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近江と南山城・・・③居初氏庭園

 実はこの時期に近江を訪ねようと思ったのは、4月に湖西の堅田を訪ねたときの宿題が二つあったからです。一つは滅多に入れない居初氏庭園、もう一つは土日以外はバスの便がうまくつながらない葛川明王院。この二カ所を目指して、守山まで行って、堅田行のバスに乗りました。居初氏庭園は5月28日を逃すと、次は秋まで入れないので、電話で見学会の予約を入れてあります。守山発の江若バスは琵琶湖大橋を渡って湖東から湖西に行きます。堅田駅前から市内循環バスが居初氏庭園の近くまで行っていますが、降りたあとがわかりにくいという情報があったので、タクシーに乗りました。これが大失敗。料金をと思ったら、お財布が見当たりません。もたもたしていると運転手さんに悪いし、バッグの奥にあるだろうと軽く考えて、予備のお金で支払って、今度は見学会の会費500円を出そうと思って、くまなく探せど、行方不明!

 落としたとしたら、江若バスか、路上か、タクシーです。親切な観光協会の方が電話で照会してくださっているので、和菓子とお抹茶をいただきながら、お庭を拝見。現金はわずかですが、カード類の始末が面倒ですから、落ち着きません。

 堅田は古くから湖上交通の要衝で、中世には堅田衆と呼ばれる自治組織が支配し、水上交通・漁業権・徴税などの特権を持っていました。居初家は、平安時代は下鴨神社に食料などを貢納する供御人の系譜をひく旧家です。12~13世紀には「三党」と呼ばれる居初、小月、刀禰の3家が存在し、中世末期まで勢力を保っていましたが、豊臣秀吉が湖上の自由交通を認めたため、堅田衆の勢力は衰えます。江戸時代になって、幕府への請願の結果、居初家は舟運を取り仕切る権利が再び認められました。

 居初家は文化人との交流があり、現存の居初氏庭園と「天然図画亭」と称する書院は、茶人藤村庸軒によって作られたものです。書院の北から東に広がる庭園の東側hは、琵琶湖の湖面と対岸の三上山などの山並みを借景としています。

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 庭園には延段(自然石や切石を直線状に敷き並べた通路)が配されています。

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 書院は入母屋造りの茅葺で、幅5尺の広縁を巡らせています。

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 もう少しゆっくりしたかったのですが、タクシーの運転手さんがお財布を届けてくださったので、お礼もかねて乗せていただきました。午後のバスまでまだ時間があります。「お勧めのところはありますか」と観光協会の方に伺ったら、「私が経営しているビューロッジ琵琶のある真野浜は絶景ですよ」と言われて、素直に従いました。時間がなくて、↓の2枚の居初家の外観の写真はwikipedia所載のものです。

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 住宅外観。中央が主屋。出格子の左側に入口があります。

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 庭園への入口の塀門。ここから入ることはできません。

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 真野浜は、ひたすら湖。夏は賑わうのでしょうが、ひっそりしています。

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 ビューロッジは本日休業でした。しばらく湖を眺めてから、タクシーに電話して、駅の近くのお食事処で降ろしていただきました。

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 運転手さんお勧めの「こはち」は、地元の方々でにぎわっていました。接客は抜群、お味は普通ですが、この町は、あまり選択肢はありません。

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