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梅雨の合間の近江・美濃・・・⑥織部の里公園

 私の旅は原則2泊ですが、今回は3泊して、帰りに岐阜県に足を延ばしました。多治見駅2分のホテルに荷物を預けて、JRで一駅先の土岐市まで行き、バスに乗ろうと思ったのですが、観光案内所の女性は近いから歩けの一点張り。渋々「織部の里公園」まで歩きました。悲しいことに、我がぼろカメラが不具合で、撮ったはずの写真がありません。ショック! 落胆! ブログを書く気も失せましたが、記憶のために公的機関が公開されている資料を頼りにまとめておきます。

 最初の訪問先は、これまであまりご縁のなかった窯跡を中心にした公園です。土岐市駅から北に向かって10分ほど歩き、国道19号線の岩畑交差点を渡ると、数分で美濃陶磁歴史館前に出ます。ここはあとで見学することにして、その先の細い山道をさらに数分歩くと、急に視界が開けて、公園に着きました。

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 織部の里公園は、昭和5年(1930)に荒川豊蔵氏による牟田洞窯跡の発見がきっかけになって、美濃地域の各地で調査が行われ、昭和6年(1931)に多治見工業学校(当時)が岐阜県土岐市泉町久尻に所在する古窯跡群を調査した結果がいまにつながっています。

 窯跡は、元屋敷陶器窯跡と元屋敷陶器窯跡の操業以前の大窯(元屋敷東1号~3号窯)に大別されます。

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 元屋敷東1号窯は、全長は不明ですが、最大幅3.9メートルです。元屋敷では16世紀後半に、この窯が最初に築かれ、天目茶碗、灰釉皿、すり鉢などが生産されました。現在では当時の姿を完全復元しています。

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 元屋敷東1号窯の次に築かれた元屋敷東2号窯は、全長7.5メートル、幅3.9メートルで、この窯で新しい意匠の瀬戸黒、黄瀬戸、灰志野が登場しました。のちに取り壊され、床面は元屋敷東3号窯の作業場として使われています。現在は、内部の構造がわかるように復元されています。

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 残存長5.8メートル,幅2.9メートルの元屋敷東3号窯では志野の量産を行い、沓茶碗と呼ばれる歪みなどの変化がつけられた茶碗が誕生します。志野は、多器種にわたり焼成されますが、生産された志野の中には、のちの織部に共通する意匠が見られます。この窯は発掘調査された姿を型どりして露出展示しています。

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  元屋敷窯跡は、全長約24.7メートル、幅2.2メートルで、焚口、燃焼室(胴木間)、焼成室14房から構成されています。焼成室が地上に築かれ、階段状に連なるこの窯の構造は「連房式登窯」と呼ばれ、九州の唐津から導入されたと考えられています。黒織部、青織部、志野織部などの織部製品が生産されていました。この窯は上屋で保護され、両脇の階段から間近に見学できます。

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 丘陵の裾には、5月下旬に咲くあやめ園と6月上旬に咲く菖蒲園が開かれ、土岐市は観光客を招致したいようですが、お気の毒にも誰にも会いませんでした。

 先ほど通り過ぎた美濃陶磁歴史館に行きましたが、ここも貸切です。元屋敷陶器窯出土品を中心に、美濃桃山陶を展示しています。「やきものの型」という企画展をゆっくり拝見できて楽しかったのですが、珍しく撮影可なのに、何も写っていなかったのは、痛恨の極みでした。

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 元屋敷窯出土の織部と志野。重要文化財だらけでした。

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 このときは写真が失敗とは思わなかったのですが、絵葉書買ってきて正解でした。

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 いきなり古代史です。白洲正子氏は荒川豊蔵氏の案内で永保寺を訪ねたのち、可児の身隠山古墳のあたりを歩いた、身隠山古墳は景行天皇のころ美濃に君臨した八坂入彦の墓だと伝えられていると『かくれ里』に書いておられますが、歴史館の裏手に八坂入彦の娘の弟媛の墓だと伝えられている古墳があると知って、好奇心から足を延ばしてみました。

