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正福寺地蔵堂@東村山市

 異常気象が通常になって、オロオロと過ごしておりますが、20日の日曜日は文字通り小春日和。スポーツ行事のため、市民プールの一般開放もなくなったので、いつかは行ってみようと思っていたお堂を訪ねました。

 2016年7月現在、国宝に指定された建造物は222件です。圧倒的に西高東低で、東京都は迎賓館赤坂離宮が指定されるまでは1件のみでした。先日、山梨県の二つのお寺を訪ねましたので、1952年に国宝に指定された東村山市の正福寺地蔵堂にも行かなければ。

 電車とバスを乗り継いで西武新宿線の東村山駅西口にに着くと、1時間に1便か2便のJR立川行のバスが停まっていました。電鉄会社も市もまるで文化財に関心がないようで、案内板など全くありません。徒歩15分程度ですが、方向音痴なので、これ幸いと1駅だけ西武バスに乗車。1分で正福寺というバス停に着いたのに、本領を発揮して反対方向に行ってしまい、とんだリハビリです。バス停付近にも案内表示は全くないのは、よほど来る方が少ないのでしょうか。正しい行き方は、バス停から東村山駅方面に10メートルほど戻り、最初の横断歩道を渡って、カネマンというローカル色満載のスーパーの脇を直進。住宅街の奥に山門が見えてきます。

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 山門は元禄14年(1701)に建てられた禅宗様の四脚門。四脚門は二本の門柱と四本の脚柱から構成される社寺や邸宅の正門に多く見られる様式です。

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 正福寺は、鎌倉時代の弘安元年(1278)に北条時宗によって創建されたと伝えられていますが、時宗の父の時頼だという説もあります。山門から真っすぐ進むと国宝に指定された地蔵堂がひっそりと建っています。昭和8年から始まる地蔵堂の解体修理の際に尾垂木から応永14年(1407)の墨書が発見され、建立年代が明らかになりました。鎌倉の円覚寺舎利殿とよく似ているそうですが、舎利殿は近くで拝観できないのに対して、じっくりと見せていただけます。境内に人影はありません。

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 地蔵堂は桁行三間、梁間三間の典型的な禅宗様のお堂です。10月に訪ねた下の写真の山梨県の清白寺とも非常によく似ています。清白寺は応永22年(1415)に建てられていますから、似ているのは当然かもしれません。どちらも裳階と呼ばれる庇を持っています。

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 正福寺の地蔵堂は地元では千体地蔵堂と呼ばれています。正面の額に金文字で「国宝千体地蔵堂」と書いてあって、気持ちはわかりますが、新しいものを掲げるのはどうでしょうか。正面中央には桟唐戸、その両脇に花頭口が配されています。

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 花頭口の両脇には花頭窓が設けられています。

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 側面から見たところです。お茶をなさる方は花頭窓はおなじみだと思います。

 お堂の内部は1年に3回しか拝観できません。千体地蔵堂と呼ばれるように、御本尊の地蔵菩薩像以外に江戸時代にさかのぼる、たくさんの地蔵菩薩像が安置されているそうです。お堂に入りきれないお地蔵様が外にもずらっと並んでいます。帰りに近くのお菓子屋さんで一体3000円で売っているのを見つけました。

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 右手の参道に12体の仏様が並んでいて、回忌や干支の守護聖人ならぬ守護菩薩の説明が添えられていました。たとえば三回忌の菩薩様は阿弥陀様、子年の菩薩様は観音様ですって。

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 参道の奥の本堂のあちこちに、金色に輝く北条氏の家紋「三つ鱗」が掲げられています。

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 静かな境内です。

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 境内の一隅に貞和の板碑が保存されています。教育委員会の解説は以下のとおりです。

 この板碑は都内最大の板碑といわれ、高さ285cm(地上部分247cm)、幅は中央部分で    55cmもあります。
 碑面は釈迦種子に月輪、蓮座を配し、光明真言を刻し、銘は「貞和五年己丑卯月八日、帰源逆修」とあり西暦一三四九年のものです。
 子の板碑はかつては前川の橋として使われ、経文橋または念仏橋ともよばれていました。江戸時代からこの橋を動かすと疫病が起きると伝えられ、昭和二年五月に改修のため板碑を撤去したところ付近に赤痢が発生したのでこれらを板碑のたたりとし、同年八月に橋畔で法要を営み、板碑をここ正福寺境内に移建したものです。

