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 「ホフマン物語」・・・蛇足

拙い感想を書きましたら、もっと詳しくというリクエストをいただきました。少しでも記憶に残したいと思って、画像を集め、しどろもどろな文を綴っていたら、9月14日の深夜(15日)に今公演がNHK・BSプレミアムで放映されるそうです。それなら、必死になることはありません。どうかその日をお待ちくださいませ。

 オペラ御殿の冒頭3段落目(7月21日現在)に棟梁さまの公演に対する簡潔な感想が載っています。ぜひご参照ください。

 http://www.h5.dion.ne.jp/~goten/mainmenu.htm

 1819年にドイツのケルンでユダヤ人の家系に生まれ、1880年に「ホフマン物語」初演を目前にパリで亡くなっオッフェンバックは、未完だったオペラが音楽学者によって、もとの姿に近づき、日本で多くの観客を魅了したと知ったら、喜ぶでしょうね。

 前稿にも書きましたが、初めて観たのは2003年、ウィーン歌劇場でした。ホフマン役はイタリア人のサバッティーニ。サントリーホールがホールオペラと名付けて、演奏会形式のオペラを上演していたころ、「シモン・ボッカネグラ」で来日して以来、何度か聞いていますが、だんだん声がなくなって、高音は息しか出ないと思っていたのに、このときは落魄感まんまんで、妙に感心したものです。

 次は2004年。ミラノ・スカラ座です。ジョヴァノヴィッチというテノールは最初で最後になりそうですが、冴えなかったという記憶しかありません。バスはペルトゥージが4役を演じ、メゾはガナッシが素晴らしい歌唱を聴かせてくださいました。オランピア役は、すでにウィーンで人気沸騰だったランカトーレが演じ、ミラノでも大成功を収めています。

 3度目の2006年のビルバオ公演は、あまりいい印象がありません。御曹司の演出家モナコは嫌いなタイプです。歌手はバーヨのアントニアがずば抜けていました。表題役のマチャドはいつも酒瓶を手に、すさんだホフマンを演じさせられ、最後は椅子という椅子を蹴り倒して幕ですし、ヴェネツィアの場面もチープでした。

 それ以後、このオペラに接する機会はなかったのですが、今回の公演は2003年にローザンヌで初演された「ケック校訂版」であることが注目を浴びています。ある方が「東京の聴衆にとっては未知の音楽の数々に面食らったのでは?」と書かれていて、これまで観たものはなんだったのか、気になりました。1881年の初演は、遺族に補作を依頼されたギローによって大幅に改編されたものだったそうです。その後も改編が繰り返され、1904年のモンテカルロでの再演時のスコアが「シューダンス版」として1907年に出版され、約100年にわたって上演され続けたということですから、これまで聴いた「ホフマン物語」は、「シューダンス版」だったのでしょうか。残念ながら、そこまで深く考えたことはありません。

 ところが、1970年にオッフェンバックの子孫の家から、大量の楽譜が発見され、1977年に「エーザー版」が発行されます。だれにでもわかる違いは、ジュリエッタの幕がアントニアの幕のあとになったことですから、観たのは「エーザー版」だったかも、という気がしてきました。さらに、1984年に、ずっとカットされていた譜面が見つかり、「ケイ版」発行。1993年にジュリエッタの幕のオーケストラ譜が発見され「ケック版」発行。だんだんわけがわからなくなってきました。いずれにしても、この公演が私にとっての決定版になることは間違いありません。

 Twitterの書き込みで、ペリーの演出は、ベルギーの画家レオン・スピリアールトの絵画にインスパイアされたと知りました。情けないことに未知の画家です。アントニアの幕で、渦巻きの映像が禍々しく映し出され、見ているほうも不整脈が起こりそうでしたが、スピリアールトの代表作「めまい」に描かれた、階段なのか螺旋なのか、高くせりあがっていく頂上に立つ女性の影や風にたなびく長いショールが表現する心象にも揺さぶられました。

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3幕の一場面

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「めまい」

 もう一作。「突風」です。後ろ向きの女性が手すりにつかまって見ている先にあるのはなんでしょう。やはり髪の毛かスカーフが強風でたなびいて、不安な気持ちをいっそうかきたてます。

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 ホフマンは恋した3人の女性は、すべて死んでしまいます。オランピアはもともと機械ですから、命はないのかもしれませんが、魔法の眼鏡をかけたホフマンにとっては生身の女性です。コッペリウスに壊された人形の首を抱いて呆然とするホフマンと首がない人形に必死で人工呼吸を施すオランピアの父で科学者のスパランツァーニの姿に笑ってしまいましたが、アントニアが禁じられた歌を歌って命を失うのは筋書とおり。でもジュリエッタまで死んでしまうのはちょっとびっくりです。

