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梅雨の合間の近江・美濃・・・⑥織部の里公園

 私の旅は原則2泊ですが、今回は3泊して、帰りに岐阜県に足を延ばしました。多治見駅2分のホテルに荷物を預けて、JRで一駅先の土岐市まで行き、バスに乗ろうと思ったのですが、観光案内所の女性は近いから歩けの一点張り。渋々「織部の里公園」まで歩きました。悲しいことに、我がぼろカメラが不具合で、撮ったはずの写真がありません。ショック! 落胆! ブログを書く気も失せましたが、記憶のために公的機関が公開されている資料を頼りにまとめておきます。

 最初の訪問先は、これまであまりご縁のなかった窯跡を中心にした公園です。土岐市駅から北に向かって10分ほど歩き、国道19号線の岩畑交差点を渡ると、数分で美濃陶磁歴史館前に出ます。ここはあとで見学することにして、その先の細い山道をさらに数分歩くと、急に視界が開けて、公園に着きました。

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 織部の里公園は、昭和5年(1930)に荒川豊蔵氏による牟田洞窯跡の発見がきっかけになって、美濃地域の各地で調査が行われ、昭和6年(1931)に多治見工業学校(当時)が岐阜県土岐市泉町久尻に所在する古窯跡群を調査した結果がいまにつながっています。

 窯跡は、元屋敷陶器窯跡と元屋敷陶器窯跡の操業以前の大窯(元屋敷東1号~3号窯)に大別されます。

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 元屋敷東1号窯は、全長は不明ですが、最大幅3.9メートルです。元屋敷では16世紀後半に、この窯が最初に築かれ、天目茶碗、灰釉皿、すり鉢などが生産されました。現在では当時の姿を完全復元しています。

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 元屋敷東1号窯の次に築かれた元屋敷東2号窯は、全長7.5メートル、幅3.9メートルで、この窯で新しい意匠の瀬戸黒、黄瀬戸、灰志野が登場しました。のちに取り壊され、床面は元屋敷東3号窯の作業場として使われています。現在は、内部の構造がわかるように復元されています。

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 残存長5.8メートル,幅2.9メートルの元屋敷東3号窯では志野の量産を行い、沓茶碗と呼ばれる歪みなどの変化がつけられた茶碗が誕生します。志野は、多器種にわたり焼成されますが、生産された志野の中には、のちの織部に共通する意匠が見られます。この窯は発掘調査された姿を型どりして露出展示しています。

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  元屋敷窯跡は、全長約24.7メートル、幅2.2メートルで、焚口、燃焼室(胴木間)、焼成室14房から構成されています。焼成室が地上に築かれ、階段状に連なるこの窯の構造は「連房式登窯」と呼ばれ、九州の唐津から導入されたと考えられています。黒織部、青織部、志野織部などの織部製品が生産されていました。この窯は上屋で保護され、両脇の階段から間近に見学できます。

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 丘陵の裾には、5月下旬に咲くあやめ園と6月上旬に咲く菖蒲園が開かれ、土岐市は観光客を招致したいようですが、お気の毒にも誰にも会いませんでした。

 先ほど通り過ぎた美濃陶磁歴史館に行きましたが、ここも貸切です。元屋敷陶器窯出土品を中心に、美濃桃山陶を展示しています。「やきものの型」という企画展をゆっくり拝見できて楽しかったのですが、珍しく撮影可なのに、何も写っていなかったのは、痛恨の極みでした。

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 元屋敷窯出土の織部と志野。重要文化財だらけでした。

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 このときは写真が失敗とは思わなかったのですが、絵葉書買ってきて正解でした。

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 いきなり古代史です。白洲正子氏は荒川豊蔵氏の案内で永保寺を訪ねたのち、可児の身隠山古墳のあたりを歩いた、身隠山古墳は景行天皇のころ美濃に君臨した八坂入彦の墓だと伝えられていると『かくれ里』に書いておられますが、歴史館の裏手に八坂入彦の娘の弟媛の墓だと伝えられている古墳があると知って、好奇心から足を延ばしてみました。

 『日本書紀』によれば、景行天皇は八坂入彦の娘の弟媛を妃に迎えたいと望みますが、弟媛は頑なに拒み、姉の八坂入媛を推薦した、八坂入媛は、のちに皇后となり成務天皇を生んだということになっています。

 乙塚古墳は直径27.3m、高さ6.6mの円墳で、東濃にある500を超える古墳の中で最も立派な石室を持つ古墳として知られています。大型の花崗岩の切石を積み上げて長さ12.3mの石室をつくり、遺体を納めた玄室は、長さ5.2m、幅2.6m、高さ2.7mです。土岐市埋蔵文化財センターによる調査では、東濃では極めて少ない方墳の可能性があるといわれていますが、7世紀前半から中葉という年代観は、『日本書紀』の記述とは合いません。ヤマトタケルの父として名高い景行天皇は実在を疑う説もありますし、仮に実在したとしても4世紀前半に比定されますから、史実ではないと思います。

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 乙塚古墳の西北西約50メートルに段尻巻古墳があります。直径約20メートル、高さ約4メートルで、削平のため 墳形がやや損なわれています。規模から乙塚古墳の陪塚ではないかと思いましたが、石室の構造からこちらの方が先に築造されたと考えられるという解説でした。7世紀前半というと、聖徳太子や蘇我氏、さらにいわゆる「大化の改新」の時代。美濃の豪族はどういう人だったのでしょうね。

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  帰りは坂道を下ればいいだけですから簡単です。通りすがりのお店で「ひつまぶし」を注文して、カメラをチェックしたら、メモリカードがずれていて、全滅が判明。この日の写真は「心斎橋」というお店だけです。熱田神宮のそばの老舗と比べるのは可哀そうです。

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 多治見のホテルで荷物を受け取って、帰途に就きました。多治見の街並みなどは見られなかったので、再訪もありです。帰って20日経ちました。夏の暑さを逆手にとって、多治見のマスコットキャラクターは「うながっぱ」だそうですが、関連グッズはご遠慮して、永保寺ゆかりの「涼味水月麩」と土岐市名物「竹皮羊羹」を買ってきました。 

 この猛暑を生き延びたら、どこに行こうか、あれやこれやとプランを練るのも楽しい作業です。









































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