 これまであまり気にしていませんでしたが、鎌倉時代後半に関東を中心に板碑が阿弥陀如来の容像または種子として現れ、関東を中心に急速に広まりました。それは当時の新興勢力である浄土教や末法思想の地方への進出と関係があると考えられています。種子とは造立者が供養の対象として仏・菩薩などを示したもので、礼拝の対象でもあります。一般的な板碑は梵字を刻むことが殆どですが、画像や名号・題目の文字であらわす場合もあります。

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 残念! 東京都最大の板碑は覆屋の中に納まり、南京錠がかかっていました。

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 金網の奥の薄暗い空間に建っていますが、貞和という年号だけは読めました。

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 正福寺鎮守八坂神社。お寺と神社が境内に仲良く隣り合っています。

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 帰りは迷わずバス停に着きました。山門を出て、真っすぐ歩けばいいのです。

 バス停の前の和菓子屋さんで、千体地蔵最中を買いました。間もなく三回忌を迎える夫の仏前に供えようなどというと、殊勝すぎて、身にそぐいません。

「禅」と「櫟野寺」@東博

 11月8日から後期の展示が始まった「禅ー心をかたちにー」と初公開の櫟野寺の秘仏を拝観しに東博に行ってきました。臨済宗・黄檗宗の源流に位置する高僧、臨済義玄禅師の1150年遠諱と、日本臨済宗中興の祖、白隠慧鶴禅師の250年遠諱を記念する展覧会ですから、曹洞宗関係の出展はありません。

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 10月に山梨県の清白寺を訪ねたとき、境内の掲示板に門前からバスで見学に行く旨の告知が貼ってあって、行かなければと思っていました。本展は五章に分かれています。

 第一章 禅宗の成立

 ここでは達磨がインドから渡来して中国で禅宗が成立するまでの経過を歴代の祖師尊像を中心にたどります。とりわけ目を惹くのは、後期のみ展示される雪舟作「慧可断臂図」です。

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  少林寺で壁に向かって座禅を組む達磨に慧可が自らの左腕を切り落として決意を示し、入門を許されるという有名なエピソードを77歳の雪舟が描いています。達磨の眼光の鋭さが尋常ではありません。雪舟没後まもない天文元年(1532)に尾張国知多郡宮山城主の佐治為貞によって斎年寺に寄進されますが、現在は京都国立博物館に寄託されています。

 第二章 臨済禅の導入と展開

 臨済・黄檗15派の開祖や本山を肖像や墨跡を中心に紹介しています。建仁寺から萬福寺まで各寺から選りすぐりのお宝が並ぶ中、大徳寺蔵「後醍醐天皇宸翰置文」に目が釘付け。国民学校の校長先生のファナティックな楠公精神教育がトラウマになっているお方ですが、その墨跡の気韻には素直に感動しました。元弘3年(1333)8月24日の筆で、後醍醐天皇が大徳寺には開山宗峰妙超の門流のみを止住させる「一流相承」を認めた置文です。

 第三章 戦国武将と近世の高僧

 武将とそのブレーンとして活躍した禅僧たちの肖像や書状が中心ですが、とりわけ白隠の存在が際立っています。以前、白隠の展覧会でも拝見した「達磨像」が圧倒的な存在感を放っていました。

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 80歳を越えての最晩年作で、縦2m近くもある通称「朱達磨」。 「直指人心、見性成仏」の賛が入り、「自分の心にこそ仏が宿り, それを自覚することで仏になる」と説いているという説明がありました。この絵が今回の展覧会のシンボルのように、全会期、会場の入り口に置かれています。

 第四章 禅の仏たち

 禅宗は、仏像よりも高僧の人間味ある肖像が重きをなしているようですが、もちろん仏像もあります。配置のしかたや十牛図の説明など、お勉強になりました。

 第五章 禅文化の広がり

 敬虔な信徒の方には申し訳ないのですが、いちばん興味があったのが、この最終章です。

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 たとえば、この青磁たち。昨年、足利を訪ねた最大の目的は、鑁阿寺の拝観でしたが、寺宝は非公開です。青磁牡丹文の花生と香炉は、中国の浙江省にある龍泉窯で焼かれた名品です。寺伝では、香炉炉は足利尊氏、花瓶は足利義満の寄進によるものといわれています。後醍醐天皇と足利尊氏! 