 『日本書紀』によれば、景行天皇は八坂入彦の娘の弟媛を妃に迎えたいと望みますが、弟媛は頑なに拒み、姉の八坂入媛を推薦した、八坂入媛は、のちに皇后となり成務天皇を生んだということになっています。

 乙塚古墳は直径27.3m、高さ6.6mの円墳で、東濃にある500を超える古墳の中で最も立派な石室を持つ古墳として知られています。大型の花崗岩の切石を積み上げて長さ12.3mの石室をつくり、遺体を納めた玄室は、長さ5.2m、幅2.6m、高さ2.7mです。土岐市埋蔵文化財センターによる調査では、東濃では極めて少ない方墳の可能性があるといわれていますが、7世紀前半から中葉という年代観は、『日本書紀』の記述とは合いません。ヤマトタケルの父として名高い景行天皇は実在を疑う説もありますし、仮に実在したとしても4世紀前半に比定されますから、史実ではないと思います。

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 乙塚古墳の西北西約50メートルに段尻巻古墳があります。直径約20メートル、高さ約4メートルで、削平のため 墳形がやや損なわれています。規模から乙塚古墳の陪塚ではないかと思いましたが、石室の構造からこちらの方が先に築造されたと考えられるという解説でした。7世紀前半というと、聖徳太子や蘇我氏、さらにいわゆる「大化の改新」の時代。美濃の豪族はどういう人だったのでしょうね。

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  帰りは坂道を下ればいいだけですから簡単です。通りすがりのお店で「ひつまぶし」を注文して、カメラをチェックしたら、メモリカードがずれていて、全滅が判明。この日の写真は「心斎橋」というお店だけです。熱田神宮のそばの老舗と比べるのは可哀そうです。

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 多治見のホテルで荷物を受け取って、帰途に就きました。多治見の街並みなどは見られなかったので、再訪もありです。帰って20日経ちました。夏の暑さを逆手にとって、多治見のマスコットキャラクターは「うながっぱ」だそうですが、関連グッズはご遠慮して、永保寺ゆかりの「涼味水月麩」と土岐市名物「竹皮羊羹」を買ってきました。 

 この猛暑を生き延びたら、どこに行こうか、あれやこれやとプランを練るのも楽しい作業です。









































梅雨の合間の近江・美濃・・・⑤永保寺

 三井寺拝観後、ホテルに戻って一休み。初めに書いたように、このホテルは12時までお部屋が使えます。大津→米原→名古屋→多治見と小刻みに乗り継いで、14時過ぎのバスで虎渓山永保寺を訪ねました。ここも『かくれ里』で初めて知ったお寺です。昨年、足利市の鑁阿寺や山梨市の清白寺、東村山市の正福寺の国宝の唐様建築を拝観しましたので、ここも是非と思っていました。有名な円覚寺舎利殿は、行きはしましたが、普段はそばには寄れません。混雑を覚悟で11月2日に行くしかないのですが・・・。

 またしても極めて本数の少ない市民バスに乗り、虎渓山バス停で降りると、目の前に「虎渓山永保寺」と刻んだ石碑が立っていますが、お寺は中央本線の線路を渡り、左側の森に向かって5分ほど歩きます。

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 踏切を渡って直進すると案内板がありますが、そこからかなり急な坂道を下ります。

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 中国の虎渓に景色が似ていることから、虎渓山という山号を持つ永保寺は、作庭の名手として知られる夢窓疎石によって開かれた臨済宗南禅寺派の寺院です。境内に広がる夢窓疎石作の庭園は、切り立った岸壁が露出する梵音巌と、その下に建つ観音堂を中心として、手前に臥竜池を配すなど、夢窓疎石の特徴を残す名園として名勝に指定されています。夢窓疎石が作った庭園で、作庭当時の建造物を残す庭園は他に例がありません。季節外れの境内は、防火設備のメンテナンスをする作業員の方以外は、訪ねる人はわずかです。拝観料は不要なかわりに、足を休めるベンチなどは皆無で、「登るな!」「入るな!」という怖い張り紙が多く、観光寺院ではなく、若い雲水さんが魂の成就を目指す修行の場だという主張が色濃く感じられました。

