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甲斐の名刹・・・①大善寺

 あまり熱心な視聴者ではありませんが、大河ドラマ「真田丸」で印象的だった場面の一つに、家臣の離反が相次ぎ、悄然と落ちてゆく武田勝頼の姿がありました。若いころ、井上靖氏の小説でたおやかな美女として描かれた諏訪夫人を母に持ち、偉大な武田信玄を父とする若い武将に同情したものですが、ゆかりのお堂が山梨県では二カ所だけの国宝に指定されていると知って、いつか訪ねてみたいと思っていました。

 調べてみると、休日だけJRの勝沼ぶどう郷駅から門前まで市民バスが運行しています。久々に晴れの予報が出た9月25日(日)に行ってきました。「ホリデー快速ビューやまなし」という長い名前の列車が休日だけ運行され、1~3号車は乗車券のみで利用できます。30%ぐらいしか乗客がいなくて、ピカピカの新造の車内は快適でした。9:15に三鷹を発車した列車は10:47に勝沼ぶどう郷に到着です。

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 駅前で30分ほど待つと、市民バス「ワイン号」が来るはずですが、ほどなくバスが来たので乗ったら、いったん「ぶどうの丘」に寄って、駅に戻り、大善寺方面に向かうコースで、車中からブドウ畑を眺められる、いいドライブでした。大善寺で下りたのは私だけ。他の乗客はブドウ狩りが目的です。500円の拝観料を納めて、まず薬師堂に向かいます。彼岸花は盛りを過ぎかけていました。

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 表参道の石段を上ると、寛政10年に再建された山門をくぐります。重厚な構えの二重門です。

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 さらに石段を登ると、楽屋堂をくぐって、本堂(薬師堂)に至ります。160段ほどの石段で息があがってしまいました。先日の検診で「不整脈が…」とか言われた身なので、ここで倒れては世間の迷惑と、しばし休息。

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 お祭りのときに舞が奉納される稚児堂は、それほど古い建物ではなさそうです。

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 いちばん奥の国宝の本堂(薬師堂)は、弘安9年(1286年)の刻銘があるので、元寇(弘安の役)の数年後に建立された関東では最も古い建物であることが分かります。檜皮葺きの屋根が力強い線を描いています。お寺の方が丁寧に説明してくださいました、ご本尊の薬師如来と脇侍の日光・月光菩薩は秘仏で、5年に一度しか拝めません。国宝のお厨子の扉に実物大の写真が貼ってありました。掌にブドウを持つ珍しい薬師如来は平安時代の制作です。

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 ここでやってきた当初の目標に立ち返ります。このお堂こそ、家臣の裏切りに次ぐ裏切りで追い詰められた武田勝頼が死の8日前に過ごした場所です。天正10年(1582)年に、築城して間もない新府(韮崎)の城に火を放ち、甲府盆地を駆け抜けて、大善寺に到着した武田勝頼、北条夫人、嫡子信勝の3人は、大善寺に住んでいた武田信玄の従妹の理慶尼の手厚いもてなしを受け、3月3日の夜は4人で薬師堂で過ごしたと言われています。勝頼一行は3月11日に天目山で自害し、戦国大名としての武田家は滅びますが、理慶尼は82歳まで生き、1611年に大善寺で息を引き取りました。 勝頼一行の自決までの一部始終をしたためた『理慶尼記(武田勝頼滅亡記)』が大善寺に残されていますが、のちに何者かが理慶尼に仮託した物語だという説もあります。

 受付に戻って、大善寺のもう一つのご自慢の庭園を拝観しました。山裾に滝と築山を組み、その下部に池を掘った江戸時代初期の特徴を持ったお庭です。

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 庭園に面した広いお座敷には、お茶とブドウを置いたテーブルが用意されているので、ここに来るときはお弁当持参がよさそうです。ただし、現地には売っていませんから、快速に乗る前に求めましょう。

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 1日3便しかない市民バスは時刻表どおり12:56に来ました。大善寺の門前を甲州街道が走っていて、東京から118㎞という表示がありました。あたりはブドウ畑ばかり。ブドウやワインは売っていますが、ランチがいただけそうなお店は見当たりません。

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 帰りのバスは6分で勝沼ぶどう郷駅に着き、13:19発の列車で次の目的地に向かいました。