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 茶道具も何点か展示されていましたが、ライトが当たって華やかに輝く「油滴天目」が見事です。関白秀次の所蔵からめぐりめぐって、いまは大阪の東洋陶磁美術館にありますが、なかなか拝見する機会に恵まれませんでした。

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とうとう見ました、実物を。妙心寺の退蔵院には何度か行っていますが、冒頭のチラシを飾る「瓢鯰図」は複製しか置いてありません。室町幕府の4代将軍足利義持が如拙に命じて描かせ、31名の賛が書かれた不思議な絵は教科書でおなじみだと思います。正直言って、いまだに意味がわかりません。

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 もう一点だけ。長谷川等伯の「竹林猿猴図屏風」にも初めて出会えました。この屏風と同じ図柄の屏風が昨年公開され、物好きにも七尾まで見に行きましたが、保存状態が悪くて、修補を経ても朧でしたので、やっとという感じです。

 11月8日からは、プライス・コレクションの若冲の作品2点も加わりました。

 疲れた身体に鞭打って、本館の「平安の秘仏ー櫟野寺の大観音とみほとけたち」と名付けられた特別展に向かいました。

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 滋賀県甲賀市にある櫟野寺には重要文化財に指定された仏像が20体あります。平成30年に完成予定の収蔵庫ができるまでの期間を利用して、初めてお寺の外に出たお像を拝観できる稀有の機会に恵まれました。台座・光背を含めると5mを超える十一面観音坐像は、御開帳の際もお厨子に納められているそうですから、側面や背面もを拝観することはできません。本展ではぐるっと回って拝観させていただけます。

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 お寺は空っぽじゃないかしらと心配になるほど、重文以外のお像もたくさん並んでいました。ずんぐりしたお姿の素朴な木彫も味わい深いものがあります。白洲正子氏の「かくれ里」で紹介されていると知って、慌てて発注しました。図書館には『白洲正子の「かくれ里」を行く』という写真集しかなかったので、とりあえず借りてきました。今年の3月に行った越前の平泉寺の美しい写真があって、懐かしく見とれています。暖かくなったら、あまり手強くなさそうなところを訪ねてみたいと思います。

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山形日和。・・・④米沢

 私の旅は原則、火から木の2泊3日。それを超すと、なにかと支障が出ます。今回も最終日になりました。外を見ると、晴れていますが、強風です。天気予報は、村山地方とか置賜地方と言っているので、さっぱりわかりません。山形市は村上で、米沢は置賜なんですね。400年前は、どうやら天童にいたらしく、上山で米沢から来た上杉勢と戦って討ち死にしたというぐらいしかわかりませんでした。

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 フロントで宅配便を二個発送して、ほとんど空のカートを引いて、米沢に向かいました。普通列車で46分、新幹線で34分。もちろん普通列車です。山形新幹線は正式な名前ではなく、新幹線と言っても、福島までは単線区間もありますから、あまりメリットはありません。

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 米沢市も市街地循環バスを運行していますが、山形市のように中心街だけではありません。そのかわり本数が少ないのが難点です。上杉神社前で満員のバスを降りて、まず米沢市上杉博物館に向かいました。

 「伝国の杜」内にある上杉博物館は、国宝「洛中洛外図屏風」「上杉家文書」ほか、数千にも及ぶ上杉家ゆかりの品々が収蔵されています。10月1日から11月27日まで「伊達氏と上杉氏」という特別展が開催されているので、織田信長が上杉謙信に贈ったとされ、狩野永徳作と伝えられる「洛中洛外図屏風」が見られると思ったのですが、残念、原本展示は10月14日まででした。それでも全面に金をあしらい、252のモチーフと2500人に近い人物が描きこまれた精巧なレプリカは見ごたえがありました。「常設展示室」にバーチャル画像で鑑賞できるコーナーもあって、やはり来てよかったと思います。

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 伊達氏というと仙台のイメージが強いのですが、鎌倉倉時代の初頭に伊達郡の地頭職を獲得した伊達氏は、南北朝時代の14世紀後半に置賜地方に勢力を伸ばします。16世紀になると、晴宗・輝宗・政宗の3代50年にわたって、米沢が領国の中心になりました。

 展示構成は、「プロローグ 伊達氏のルーツ」「第一章   伊達氏の置賜進出」「第二章   米沢城の主 ~晴宗・輝宗・政宗~」「第三章   国指定史跡 舘山城跡」「第四章   伊達氏家臣団」「エピローグ 景勝と政宗」となっていて、かなり中身の濃いものでした。

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 現在の米沢で存在感が強いのは上杉鷹山です。博物館にも「鷹山シアター」があって、鷹山ヨイショの映像を見せていただきました。仙台の美術館に若冲の展覧会を観に行ったときに実物を拝見した支倉常長の肖像の複製がありましたが、常長も米沢生まれだそうです。

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 上杉記念館に向かう道は秋の色に染まりかけた木々がお濠の水に映って、美しい景観です。上杉記念館の内部は、お食事処になっていました。