 

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 観音堂は、桁行三間に梁間三間、一重裳階の付いた、檜皮葺の入母屋造建築です。夢窓疎石が永保寺を開いた一年後の正和3年(1314)に建てられたとされ、一見すると禅宗様仏殿のように見えますが、随所に和様の技法が取り入れられた、特異な折衷様の建築となっています。年に一度、3月15日に開扉されるようですが、普段はお堂に入るどころかそばにも寄れません。

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 池泉回遊式庭園の臥竜池に架かる無際橋が美しいたたずまいを見せています。

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 庭園の一角に「勅使門跡」と記した石碑があります。

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 奥まで行くと、「光明天皇勅願所」という石碑もあります。光明天皇は、4月に訪ねた常照皇寺にゆかりの深い光厳天皇の弟君で、北朝では二代目の天皇です。天皇や上皇が国家の安寧を祈願した社寺を勅願所と呼ぶことがあり、寺領を与えられるなど経済的恩恵があったようです。

 境内の最奥に、観音堂とともに国宝に指定された開山堂が建っています。こちらも屋根の反りが好みのお堂ですが、南京錠がかかって、近づけません。

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  開創である夢窓国師が死去した翌年の1352年は、開山の元翁本元が没した20年後でした。その年、永保寺では、境内の最も奥まった場所であり、かつてはその付近に夢窓疎石や元翁本元が庵を結んだと言われる僊壺洞に、僊壺堂が建立されました。これが現在の開山堂です。

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開山堂の脇を流れる清流。

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 境内に沿って土岐川が流れています。

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 熊谷市と並び称される酷暑の町・多治見市ですが、さわやかな風が吹き抜ける境内でした。

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 永保寺に接して四カ所の寺院があります。続芳院も塔頭寺院として永保寺の護持に当たってきたそうです。

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 なんだか意味不明の庭園がありました。

 市民バスで多治見駅前に戻り、けっしてお勧めできないビジネスホテルに泊まりました。

梅雨の合間の近江・美濃・・・④三井寺

  関西の暮らしが長かったわりには、行っていない名所がたくさんあります。aliceさんのブログを拝見して、またしても真似をしたくなりましたが、周到な用意をした者としない者の格差を露呈するはめになりました。まあ、石山寺よりは楽ですから、また機会があればと負け惜しみを言っておきます。ただ、JR大津駅前から門前までのバスは非常に少ないので、要注意です。午前中は行きは7時59分発、帰りは10時56分発しかありません。

 三井寺のHPを拝見して、感動したのは、以下の「おしらせ」です。いま思い込みの激しい為政者によって、若い人達の将来が危惧されるなかで、宗教界の方々はどう考えていらっしゃるのかと思っていましたが、平和を希求される方々もおられるのだと勇気づけられました。

http://www.shiga-miidera.or.jp/img/index/20150623.pdf

 日曜日だというのに、こちらも閑散としています。

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  大門(仁王門)は、室町時代の建造で、重要文化財に指定されています。記録によると、天台宗の古刹常楽寺の門で、秀吉によって伏見に移され、1601年に家康によって現在地に建てられたとされています。

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 受付でいただいた参拝順路に従って、一番から十一番までお参りしました。

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 大門(仁王門)を入ってすぐ右手に南面して建つ比較的簡素な造りのお堂が室町時代に建立されたと思われる重要文化財の食堂(釈迦堂)です。 中世寺院の食堂の様式を伝えていますが、本尊に清凉寺式釈迦如来をお祀りしているので、釈迦堂と呼ばれています。