弦楽五重奏

 やっと猛暑も収まったと思ったら、甘かった。9月18日の午後に行ったコンサートの会場は、冷房が効かず、前半は演奏家も聴衆も汗だくでした。とりわけ日頃はベルリンで活躍している5人の演奏家にとって厳しかったようで、2曲目のベートーベンの弦楽五重奏曲ハ短調の第三楽章が終わると、演奏を中断した第一バイオリン奏者が「Berry Hot」と叫ぶ始末。出かける機会が激減した私にとって最後の砦の会館が来年の5月まで改修中で、あちこち間借りしておられますが、その一つが宰相閣下の母校の大講堂です。スタッフが窓を開けて再開し、休憩を経て登場した演奏家は上着もネクタイも外したクールビズでした。

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ヴォルフ:イタリア風セレナード
ベートーヴェン:弦楽五重奏曲 ハ短調 op.104
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J.S.バッハ:G線上のアリア(管弦楽組曲第3番ニ長調 BWV1068より第2楽章)
ドヴォルザーク:夜想曲 ロ長調 op.40
ドヴォルザーク:弦楽五重奏曲第3番 op.97

 会場が冷えてくるのと反比例して、演奏は熱くなり、最後のドヴォルザークの弦楽五重奏曲第3番は圧巻でした。だんだん消極的になっている我が身に、世の中には凄いものがたくさんある、ぼんやりしていてはもったいないと思わせるものがありました。

 アンコールの曲名が聞き取れなくて、コントラバスの演奏家がセンターに出てこられたのをいぶかしく思っていたら、聞こえてきたのは大好きなアリアの旋律です。ベッリーニの「夢遊病の女」で、久しぶりに故郷に帰ってきた伯爵が歌うアリアをコントラバスが奏でます。えっ、と思っていたら、バイオリンがアミーナのアリアを奏で、もう夢見心地。このオペラは日本でも何度か鑑賞していますが、ヨーロッパではウィーンとビルバオとベルリンで体験し、いずれも主役は地の果てまで追いかけたいファン・ディエゴ・フローレスでした。

 馬齢を重ねながら、恥ずかしくもボッテジーニの「『夢遊病の女』による幻想曲」の存在を知りませんでした。ボッテジーニは1822年にイタリアで生まれたコントラバスの名手で、ヴェルディの知遇を得て、「アイーダ」が初演されたときは、炎暑の地を嫌ったヴェルディに代わって指揮をした方だそうです。コントラバスのための名曲をたくさん書いているなかの一つだということも初めて知りましたが、いろいろな思いがこみあげてきました。

 アンコールの2曲目は、チェリストがセンターに進み出ました。日本の曲だという前触れで、演奏されたのは久石譲作曲「映画『おくりびと』より}。最後は、チャイコフスキーの「『エフゲニー・オネーギン』より」。タチアナの手紙の歌やレンスキーが決闘を控えて吐露する心情、オネーギンの絶望があやをなして、ああ、オペラを観たいという気持ちが募ってきました。10月にマリインスキー歌劇場の来日公演がありますが、数年前のボリショイ歌劇場のあまりにもすごかった名舞台が脳裏を去来して、レンスキーを歌うコルチャックの近場のリサイタルのチケットしか買っていません。コルチャックはペーザロで聴いたことがありますが、いつのまにか世界のスターテノールと呼ばれているのですね。

怠け癖

 狂暴な夏と格闘するのに体力を消耗してしまって、すっかりブログを怠けてしまいました。何度か試みたのですが、途中で放棄する情けない有様です。週に2~3回のプール通いだけは、自立して暮らすための最大の良薬だと思って、必死で続けています。もう7年目に入りましたが、水中歩行を医師に勧められたと言って、お仲間になり、少し親しくなったら、プッツリいらっしゃらない、という方が10人を下りません。ただ黙々と歩くだけの単調な運動ですから、飽きてしまいますし、すぐに効果が出るものではないので、続けられる方が少ないのが残念です。

 予約不要で、好きなときに出かけられる映画がいまのところ、最大の娯楽です。記憶にとどめるために雑文を残したいと思いつつ、すべて挫折していますが、体力が回復したら、再度、挑戦してみます。

 あまり怠けていると、何かあったのではないかと心配してくださる有難い方がいらっしゃるので、来週こそ頑張ってみます。、

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