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 上杉記念館は、明治29年に最後の米沢藩主で伯爵となった上杉茂徳の本宅として米沢城二ノ丸跡に造営された、敷地5000坪、建坪530坪の大邸宅でした。大正8年の大火で焼けたあと、大正14年に285坪で再建されたのが、現在の上杉記念館です。

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 本丸跡の上杉神社に向かいました。米沢は謙信より鷹山です。 

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 ここが伊達政宗生誕の地だそうです。 

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 米沢城本丸跡には、明治9年に上杉謙信を祀る上杉神社が建てられました。大正8年の大火で焼失し、大正12年に現社殿が完成します。大正8年の大火は、1070棟を焼く大災害でした。10月29日が1774棟を焼失した酒田の大火から40年目に当たるというので、テレビ等で防災を呼び掛けていましたが、戦災以外で1000棟を超す建物が消失するとは、想像を絶します。

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 見どころはたくさんありますが、市街地循環バスを使えばあまり歩かないで行ける春日山林泉寺を選びました。全く同じ名前の上杉家ゆかりのお寺が上越市にもあります。山大正門前でバスを降りると2分ということでしたが、5分はかかります。山形大学工学部のキャンパスの端まで行って、堀江川に架かる橋を渡ると林泉寺です。

 林泉寺は今から約500年前、長尾景虎(後の上杉謙信)の祖父長尾能景が父重景の菩提を弔うために、越後国高田に建立されました。その後、上杉家を相続した謙信によって上杉家の菩提寺となりました。
 慶長6年(1601)、上杉景勝の米沢30万石減封によって、林泉寺も米沢に移りました。境内には上杉景勝の正室菊姫(武田信玄の娘)や景勝の母仙桃院、鷹山の側室お豊の方など、歴代藩主の奥方や子女の御廟のほか、直江兼続夫妻や武田信綱のお墓などがあります。

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  直江兼続夫妻の墓は、大河ドラマ「天地人」が放映されたころはさぞにぎわったことでしょう。この時代に、夫妻の墓が同じ大きさというのは珍しいそうです。,400年前は先祖の敵だったお方ですが、妻夫木さんのイメージのほうが上回ります。

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 米沢市内に上杉家廟所はもう一カ所あって、林泉寺の墓所は女性ばかりです。

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 山門を出て、バス停に戻る途中で山形大学のキャンパスを歩きました。

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 明治43年7月に完成した旧米沢高等工業学校の本館は、ルネッサンス様式を基調とした木造二階建てで、玄関の両脇に塔のような階段室を設け、変化のある立体構成が特徴です。階段まわりや会議室の天井部分の漆喰飾りなど、内装にも華麗な装飾が見られるそうですが、内部の見学は要予約です。昭和48年に国の重要文化財に指定されました。現在のJR米沢駅は、このデザインを取り入れたと言いますが、あまり似ていません。

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 キャンパス内の樹木は冬の準備が済んでいました。一隅に思いがけない碑が建っています。

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 ある時期、「青春とは…」で始まる詩が経営者などの間で熱烈な支持を受けていました。いまはどうか知りませんが、滔々と朗詠されてたじろいだものです。話は敗戦直後にさかのぼります。1945年9月27日に昭和天皇が、日比谷の占領軍総司令部にマッカーサー元帥を訪ね、並んで写真を撮られた部屋の壁に掛けられていたのが、ユダヤ系アメリカ人のサミエル・ウルマン氏が作った"Youth" という詩で、のちに松下幸之助氏が紹介して、有名になりました。

 この詩を翻訳した岡田義夫氏と、それを世に広めた森平三郎氏がともに旧米沢高等工業で教鞭をとられたというので、この碑ができたと書いてありました。

 やってきたバスで最上川を渡って駅前に戻り、新幹線に乗ると2時間で東京です。今年の高齢者独り旅は、たぶんこれで終わりでしょう。400年前に先祖が住んでいた場所を訪ねたいという思いで計画しましたが、多方面にわたって好奇心を満たすことができて幸せでした。

山形日和。・・・③上山(かみのやま)市

  午後はJRで13分の上山市に行ってきました。駅の観光案内所で地図をもらって、市民バスの発着場所を訪ねたら、「10分だから歩け!」。お城は聳え立っているので、迷うことはありませんが、10分では無理。

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 五か所ある足湯の一つ。

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 坂道を登ります。

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 JR奥羽線「かみのやま温泉駅」からのんびり歩いて役5分、小高い丘の上ににある月岡公園内に模擬天守を擁した上山城があります。天文4年(1535)に武衛(永)義忠が月岡・天神森に築いたと伝えられ、戦国時代には山形城を本拠とする最上氏の最南端の支城でした。上山城の争奪をめぐり、米沢の伊達氏や上杉氏との攻防の舞台となっていますが、最上義光の死から僅か9年後の元和8年(1622)に後継を巡って藩内で争いが起り)最上氏が改易されたのちは、ここに入る大名は目まぐるしく交替します。

