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近江と南山城・・・④葛川明王院

  堅田から江若バスで46分、叡山の山麓を走って、「途中越え」で有名な途中を過ぎ、花折峠の坂道を登ると、安曇川ぞいの葛川(かつらがわ)地区に明王院があります。いつもどおり市街地を過ぎると、乗客は私だけです。このあたりは1000m級の山々が連なる比良山系の登山口になっていて、登山カードを入れるボックスを見かけました。

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 明王院に行く途中に高級料亭の比良山荘があります。

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 清らかな沢水が音を立てて流れていました。

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 地主神社は帰りにお参りすることにして、明王谷川に架かる朱塗りの三宝橋を渡ると、石垣の参道の向こうに葛川明王院が見えます。

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 拝観をお願いしようと道を隔てて左側の政所表門から社務所を訪ねたのですが、「作業中なので、ご用の方は電話してください」という携帯電話の番号付きの張り紙が掲げてあって、ひっそりとしています。ここは拝観料をお払いするような観光寺院ではありませんでした。政所表門は江戸時代初期の建立です。休憩所には茶菓の用意がしてあって、壁には回峰行者さんの写真が貼られています。明王院は、貞観5年(859)に比叡山無動寺の相応和尚によって創立され、葛川での参籠修行(葛川参籠)は、かつては旧暦6月の蓮華会(水無月会)と旧暦10月の法華会(霜月会)が7日間にわたって行われていましたが、現在は蓮華会のみが夏安吾と称して7月16日から20日までの5日間にわたって行われています。夏安居は山林徒渉とともに回峰行の重要な修行に位置づけられ、百日回峰は葛川での夏安居に参加しなければ満行とは認められないそうです。

 中世から近世にかけて、葛川参籠を行った者は参籠札という卒塔婆形の木札を奉納することが習わしで、元久元年(1204)銘のものを最古として、約500枚の参籠札が残されています。その中には足利義満や足利義尚、日野富子のものも含まれ、葛川参籠が広い階層によって行われたことがわかります。

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 振り返った景色です。

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  階段の上は本堂、右側は護摩堂。

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  宝暦5年(1755)建立の護摩堂。天保5年(1834)建立の奥の庵室は、行者が寝泊まりする建物で、内側は畳敷きです。

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 石段を登りました。 

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 杉木立の中に本堂が建っています。

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 自由にお堂に上がれます。

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 本堂は正徳5年(1715)の建立ですが、保存修理工事の結果、平安末期に建立されたお堂の部材の一部が転用されていることがわかりました。境内の発掘調査によって、平安末期には現状に近い寺観が整えられていたと推定されています。『梁塵秘抄』に葛川への参詣道について歌った今様が収められていますし、九条兼実の日記『玉葉』の治承5年(1181)6月18日条に、「今日より法源が葛川に参籠した」という記述が年代のわかるいちばん古い資料として知られています。

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 お堂の中に4月に行った京博の海北友松展のポスターが貼ってありました。

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 この格子の奥に、本尊の千手観音像と脇侍の毘沙門天像・不動明王像が安置されていますが、本尊は秘仏です。このお像は、相応の時代まではさかのぼらず、平安時代末期(12世紀)の作とされています。

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 虚飾のない清々しいお堂でした。最後まで誰にも会わない静かな境内です。

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 三宝橋を渡って、地主神社に向かいました。

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 どこにいても明王谷川の滔々とした瀬音が聞こえてきます。

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 地主神社は明王院の横を流れる明王谷川に架けられた三宝橋のそばにあります。祭神は国常立命ですが、この地の地主神である思古淵明神(しこぶちみょうじん)も祀られています。思古淵は安曇川流域に多く祀られる神で、この地域の開拓の祖神であり、水の神として、崇められています。
 ひっそりとした境内には、拝殿・弊殿・本殿の三棟が一直線に並んでいます。拝殿は新しい建物ですが、弊殿・本殿は室町時代の建築です。

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 左から本殿、幣殿、拝殿が並んでいます。

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 本殿は春日造と呼ばれる左右が反り上がるもので、大津には珍しい建物です。前面の蟇股といわれる部分には、牡丹・唐草・笹竜胆・蓮など12種類ものデザインの彫刻がなされ、しかも左右対象という非常に凝ったものに仕上げられています。

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 拝殿から幣殿・本殿を写してみました。

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 境内社の思古淵明神・大行神社・ 山神社が可愛らしく並んでいます。

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 坊村のバス停付近の民家は昔は茅葺だったのでしょうね。こういう民家は4月に訪ねた常照皇寺のある村落でも見かけました。京都から若狭に向かう街道でつながっているから当然といえば当然です。バスを待っていたら、登山帰りの中学生が十数人。次の停留所でも今度は中高年の登山客がドッと乗ってきて、行きに心配していたバス会社の経営問題はひとまず解消しました。あとから乗ってきた中高年が「女の人だけ座らせて」と中学生に言って、結局、全員が座っていました。山道を立ちっぱなしは辛いので、ここを訪ねるときは、早めにバス停に行くことをお勧めします。

 堅田からJRで京都に向かい、駅前のホテルにチェックイン。4月に利用したとき、ホテル内のレストランがあまり・・・でしたので、伊勢丹地下の老舗弁当コーナーで、噂の和久傳の二段弁当を購入しました。      

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