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 金(本)堂がちらりと見えてきました。

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 側面から見ても品格があります。

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現在の建物は北政所によって慶長4年(1599)に再建された桃山時代を代表する建築です。誰もいなくて、一人で諸仏を拝んできました。

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 金堂と軒を接するように閼伽井屋が建っています。天智・天武・持統の三天皇が産湯に用いたという泉が涌いています。覆屋は慶長5年(1600)の建立で、正面上部に左甚五郎作の龍の彫刻があります。

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  日本最古の庭園ではないかと言われる閼伽井石庭。

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  鐘楼は慶長7年(1602)の再建です。梵鐘は近江八景「三井の晩鐘」で知られています。

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 霊鐘堂に鎮座しておられるのは奈良時代の梵鐘です。俵藤太秀郷が三上山の百足退治のお礼に竜宮から持ち帰ったという伝承があります。講談社の絵本で育った私の世代でないと、ピンとこないでしょうね。「弁慶の引摺り鐘}」伝承のほうが有名かもしれません。

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 一切経蔵は室町初期の建築です。慶長7年(1602)に毛利輝元が山口の国清寺から移築して寄進しました。高麗版一切経を納める回転式の八角輪蔵があります。

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 唐院は開祖円珍の廟所として最も神聖な場所で、奥の大御堂の前に三重塔・灌頂堂・春日護摩堂が並んでいます。

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 清々しい朝の境内を散策しながら、三井寺文化財収蔵庫に向かいました。

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 2014年10月に、宗祖・智証大師生誕1200年慶讃記念事業として開館しました。          桃山絵画の最高傑作とされる国宝・勧学院客殿の狩野光信筆の襖絵39面をはじめ仏像、仏画、仏具など重要文化財13件53点(平成27年11月現在)を収蔵、展示しています。貸し切り状態で、ゆっくり拝見しました。

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 十一面観音立像
 

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 勧学院は3名以上で事前に申し込まないと入れません。aliceさんのブログには美しい写真があります。襖絵は収蔵庫に収められたので、いまは精巧なレプリカになっていますが、庭園も素晴らしいそうです。レプリカでもいいから、入りたかったと未練が残ります。

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バスの発車まで少し時間がありましたので、江戸時代の僧坊を改装して2015年にオープンした「ながら茶房 本寿院」でお茶をいただきました。

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 これで三井寺ともお別れです。紅葉は12月の上旬まで美しいから、また来てくださいとお寺の方に言われました。

 

 

 

梅雨の合間の近江・美濃・・・③石山寺

  JR石山駅のバスターミナルから今度は石山寺に向かいます。行かれた方のブログに出ていた「石山団地」行のバスに乗ったら、石山寺はいっこうに現れず、終点に着いてしまいました。運転手さんに「石山寺には行かないんですか」と尋ねたら、「折り返して帰りに寄るから、ちょっと待ってて。料金はいいよ」。どうも行きと帰りで経路が違うようです。ほどなくやってきたバスで石山寺山門前に着きました。

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  東大門(重文)の前は閑散としています。

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 参道に沿って、支院が並んでいますが、いずれも拝観できません。

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  石山の名が出た奇岩は天然記念物の硅灰岩です。


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 石段を上がって、本堂(国宝)へ。

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 清水寺と同じ舞台造りです。ご本尊の如意輪観音像は33年に一度のご開帳が2016年でしたので、絶対に無理です。平成14年に御本尊の胎内から四躯の金銅造仏像が発見されました。飛鳥・白鳳・天平の可愛らしい仏像です。

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 石山寺は747年に聖武天皇の命で東大寺別当の良弁僧正により聖徳太子が持っていた如意輪観音像を祀ったのが始まりとされています。正倉院文書によると、国家事業として石山寺の造営が進められ、聖徳太子の観音像は新しい本尊「塑像・如意輪観音菩薩」に埋め込む形になりました。この如意輪観音像は5m近い丈六仏だったそうで、脇侍の金剛蔵王像と執金剛神像とともに762年に完成します。1078年に本堂が火災により焼失し、本尊と脇侍も大きく損傷しましたが、1096年に再建されたときに現存の本尊が新しく作られました。

