最近のトラックバック

2017年10月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
無料ブログはココログ
Photo by フリー写真素材 :: Free.Stocker

« 姉と友と | トップページ | 陸奥の旅・・・③盛岡 »

陸奥の旅・・・①角館 

  母方の祖母は盛岡の南部家家臣の家に生まれ、若くして遊学し。女子美の2回生だったと聞いていますが、母が早世したため、縁が薄く、詳しいことは何もわかりません。それでもルーツの一つですから、まだ足が動くうちに行っておきたい場所が盛岡でした。ついでにと言っては申し訳ないのですが、新幹線で県境を越えて桜で有名な角館まで行って、翌日、盛岡を訪ねる予定を立てました。ラッシュアワーを避けた行程ですから、角館に着いたのは13時24分です。何事も何周も遅れていて、やっとタブレットに慣れましたので、新幹線の中でナンシーで上演された「セミラーミデ」のライブを視聴しました。ロッシーニのオペラの中でいちばん好きなオペラは、とてもインパクトが強く、新緑の角館を歩いていても、身体の中で鳴り響いていました。

  5月も18日となり、桜が散ったあとの角館は閑散としています。有名な観光地だけあって、いろいろな建物がそれらしい雰囲気を作りこんでいます。

Dsc01562

Dsc01561

 観光案内所は名前のとおり蔵造り。

Dsc01477

 徒歩で観光する者は想定外かもしれません。路線バスも市民バスもひどく本数が少ないのですが、調べたとおり待ち時間10分で市民バスが来ました。乗客は2人です。角館には二つの武家屋敷通りがあって、このバスは田町武家屋敷通りの西宮家前に停まります。

Dsc01481

Map07

 角館の町は元和6年(1620)に葦名義勝によって造られました。古城山城を北端に南に向かって3本の道路を設定して、町づくりが進められています。当時、内町の武家屋敷群とは別に、町の南側地区「田町」に80戸の武士が住む事になりますが、彼らは、秋田藩主佐竹氏直臣でした。葦名義勝は秋田の領主佐竹義宣の実弟です。田町に住んだ武士の中でも筆頭格が西宮家で、明治後期から大正時代にかけては地主として繁栄し、その時代に建てられた5棟の蔵と母屋が商業施設として使われています。

Normal

Dsc01486

Dsc01489


Dsc01483


Dsc01485

 西宮家の筋向いは、角館出身で新潮社の創業者佐藤義亮氏にちなむ記念館ですが、素通りしました。

Dsc01487

 次に、この界隈で気になっていた常光院を訪ねました。角館の葦名氏は3代で断絶し、佐竹氏の支族である佐竹北家が11代にわたって領主となります。常光院は佐竹北家の菩提寺ですが、それらしい雰囲気はありません。代わって、目を惹いたのは戊辰戦争戦没者墓地です。

Dsc01497

Dsc01492

Dsc01493

Dsc01494

 戊辰戦争のおり、佐竹北家は新政府軍に付いたため、幕府に忠誠を誓う奥州列藩同盟に攻め立てられました。はるばる九州から援軍としてやってきた大村藩士や平戸藩士などの戦没者が病院となっていた常光院に葬られたそうです。中には15歳の少年もいて、傷ましいと思いました。

Dsc01498

 案内板に従って桧木内川のほとりに来ました。半月前なら見事な桜が見られたかもしれません。誰もいない堤は、それはそれで趣があります。 

Dsc01499

 横町橋のたもとで右折すると、内町の武家屋敷はすぐそばです。

Buketizu_001

Dsc01519

 内町の武家屋敷町は道路の幅から曲がり角まで、390年前の姿をとどめています。まず小野田家と河原田家が隣り合っていて、無料公開。屋内に入ることはできませんが、戸を開け放って、よく見えるようにという心遣いが嬉しいです。16世紀末に開花した秋田蘭画の中心人物の一人である小野田直武は、この小野田家の人でした。

P_20170518_145007_hdr_2

P_20170518_145057_hdr

P_20170518_145407_hdr

時間がないので、資料館も素通り。

P_20170518_145658_hdr

Dsc01520

 資料館より見ごたえがあるという青柳家に着きました。武家屋敷は300坪が平均値ですが、周囲の土地を買い取って、3000坪の敷地に母屋を始め、多くの建物を配して、「角館歴史村」と称しています。入場料は500円でした。

