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エミリ・ディキンスン

 ykさまがブログ「緑の風」で詳しく紹介してくださった映画「静かなる情熱ーエミリ・ディキンスン」を下高井戸シネマで見てきました。130年前に亡くなったアメリカの女流詩人の生涯が彼女が作った詩の朗読を交えて描かれています。生前に発表された詩は10篇のみで、1800篇近い詩は没後に発見されました。悲しいことに、語学が大の苦手な者にとっては、外国語の詩は難解すぎます。とくにコンマやピリオドを変えられることさえ許せなかったエミリの詩の日本語訳は至難の業ではないかと思って、詩そのものへのアプローチは諦めてしまいました。

 それよりも興味があったのは、南北戦争前後のアーマストを取り巻く時代背景や、後半生は家に閉じこもっていたエミリ(1830-1886)の人間関係です。女子神学校で信仰告白ができずに学業を放棄して家に戻る途中で家族でコンサートに行ったりもしていますが、そこで歌われていたのがベッリーニの『夢遊病の娘』の2幕のアリアだったのは、ちょっと驚きでした。たまたま図書館にあった『エミリ・ディキンスンーアメジストの記憶』は、そういう私の好奇心を満たしてくださいました。裕福な名家に生まれ、パンを焼く以外の家事はやった形跡もなく、羨ましい境遇です。父母や兄とその妻、いつもそばにいる妹など、家族の愛にも恵まれています。

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 ところが、ピューリタニズムの中心地であったアーマストの模範的な家庭のはずのディキンスン家に大きな波紋を投げかける女性が登場します。それがアーマスト大学の天文学の教授夫人で才気煥発の美しい女性、メイベル・ルーミス・トッド(1856-1932)です。

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 メイベルはエミリの兄と恋愛関係を続けたことは映画の中でも触れられていて、敬虔なクリスチャンの家庭でも避けられないことなのだと思わされましたが、エミリの詩を世に出すために大いに貢献しますし、大西氏の著書によると、天文学者の夫とともに皆既日食の観測のために2度も訪日しています。一度目は、1887年福島県の白河、二度目は1998年北海道の枝幸ですが、どちらも天候悪化で観測は不成功に終わりました。それでも一度目は帰りに富士登山を行い、箱根の富士屋ホテルに泊まっています。二度目の来日の際は、岐阜、京都、奈良を訪ねたあと、北海道に渡り、アイヌや明治三陸地震の記録とともに、振袖を着て、和傘を差した写真も残しています。

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 また、1890年にメイベルが描いたインディアン・パイプという花の絵をあしらった詩集を、のちに文壇の大御所となるトーマス・ウェントワース・ヒギンスンとの共著のかたちで出版し、大きな反響を呼びました。

 エミリが書いて、出さずに残った手紙の中に「マスター」という呼びかけで始まる「マスターレター」が3通あります。独身のまま生涯を終えたエミリが天上での結婚を誓った相手が誰かというのは、要らないお節介かもしれませんが、意外な人物の名まで出てきますので、少し触れておきます。それは日本でも非常に有名なウィリアム・スミス・クラークです。南北戦争当時アーマスト大学の化学の教授だったクラークは、学生に戦闘への参加を強烈に訴え、北軍の大佐として、南軍に挑んでいます。その後、1876年に札幌農学校の教師として8か月滞在し、帰国する際、多数の樹木の種を持ち帰りました。いまアーマストの町で300~400本の大木となり、エミリが住んだ家の庭に育つ桜もその一本だそうです。映画にエミリの焼いたパンが農産物品評会で2等賞を得たというエピソードが語られていました。そのときの審査委員長がクラークだったのですが、大西氏は、クラークがエミリの「マスター」であった可能性は極めて低いと言われています。

 詩的でない話題ばかりで申し訳ありません。

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文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

メイベル って自由闊達、聡明な女性だったのですね。 詩の編纂に携わったこと以外しりませんでした。 日本まで旅していた、とは!
それとエミリの結婚を誓った相手の一人 と考えられている人物が 「少年よ大志を抱け」のクラーク博士なんて。その可能性が低いとはいえ面白い話。
明治時代、日本人が 欧米文化を取り入れようとがんばっていた頃、逆に開国してほどない日本は関心を持たれる国でもあったのですね。
興味深い情報ありがとうございました 。
松坂の旅日記も興味深くよませていただきました。 取り込み中で 感想を書かせていただく余裕がありませんでしたが、 旅リスト、またふえました。

 お取込みのご様子、お察ししております。どうかご放念くださいませ。幸か不幸か手に入れた自由な境遇をできるだけ楽しみたいと思っています。両親の時代は、子どもは全身全霊で親に尽くして当たり前でしたが、私はなんとしても自立して生きたいのです。誰でもそう願うに違いありませんから、ただの願望ですが・・・。
 エミリの母やエミリ自身が家族に見守られて旅立っていくのが羨ましくもありました。
 
 母国語でない詩は、いくら名訳でも翻訳での理解は難しいですね。漢詩ならわかると浅はかに考えていましたが、ネイティブでないとわからない部分もたくさんありそうです。
 松阪の旅で最初に訪ねた博物館で観た映像で、話されていた日本語も不思議な世界でした。国語学者が万葉時代の発音は現代日本語とはかなり違うとおっしゃっていました。そうなると、日本語の詩歌でも時代を遡るほど、イメージが異なってくるかもしれません。松阪はいろいろな発見のある町でしたが、良いホテルがありません。清潔であればいいと割り切りました。、 
 なにかとお大変だと存じます。ご自身の健康もお大切になさってくださいませ。

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