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京・近江の春旅・・・⑥鴨稲荷山古墳&高島歴史民俗資料館

 ここで一気に古代に突入します。高島市は、古代史のなかでも注目すべき人物の生誕地だという説がありますが、それが継体天皇(オホド王)です。私が日本史とかかわっていたころ、江上波夫氏の騎馬民族征服王朝説や水野祐氏の三王朝交代説が万世一系論を否定する学説として喧々囂々と議論されていました。古代史については『記紀』のほかには『上宮記』ぐらいしか文献資料がないので、それをどう解釈するかによって、いろいろな理論構成が可能です。

 水野氏の説は、非常に簡単に言ってしまえば、皇室は、①崇神王朝(三輪王朝)、②応神王朝(河内王朝)、③継体王朝の三王朝が交替しているというもので、天皇の名前や考古資料も援用して、センセイショナルに展開されました。ただ、水野氏は継体天皇は越前の勢力だと考えているので、話は簡単ではありません。『日本書紀』によれば、武烈天皇の跡継ぎがいなかったので、福井県にいた応神天皇五世の孫というオホド王が迎えられた、なぜかすぐには大和に入らず、各地を転々としたのち、19年たって、やっと大和に入ったとされています。結婚後、10年ほど住んだ大阪府枚方市にも継体天皇が暮らした樟葉宮跡がありました。

 1902年に県道改修のさい、鴨稲荷山古墳と名付けられた未盗掘の古墳が発見されました。全長60mの前方後円墳で、後円部に横穴式石室が構築され、家形石棺が納められていました。副葬品のおもなものは、金銅製宝冠、飾履、金製耳飾、金銅製大刀などです。被葬者は、6世紀代の貴人で、継体天皇を擁立した三尾氏の族長だと推定されています。

 コミュニティバスがあることはありますが、便数が少ないので、安曇川駅からタクシーで古墳まで行きました。途中で継を体天皇の胎盤を埋めたという胞衣塚が見えたりして、越前・説への対抗意識まんまんです。地図の田中王塚古墳は、継体天皇の父・彦主人王のお墓だと伝えられています。

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 いまは石棺の上に保存のための建物が建てられています。墳丘が良く見えるベンチに荷物を置いて、写真を撮っていたら、自転車で通りかかったご婦人が大声で叫んでいるので、何かと思ったら「カラス! カラス!」。付近には食事ができる場所がないので、買ってきたお弁当を盗まれました。あーあ。しかも、一生懸命撮ったつもりの写真はカメラの不具合で何も写っていないことにあとで気が付く始末。カメラも汚されて、踏んだり蹴ったりです。

 気を取り直して、古墳から150mの高島歴史民俗資料館に行きました。

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 出土品のおもなものは京博が所蔵しています。前日に行ったのですが、特別展の開催時は閉鎖されていてみられません。しかたがないから資料館の精巧なレプリカで我慢しましょう。昨年、「黄金のアフガニスタン展」で見たティリヤ・テペ出土の金冠と並べると、材質もデザインもはるかに素朴ですが、歩揺状垂飾を多用する様式は似ています。

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 ↑鴨稲荷山古墳出土の金銅冠 ↓ティリヤ・テペ遺跡出土の金冠Pho_g10Oookamo3

 履は、装飾が足の裏にまで施されているので、歩けません。「埋葬用の品」か「儀式の際、足が付かないほど高い椅子に着座して履き、足をぶらぶらさせて歩揺をきらめかせた」か、説が分かれています。

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 金製の耳飾のレプリカです。

 継体天皇については、多くの謎があり、朝鮮半島との関連も考えられそうですが、古代から近世にわたる展示品を眺めて、わくわくする時間を過ごしました。タクシーを呼んでいただいて、近江高島駅の近くで降りました。大溝陣屋遺跡や町割り水路などを見学したのち、近江高島駅前に戻りました。

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  1619(元和5)年に大溝藩主として入った分部氏によって整備された武家屋敷地の出入り口の中でいちばん重要な門。

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  分部氏は、町人地の通り中央に生活と防火に備えた町割り水路を設けました。現在の水道のように、水路を流れる水は人々の生活と密着して利用されていたようです。

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 ここから駅に向かう途中に「高島びれっじ」と名付けられた商業施設があります。古民家を利用したお店が多いのですが、屋外休憩所でコンビニで買ったサンドイッチでチープなお昼をいただきました。

 写真は失敗でしたので、以上の写真は、すべて公式サイトからお借りしました。 

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 ここから次の目的地に向かいます。乗合タクシーの到着時間は2時43分です。

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コメント

金銅冠、みたいです。継体天皇のことも面白そうですね。 日本史にうといのですが、何年か前に買いそろえた 朝日百科日本史シリーズ をちらりと見てみました。
今城塚古墳というのもあるそうですね。仏像はまだ苦手ですが、古墳時代は面白そう。 百済との関係も 韓ドラの影響か気になるところ。おかげさまで グーグルマップの日本地図に 星マークが増える一方です。いつか行きます! 

高島市はとても古墳の多いところです。琵琶湖の水運は、古代の人々にとっては大動脈で、朝鮮半島との交流の深さもうかがえました。呪術的な色彩の濃い崇神王朝、巨大古墳に埴輪を伴った応神・仁徳王朝、その王朝と男系ではつながりの薄い継体王朝は、断絶があっても納得できそうな気がします。継体天皇の妃の一人が応神・仁徳王朝の最後の天皇である武烈天皇の姉の手白香皇女なので、女系ではつながっていますが・・・。
 手白香皇女の御陵のある大和の引手の山あたりを友人と歩いたのは遠い昔になってしまいました。今城塚古墳についても、議論がありましたが、継体陵で間違いないようですね。高槻市だというのも謎めいていますし、奈良時代に淡海三船がそれまでは○○のミコトと呼ばれていた大王にまとめて贈り名をつけた時に継体と付けたのも意味ありげだと言う方もいます。継は継母のように血縁関係のないときに使う字で、血のつながりがあれば嗣を使うとか。そういえば秋篠宮に皇嗣殿下という称号をつけるそうですね。古代史は好きなので、話し出すとやめられません。

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