B45b4089ecebc98723a5d99a868cc0bc

Dsc01522

Dsc01521

 母屋は200年前の建物がそのまま残っています。

Dsc01524

Dsc01525

Dsc01527

Dsc01529

 二階建ての武器蔵には青柳家のルーツを伝える武具や江戸時代からの文献が収められています。

Dsc01530

 裏山から庭園内の池に数百年間絶えず流れ込む沢水は神明水と呼ばれています。

Dsc01533

解体新書記念館には青柳家の親戚にあたる小野田直武の業績を顕彰する展示があります。直武は1774年に日本最初の本格的な西洋医学の翻訳書である『解体新書』の附図を描いた人です。

Dsc01536 

 小野田直武像はまだ入口で、まだまだ展示館が続き、さながらテーマパークです。

Dsc01545

 こちらは佐竹北家の家臣で、財用役や勘定役といった財政面を担当していた石黒家の屋敷です。美しいお嬢さんが丁寧に説明してくださって、好感が持てました。400円です。

Dsc01540

Dsc01541

 欄間の亀の透かし彫りがご自慢でした。

Dsc01543

 代々の当主の五月人形が飾られていました。

Dsc01539

 簡素ながら格式を感じさせるお庭でした。

Dsc01544

Dsc01547

 静まりかえった新録の通りに清冽な沢水が流れています。4時半閉館の平福記念館に急ぎました。

Dsc01548

Dsc01550_2


Dsc01551_2

 武家屋敷跡に大江宏氏設計の「平福記念美術館」が建っています。角館出身で近代日本画の巨匠と言われる平福穂庵・百穂父子の作品の常設展とおもに郷土の作家の特別展を見せていただけますが、この時期の特別展は小松みどり氏の写真展でした。

Matumaeainu_002

 平福穂庵の作・松前アイヌ帰漁の図 (1883年頃)

B99730_05
 こちらは百穂の1912年の作品を今年のカレンダーにしたものです。100年以上前、百穂は雑誌「婦人之友」の表紙を手掛けていました。私が生まれる前に亡くなった方ですから、継母が購読していた「婦人之友」の表紙は別の方の作品ですが、鮮やかな罌粟の花を美しいと思いました。

 ここから角館駅まで徒歩25分。最後の力を振り絞って、もう一カ所に向かいます。

Dsc01553

 武家屋敷のハナズオウが夕日に映えていました。我が家のハナズオウはずいぶん前に終わってしまいまいしたから、やはり北国です。

Dsc01555

 やっと着いたのが町はずれの葦名家菩提寺である天寧寺。角館の領主としては3代で終わった葦名氏の最後の跡継ぎ千鶴寿丸は参詣したおり、縁側から落ち、沓脱石に頭をぶつけて3歳で亡くなったそうです。

Dsc01559

Dsc01558

Dsc01556

 境内はあっけらかんとした雰囲気です。ここからうんざりするほど歩いて、角館駅前の「フォークロロ角館」にたどり着きました。この日の歩数は18000歩を超えて、もうへとへと。角館のお宿はあまり選択肢がありません。駅から30秒という一点でここを選びました。

Dsc01560

« 姉と友と | トップページ | 陸奥の旅・・・③盛岡 »

旅行・地域」カテゴリの記事

コメント

18000歩ですか!ゼロが一つ多い!大丈夫ですか?
角館には何年か前、娘に誘われて花見に行きました。確か四月八日だったと思いますが、寒くて閉口しました。川沿いの桜並木がきれいでしたが、観光バスが沢山止まっているのにあまり人がいないので不思議に思ったら大きなテントが用意されていてその中で宴会をしているようでした。中国からの観光客も多いようでしたね。
桜なら弘前城のほうがいいよと前の晩泊った盛岡で言われましたが。
こんなにいろいろ見るところがあるのですね。歩くのが嫌いな夫も同行していたので桜だけで十分でしたが。
帰りに駅長さんのアナウンスで満開宣言がされていましたっけ。ここからカタクリの群生地も近いようで、紹介のポスターも張られていました。

恥ずかしながら、またほっつき歩いています。いま京都のホテルにチェックインしたところです。もう残り時間が少ないので焦ります。明日は暑くなりそうなので、逃げ帰ります。

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 姉と友と | トップページ | 陸奥の旅・・・③盛岡 »