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 本堂内の「源氏の間」。紫式部がここで源氏物語を書いたという伝承があります。

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 経蔵は校倉造り。

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 美しい姿の塔は1194年に建立された日本最古の多宝塔です。内部には快慶作の大日如来像が安置されていますが、暗くて判然としません。

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 源頼朝の供養塔だそうです。

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 梅林の中を這い上がっていきます。

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 眼下に瀬田川が見えて、汗がすっと引く感じ。

 豊浄殿に着きました。受付の方に「坂道、大変だったでしょう。ここが終点ですよ」とねぎらわれて、6月30日までの「源氏物語と手紙」展を拝見。

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  手紙は基本的にはメッセージを人に伝える方法の一つとして生み出されたものですが、その実用的な用途を越えて大きな働きをすることがあります。『源氏物語』五十四帖には271通もの手紙が登場するそうですが、この中で手紙は登場人物の心情を写し出すだけでなく、時には物語を大きく転換する役割も担っています。

 この展覧会では、『源氏物語』に登場する手紙のさまざまなありようを石山寺所蔵の画帖や屏風を通じて紹介されています。最古の仮名書状として知られる「虚空蔵菩薩念誦次第紙背消息」(重要文化財)や、「時鳥の願文」として有名な「伝法記」紙背書状(重要文化財)など、石山寺が所蔵する手紙の歴史史料として広く知られる所蔵品もあわせて展示されていて、貴重な機会を得ることができました。

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「源氏物語図色紙貼交屏風」(江戸時代)

 帰りは別の道を通って、月見亭や芭蕉庵、鐘楼、御影堂などを拝観しましたが、けっこうな道のりで、年齢制限大ありです。




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 月見亭は近江八景「石山の秋月」を眺めた場所だと言われています。明治~昭和の各天皇や皇室の方々も景観を眺められていたそうです。1156年~58年の創建で、何度も修繕が行われ、現在の建物は1687年の再建です。

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 鐘楼まで下りてきました。梵鐘は鎌倉時代後期のものとされています。

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 真言宗の開祖弘法大師と第三代座主淳祐内供の遺影を安置するお堂です。単層の檜皮葺で、内部は室町時代初期を降らない様式となっています。現在の外観は慶長期に整備されました。

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 やっと平らなところに下りて来て、バスでJR石山駅に戻り、大津のホテルにたどり着きました。昼食をいただく機会を逸した、よくあるパターンです。







梅雨の合間の近江・美濃・・・②MIHO MUSEUM

  2泊した大津のホテルは、JRの駅に直結なのと、チェックアウトが正午なのが取柄です。着いたとき、明日の朝食は混雑が予想されると言われて、さては団体様と覚悟しましたが、なんの問題もありませんでした。エレベーターでご一緒した上海から来たという方々もとてもフレンドリーでしたし,、海外を旅して、現地の方に親切にしていただいた身としては、できるだけ楽しんでいただきたいと思います。

 MIHO MUSEUMは、明日からしばらく休館するので、少し早めにJR石山まで行って、バスを待ちました。これが大正解。ほどなく長蛇の列ができ、満員で発車。唐橋を渡り、瀬田川沿いをしばらく走ったあと、カーブの多い山道に入りますから、50分近く立ちっぱなしは耐えられません。

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 レセプション棟でチケットを買って、美術館まで電気自動車に乗りました。

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 特別展は「和ガラスの美を求めてー瓶泥舎コレクション―」。愛媛県松山市にある美術館から逸品が来ています。一部は明治のものもありますが、ほとんどが江戸時代に作られたものです。記憶にとどめたいので、各章から代表作をUPしました。

