想にふけったひとときでした。

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     後期だけの展示では伝俵屋宗達の「蔦細道図屏風」が素晴らしいです。通常、二双の屏風は横並びに展示されたいますが、「洛中洛外図屏風」を見たとき、屏風を向かい合わせに立てて、真ん中に座って眺めるのだという説明がありました。この屏風もそういう立て方をすれば、右隻の左端が左隻につながり、左隻の左端が右隻につながります。実物はもっと金色が鮮やかで、デザインが非常に見事です。

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     「彦根屏風」(彦根城博物館蔵)は初めて観ました。彦根藩主の井伊家に伝わったので、その名がありますが、作者は不明です。制作されたのは寛政年間(1624~44)と考えられ、当時の京都の遊里の様子が描かれています。衣裳の文様と色彩にも魅了されました。

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     もう一点、ぜひ観たい山水屏風が本館の国宝室に展示されています。京都の神護寺に伝わった現存最古のやまと絵屏風は、穏やかで美しい山並みと貴人や庶民たちの営みが細かに描かれています。本来、屏風は建物の中を仕切るための調度品の一種でしたが、灌頂という密教の儀式で用いられるようになります。「名作誕生」の前期展示を見に行ったときに、本館で出会った天野山金剛寺の「日月山水図屏風」も密教の儀式で用いられたものですが、平安時代の完成された美しい作品を目の当たりにして感動しました。

     だんだん出不精になって、予約したり、切符を買ったりしないと、やめておくほうに傾きがちです。こういう機会を逃すのはもったいないと改めて感じた午後でした。

     

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