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京・近江の春旅・・・⑧堅田

  4月13日(木)は、快晴です。宿に荷物の発送を依頼して、リュックだけになりました。近江高島駅まで送っていただいて、湖西線で15分後に最終目的地の堅田着。来るときは鈍色だった湖は、桜に縁取られて輝いています。琵琶湖で対岸との距離が最も狭い箇所の西岸に位置する堅田は「湖族の郷」と呼ばれています。地元の方が、以前は「湖賊」だったが、司馬遼太郎氏が「湖族」に変えたほうがいいと提案されたと言われていました。堅田は、平安時代から京の都の外港として重要な役割を担い、湖上の「関務権(琵琶湖を航行する船を取り締まる権利)」「漁業権」「上乗権(船に乗り込み、安全に運行させる権利)」を掌握した堅田衆の活躍で、「堅田千軒」と呼ばれる豊かで活気あふれる自由都市が築かれました。

 堅田には多くの寺社が建立され、南北約2㌔の湖畔地域に六社と十ヵ寺が現存しています。そのすべては回れませんが、堅田町内循環バスで4分の堅田出町で下車し、浮見堂の一番乗りを目指します。本堅田の都市景観賞を受賞された民家の前を通りました。

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 天台宗の妙盛寺は、入りにくい雰囲気でしたので、通り過ぎました。

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 湖族の郷資料館と本福寺はすぐわかりましたが、見学は後回しにして浮見堂に急ぎます。

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 浮見堂は満月寺と称する臨済宗大徳寺派のお寺です。995年ごろに源信(恵心)僧都によって開かれたと言われますが、現在の浮見堂は昭和12年の再建です。

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 庫裏に続いて、浮見堂の古材を用いた茶室が建てられています。久しぶりの青空を浴びた松の影の濃さも嬉しい限り。

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 この景色を独占できるなんて、贅沢です。近くに観光バスの駐車場がありましたから、早めにきて正解だと思いましたが、午後になっても団体様は見当たりませんでした。

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 浮見堂の裏手からあたりをのんびり眺めました。遠くに琵琶湖大橋が見えます。

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 右のほうにイタリア料理のお店を確認。2日間、まともなランチをいただけなかったので、ここで取り戻そうと、予約を入れました。

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 誰もいないなんて、ありえない!

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 観音様はお厨子の中で、扉に写真が貼ってあります。 

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 うらうらとした気持ちで、満月寺を後にしました。

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 2,3分で、満開の桜で装った伊豆神社。創立は宇多天皇の時代の892年にさかのぼります。1569年に兵火で焼けてしまいますが、すぐに再建され、現在に至っています。伊豆神社という名前は比叡山の僧侶が伊豆の三島明神を勧請したことによっているそうです。 

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 盛りの桜を愛でる人も見当たらず、静かなお宮でした。

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 入口の張り紙通りのお作法で参拝してきました。

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 次は、本福寺。ここは少し思い入れがあるのですが、近づくと賑やかすぎる幼児の歓声に、ちょっとイメージが壊れました。境内に「こども園」が建っていて、保育士さんに見守られて、子どもたちが走り回っています。

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 門前に「本願寺舊址」と刻んだ石柱が立っています。蓮如上人が応仁の乱を避けて、近江布教の拠点とした所だという矜持が感じられました。また芭蕉の最古参の門人である千那がこの寺の住職であったため、芭蕉はこの寺に泊まり、多くの句を残しています。

 本福寺と聞いて思い出すのは、学生時代にゼミのテキストだった本福寺の六代目の明誓が記した「本福寺跡書」です。この中に記されたさまざまな歴史的事象は、庶民レベルの感覚でとらえられているので、真実の歴史を知ることができる文書です。割り当てられた部分の解釈をしどろもどろで報告した若いころが蘇ってきました。

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 本堂裏の牡丹園が開花のときを待っています。

 先ほど通り過ぎた「「湖賊の郷資料館」に入り、年配の男性の解説で堅田の歴史をお勉強というとカッコいいのですが、ほんの少し賢くなりました。実は堅田で興味があったビッグスリーの一つ、居初氏庭園(天然図画亭)は要予約ということでしたが、電話が通じません。堅田駅の観光案内所で尋ねると、ご当主が体調を崩されて・・・。ところが、資料館に5月28日だけオープンというチラシを見つけ、今回、断念した堅田からバスで行く葛川息障明王院訪問と併せて再訪を考えています。われながら、しつこい性格です。