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 第1章 江戸の暮らしにタイムスリップ

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 第二章 日本好みのシンプルと装飾

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 後ろの景色は絵なのですが、手の込んだ涼し気な屏風でした。

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 第3章 和ガラスの色

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 第4章 ガラスの花園ー吹きガラスの食器・酒器Kiiro

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 第5章 和ガラス意匠さまざま

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 第6章 清涼なるガラスー切子の妙味

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 薩摩切子銅紅被せ十字紋碗 丸に十の字の薩摩藩の紋が施されています。

 第7章 ハレの日のCoolな職人技

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 第8章 受け継がれる日本の美

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 ガラスビーズ飾り屏風 四曲一隻 長谷川栄太郎作(明治28年頃)

 

 日本にガラスが伝わったのは、弥生時代で、すでに炉の跡も見つかっています。当時は勾玉のような装飾品が多かったようです。正倉院の御物にも見事な器がありますが、これは日本製ではないかもしれません。平安時代以降、衰えを見せたガラス製品は戦国時代にやってきたキリスト教の宣教師が献上品として用いたことが大きくかかわって、珍重されるようになりました。鎖国が行われると、長崎を通じて輸入されていましたが、長崎でガラスが作られると、大坂や江戸に広がっていきました。

 そのあと開館20周年記念特別企画の「古代オリエント美術の愉しみ」を拝見し、床に施されたディオニュソス・モザイクもじっくり見せていただきました。

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 中央のディオニュソスがナクソス島でアリアドネを発見する場面を描いた部分と、周辺の幾何学文様、ギリシャ・ローマの神々や神話的世界を描いた部分とで構成されています。ディオニュソスの胸に表現された傷跡などは、のちに加えられたキリスト教への転向に伴う改竄ではないかと考えられています。 

 有名なディオニュソス・モザイクのあるケルンにはとうとう行けませんでしたので、時代もづ柄も違いますが、これで我慢しておきます。

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 この美術館は、宗教団体が母体になっていますが、宗教色は感じられませんでした。 

梅雨の合間の近江・美濃・・・①青蓮院&将軍塚

  2017年上半期最後の旅は、またしても近江が中心ですが、aliceさんのブログに触発されたのと、海北友松展が尾を引いて、まず京都の寺院を拝観する予定でした。私の旅のパターンは、平日主体ですが、土日祝しか運航されないバスに乗ろうと、6月17日(土)に出かけました.。これは長所と短所があります。ラッシュアワーを外しましたので、私鉄もJRも混雑に巻き込まれることなく新幹線に乗れたのは長所。ところが、京都駅前のコインロッカーにカートを預けて、市バスに乗ったら、河原町通りを中心に大渋滞。これは想定以上の短所でした。泣く泣く今日の最後の旅程の建仁寺は諦めて、青蓮院と将軍塚に絞りました。

 神宮前で下車して、平安神宮とは反対方向の粟田口にある青蓮院門跡に向かいます。粟田口は「京の七口」の中でも、東海道、東山道、北陸道の三道に通じ、江戸と京都を結ぶ交通の要衝として最も重要な出入り口でした。現在は白川小学校の門となっていて、その横に「粟田口」の石柱が残っています。

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 数分で山門の前に着きました。

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  青蓮院は門主が皇族か摂関家出身の天台宗の門跡寺院ですが、親鸞が9歳で得度したので、門前には「親鸞聖人得度聖地」と刻んだ大きな石碑が建っています。平安時代にさかのぼる由緒と格式を誇りながら、明治26年の火災で建物のほとんどを失いました。

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 拝観入口の手前右手に建つ長屋門は、明正天皇の中和門院の旧殿の門を移築したもので、明治26年の火災を免れました。

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 静かな参道でした。

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 拝観受付を済ませて、まず華頂殿を拝見。三十六歌仙の額絵と木村英輝氏が奉納した60面の襖絵が目をひきます。