 3人の女性は、すなわちステッラだという設定ですから、ソプラノが4役を演じるのは自然の流れではあっても、大きな負担になるのは想像に難くありません。いろいろ言えば言えますが、まずは破綻なく歌い切ったチョーフィはブラヴァーです。ジュリエッタはもっと妖艶でなければ、などと言っても無理。それにヴェネツィアのコルテジャーナだとしたら、教養と気品を兼ね備えていなければならないはずですし。でも、ダイアモンドに目がくらむあたりは、お宮なみで品がありませんね。

 蛇足中の蛇足ですが、フランスではオランピアという名前は娼婦を意味するとか。そういえば塩野七生さんの『三つの都の物語』に出てくる高級娼婦の名ははオリンピアでした。あの小説を読んで、オスティア・アンティカに行こうと画策したのですが、ついに果たせませんでした。

 非常に場面転換の多い舞台でしたが、アントニアの母の唇が不気味だったのを除けば、どの場面も好きです。とりわけ4幕冒頭にオケピットから静かに聞こえてきた音と完璧にマッチしていたカーテンの揺らぎは忘れられません。

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 オッフェンバッハもユダヤ系、いま読んでいるツヴァイクもユダヤ系です。自伝である『昨日の世界』は、多くのことを教えてくれました。テオドール・ヘルツルとシオニズムのこともそうです。そして、いまガザで起こっていることをどう考えたらいいのかと。

 

 

 

 

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音楽」カテゴリの記事

コメント

早速に有難うございました。九月に放映されるのはTwitterでどなたかが書かれていたのですがすっかり忘れていました。録画しないと。
オペラ御殿というのは初めて知りました。そういえば棟梁という言葉もマイミクさんのどなたかが使っていらっしゃるのを聞いたことがあります。このかた音楽評論家でしょうか。
最近、ヴェルディの全作品についての本が出版されたと何かで読みましたが、このかたが書かれたみたいですね。高価なのと、私のような初心者には専門的すぎるのではと思い、読み過ごしてしまったのですが。
オペラ御殿を覗いてみたのですが、黒地のものはとても目が疲れるのでちょっと困ります。
イタリア時間というのがホフマン物語の感想のあとにでてきたのでちょっと目をとうしたのですが、むかしイタリア語を習い始めたときにオペラファンの方がいらしてこれについてしつもんされたことがあったようで、その時の講師がカルチュアセンターのパンフレットに書いていらした覚えがあるのですが、その頃オペラに関心がなかったので忘れてしまいました。残念。
ずいぶん昔の映画に「ホフマン物語」というのがありませんでしたか?オランピアという機械仕掛けの人形に恋する話だったような記憶がありますが。
とても目が疲れるので長いことPCの画面を見るのがつらくなりました。テレビも二時間番組はついパスしてしまいます。
歳はとりたくないものですね。

tinaさん
 棟梁ことミン吉さんこと音楽評論家の吉田さんです。実は、フアン・フランシスコ・ガテルのリサイタルに行くときも、バスの中でばったり出会って、おしゃべりしました。とてもいい方ですよ。
 見ていませんが、映画になりましたね。機械人形とも知らず、ホフマンが恋をするのが第二幕です。
 身体のどこも何ともないという日は、もう来ないかもと悲しくなります。嫌ですねー。気を取り直し、わが身を鼓舞する日々です。

詳しく教えてくださって有難うございました。
最初にご覧になったのはサッバティーニ主演だったとのこと、このかた今どうしているでしょうね。
初めて見たのが藤原の「ラ・ファヴォリータ」で、群を抜いていい声なのでその後リサイタルや国立の「ウエルテル」など聞いてみたのですが、声が細くなっていまいちでした。
最後に聞いたのは何だったか思い出せませんがグルベローバとの共演で完全にのまれていました。相手が悪かったかな。
そういえば「ラ・ファヴォリ―タ」もあまり日本では上演されませんね。オペラを聞き始めた頃なのでとても印象に残っています。

tinaさん

 サッバティーニは、指揮者として、指導者として、ご活躍だそうです。グルベ様と共演されたのは2002年のボローニャ歌劇場来日公演の「清教徒」ではないでしょうか。息しかでない、と思ったのは、その公演です。日本では珍しくブーイングがとんでいました。忘れがたいのは、休憩時間に劇場内でフローレスにバッタリ出会ったこと。ふと顔をあげるとフローレスが目の前にいらして、びっくりしたら、ニッコリと笑ってくださったのです。「セビリアの理髪師」で日本では初めてのオペラ出演でしたね。フローレスの「清教徒」が聴きたくて、カナリア諸島まで行ったほどですから、2011年のキャンセルはショックでした。もう生は聴けないでしょうね。
 昔話に付き合ってくださって、ありがとうございます。
 「ラ・ファボリータ」は、クラウス&コソットのビデオで夢中になって、海賊版のビデオをたくさん買い込みました。フローレスが歌ったのに、指をくわえたままです。3年前なら馳せ参じたのに、情けない。

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