 館内の写真は資料館のHPからの転載です。

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 11時半に予約したイタリアンのお店、ペコリーノに向かいます。このあたり、浮見堂の隣のちょっと敷居の高そうな料亭があるだけで、あまり選択肢はありません。ペコリーノは堅田藩陣屋跡に建っています。江戸時代、四代将軍徳川家綱の大老として権勢を誇った大老堀田正俊の一族が六代にわたり、約130年間、陣屋を置いた場所です。

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  •  ここがイタリアンのペコリーノ。

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     予約優先で特等席に案内してくださいました。朝、行った浮御堂がよく見えます。
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  •  前菜です。

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  •  あまりイタリアンらしくないのですが、メインは近江牛のシチューにしました。

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     ドルチェは不思議な食感です。
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  •  まだ時間があるので、午前中に行けなかった二つのお寺を訪ねます。いささか案内表示が不備で、資料館の方に教えていただいてたどり着けました。祥瑞寺は、臨済宗大徳寺派のお寺で、室町時代の応永年間(1394~1428)に、京都大徳寺の僧・華叟宗曇(かそうそうどん)が開きました。

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     「一休和尚修養之地」という石碑が立っているように、頓智話で有名な一休は、苦心の末、許されて入門し、22歳から34歳まで、このお寺で修行しました。関西に住んでいたころ、幼い子どもたちを連れて、軽自動車で近場のお寺を訪ねましたが、山城の一休寺(酬恩庵)もその一つです。さまざまな人生遍歴を経て一休寺で入寂した一休の墓所は、後小松天皇皇子の陵として宮内庁が管理していました。ただし、足利義満の子だという説もあります。一休寺も再訪したくなって、困ったものです。

     本堂は、昭和初期に再建された建物ですが、鎌倉時代の禅宗寺院建築の様式を忠実に踏襲しています。、

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     境内の芭蕉の句碑には、「朝茶飲む僧静かなり菊の花」と刻まれています。
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  •  句碑が立つ庭は静まりかえっていました。

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     白い雲と白い塀、桜、棕櫚。

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     最後にお参りした光徳寺は、本福寺のすぐそばに建っていますが、午前中は気が付きませんでした。観光協会の方、もう少し案内表示を増やしてください。
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     本堂の前の枝垂れ桜は満開です。兼好法師に「花は盛りに、月は隈なきをのみ、見るものかは」と言われても、やはり絢爛と咲いているほうがいいです。
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  •  このお寺で有名なのは、「堅田源兵衛の首」の物語です。応仁の乱(1467年)が起こったとき、蓮如上人 は親鸞 聖人の御真影(祖像)を持って  本福寺に移住されますが、その後、御真影を三井寺に預けます。返してもらおうとしたら、三井寺に「首を二つ持ってこい」と言われ、漁師源兵衛は父源右衛門に自分の首を斬らせて、それを持った父が自分の首も切ってくれと言って差し出したという浄土真宗の殉教物語が伝わっていて、源兵衛の頭蓋骨が拝めますが、あまりに恐れ多いし、ご遠慮しました。境内の源右衛門親子の銅像もちょっと怖いです。

     町内循環バスの乗り場がわからず、困っていたら、バスが近付いてきて、運転手さんが「あっち」と身振りで教えてくださいました。20mほど、禁断の全力疾走を余儀なくされて、やっと乗れましたが、知っている人にしかわかりません。

     湖西線で24分で京都。ずっと人影もまばらなところを歩いていましたから、京都駅構内の混雑に気おされながら帰途に就きました。今年も、いい旅ができて感謝しています。

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    コメント

    浮見堂、 この写真、どこかで観たよう、、、。有名なところなのでしょうね。(すみません、 あまりにも無知で)
    いい景色!

    堅田という町の名前もはじめてですが、落ち着いたよい町ですね。
    お寺のお庭もきれいです。 桜も咲いて 良い時期に旅されましたね。
    ペコリーノも 地図に星markをいれました。 湖のほとりで イタリアン、 いいですねえ。
    ペコリーノは cheeseの名前。このcheeseは大好き、今回の旅でも買ってきました。
     

    ykさま
     湖東は、彦根、安土や湖東三山など、見どころが多いので、賑わっていますが、湖西は本当に静かです。司馬遼太郎氏は湖西が好きで、のちに大部になる『街道をゆく』を「湖西のみち」から始められた理由もわかるような気がします。堅田は近江八景に数えられ、広重の浮世絵にもでてきますから、もう少し人が多いかと思いましたら、平日のせいかひっそりしていました。
     ペコリーノというイタリアンのお店は、ちょっとわかりにくいという情報を得ていましたが、浮見堂から見えましたので、迷いませんでした。ほかには鴨料理のお店があるだけで、混むときは混みそうです。

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