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 縁側に腰かけて、相阿弥のお庭を眺めました。洋の東西を問わない、海外の観光客もいらっしゃって、ともに静かな時間を持てることを嬉しく思いました。雅な御殿のような雰囲気です。

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 渡り廊下を通ってひっそりとした宸殿に行きました。右近の橘と左近の桜が植えられています。宸殿は門跡寺院特有で、家康の孫の東福門院の御所を移築した建物は明治26年の火災で焼失したのち、復興されました。

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 小御所の近くの渡り廊下に面して、秀吉の寄進と言われる「一文字手水鉢」が置かれています。

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 四脚門も長屋門とともに明正天皇の中和門院の門を移築したもので、明治26年の火災を免れました。

 次の目的地は「青龍殿」「大舞台」「将軍塚」の三点セット。11月とGW以外は土日祝にバスが運行されています。お寺の方に「バス停はローソンの前」と教わって、待つことしばし、蹴上を過ぎるとぐんぐん坂を登ります。

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 平成26年に東山山頂に落成した将軍塚青龍殿は、国宝の青不動を安置していると聞いて、心が動いたのですが、残念ながら拝観できたのは、精巧なレプリカでした。ちゃんと時期を選んで行かないとだめですね。反省。

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 門は粟田口の青蓮院の門にそっくりです。青龍殿は、大正2年(1915年)に大正天皇即位を記念して「大日本武徳会京都支部武徳殿」として建立された木造総檜造御殿風平家建の巨大な武道場「平安道場」の維持費が嵩むことから、京都府が解体廃棄処分を決めていたところ、青蓮院の門主が文化財として保存し後世に伝えるべきと考えられ、4,年11か月を要して交渉し、移築再建が実現したものです。移築中の写真と完成予想図をお借りしました。

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 内部は撮影禁止なので、工事関係者の方のお写真です。空調機がたくさんあって、真夏は涼みにもってこいかも。いかにも武道場といった空間です。

 次は京都の町が一望できる大舞台。

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 青不動は残念でしたが、吉岡徳仁氏の「ガラスの茶室ー光庵」が拝見できました。傍らのベンチもガラスです。以下は吉岡氏のご挨拶です。

京都の将軍塚青龍殿にて開催されております「 ガラスの茶室 - 光庵 」の会期が2017年9月10日(日)までとなりました。

国内外から多くの反響をいただき、沢山の方々にご覧いただきましたことを、心より御礼を申し上げます。展示最終日まで残すところ3 ヶ月ではございますが、皆様のご来場を心よりお待ちしております。

「 ガラスの茶室 - 光庵 」は、2011 年に開催されました第54 回ヴェネツィア ビエンナーレ国際美術展 Glasstress 2011 にて、建築プロジェクトとして発表致しました。2015 年春、京都・フィレンツェの姉妹都市提携50 周年を記念し、京都の天台宗青蓮院門跡境内、将軍塚青龍殿の大舞台にて展示させていただきました。光庵は、自然と一体化することで時間を知覚化し、日本文化の根源を問う作品です。



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 清水の舞台の4,6倍の広さだそうです。

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 桓武天皇が都を定めたときに、この地に将軍の像に甲冑を着せて埋め、都の安泰を祈ったという伝説のある約20m四方の将軍塚です。白洲正子氏でなくても、これは古墳ではないかと思わざるをえませんが、調べてみると、やはり! 

 東山の山頂にある青蓮院門跡大日堂の敷地内に1~3号墳、敷地の南側の山林内に4~14号墳があり、3号墳は古くから将軍塚と呼ばれていますが、もともとは径40mの中期の大型円墳と思われるそうです。

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 展望台に続く庭園には、紅葉、桜、藤、シャクナゲ、サツキなどが植えられています。回遊式庭園に枯山水庭園を取り込んだもので、すがすがしい気分で散策しました。バス停は、みるみる長蛇の列になりましたから、早めに行って正解です。




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