 元和8年(1622)から能見松平氏が2代、寛永3年(1626)から蒲生氏が1代、寛永5年(1628)から土岐氏が2代、元禄5年(1692)から金森氏が1代、元禄10年(1697)から藤井松平氏が10代にわたって勤めています。
 
 いずれの大名も上山城を藩主の居城としますが、歴代藩主の中で城下町を含めた整備をしたのが土岐氏でした。元禄5年(1692)に土岐氏が越前国野岡へ移封すると、幕府の命令で上山城は破却されます。藤井松平氏が備中国庭瀬より3万石で入封して、上山城は再興されますが、天守はなく、二の丸に居館を設けた程度の城構えでした。明治時代になると廃城令によって廃城となります。

 現在の上山城は、昭和57年(1932)に外観が城郭風建築の郷土歴史資料館として290年ぶりに再建されました。詳細がわからないので、復元ではなくて、模擬天守です。

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 入口付近に、土岐氏の江戸上屋敷にあった七層塔が建っています。エレベーターがあるとわざわざ書いてあって、ニッコリです。

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 古墳時代から始まって、蔵王修験や土岐氏にまつわる展示が多く、ひそかに期待していた慶長出羽合戦における先祖の活躍などは全く触れられておりません。
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 最上階の展望台から上山市内を見下ろしました。
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 模擬天守のある資料館の右側の広場が、かつての上山城跡です。
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 坂を下っていくと、武家屋敷案内図に出会います。
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 上山城の西・北一帯には武家屋敷が並び、とくに仲丁通りには藩の要職にあった家臣が居住していました。現在、4軒が保存されています。建築時期は17世紀中ごろです。、茅葺屋根、鈎型の曲屋で玄関と通用口を別にする武家中門造りで、周辺には土塁又は土塀が築かれていました。
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 森本家の先祖は丹波国出身で、篠山城主松平氏の家臣となり、元禄年間に松平氏が上山藩主として入部したとき、森本氏の三代目の時代に当地に来ます。現在の屋敷に引っ越したのは文久年間で、一部は模様替えはしたものの先住者から引き継いで居住していると書いてあります。
 三輪家がいちばん見どころが多いのですが、残念ながら水曜日はお休みです。事前調査では月曜が休みとなっていましたが、資料が古すぎたようです。庭師の方々が樹木の手入れに精を出していました。
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 続いて山田家屋敷。ここも現在も居住されているので、お庭の一部だけしか見学できません。水琴窟はそれほど古いものではなさそうでした。
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 最後の旧曽我部家に近づくと、子どもたちの賑やかな声が聞こえてきます。2015年から放課後の子どもたちの居場所として、「かみのやま寺子屋」と名付けて開放されています。
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 若い男性と年配の女性が見守っていて、子どもたちは勉強したり、裏庭で走り回ったり楽しそうでした。
 足腰が苦情を言っていますが、あまり遠くなさそうなので、春雨庵に立ち寄りました。
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 春雨庵は、紫衣事件で流された沢庵和尚が3年間過ごした場所です。紫色の法衣や袈裟は、古くから朝廷が徳の高い僧や尼に与えるもので、朝廷の収入源でもありました。これに対し、慶長18年(1613)に、江戸幕府は朝廷がみだりに紫衣を与えることを禁じます。ところが後水尾天皇は強く反対し、大徳寺の住職だった沢庵和尚らも同調します。
 寛永6年(1629)に、幕府は反抗した高僧を流罪に処し、沢庵は出羽国に流されました。この事件は幕府が朝廷より上に立ったことを意味します。3年後、徳川秀忠の死に際して大赦令が出され、江戸に上った沢庵は徳川家光の帰依を受けます。
 現在の建物は、昭和28年に沢庵が江戸で開いた東海寺から一部を譲り受けて再建したものです。管理している方が扉を開けて庵に入ってVTRを見るよう勧めてくださったので、ありがたく見せていただきました。駅まで15分ほど歩いて、歩数が14000歩を超してしまったのは、整形外科の先生には内緒です。隣の駅は無人駅の茂吉記念館前ですが、その付近で、昨日、新幹線がカモシカをはねたそうです。仙山線の山寺駅付近では、降り注ぐ落ち葉で列車がよく停まるとホテルの方が言われていました。なにやら鄙びたお話です。
   
        
        
         

         
 

         

        

        













































































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