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安芸の旅・・・③宮島(歴史民俗資料館・弥山・五重塔・千畳閣)

 朝早くから行動を開始したので、宮島歴史民俗資料館(以下資料館)に着いたのは、まだ10時過ぎでした。資料館は、江戸時代後期から明治にかけて醤油の醸造を営み、豪商といわれた江上家の500坪の敷地に建てられています。庭園以外は撮影禁止でした。※を付けた写真は資料館のHPからお借りしました。

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 資料館は、池のある庭園を中心に、保存民家、展示館A(土蔵)、展示館B,、展示館C(土蔵)、展示館D、代表民家の6つの建物から構成されています。

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 保存民家(旧江上家母屋)は、明治末期に宮島の旅館岩惣が買い取り「岩惣別荘」となりましたが、昭和46年(1971)に宮島町が資料館開設のため譲り受け、一部を補修改築しています。

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 展示館Aは、石畳のある土蔵をそのまま保存し展示館としています。 壺、釜、桶や山子鋸・滑車などの民具、約200点を展示しています。なかでも、弘法大師ゆかりの弥山霊火堂からおろした消えずの火の大釜(昭和20年10月)が目を引きます。

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 展示館Bは、宮島の桃花祭(神能)、管絃祭、玉取祭、たのもさん、氏神祭などまつり行事を写真パネルと関係用具・模型など約70点で紹介しています。

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 展示館Cは、,土蔵を活用した展示館です。 宮島の生産・生業といえば木工関係があげられます。僧誓真が創始したといわれる飯杓子をはじめ、ロクロによる盆、菓子器、茶器や木匙、宮島彫などいずれも江戸時代後期に興されたものです。それぞれの製作工程、工具、製品、問屋の看板など、今日までの変遷を跡付ける資料約160点を展示しています。

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 展示館Dの1階は「厳島神社と平清盛」フロアとして、平清盛の足跡から、世界文化遺産となる今日までの映像資料や年表などを6つのゾーンに分けて展示しています。平清盛像や二位尼像をはじめ源平合戦の錦絵や大河ドラマで使用された小物、そして映像シアター(上映時間約10分)など見どころいっぱいです。早くも悲鳴をあげだした足腰のご機嫌をとろうと拝見した映像は、厳島神社の歴史や建築物の構造を知るうえで、中身の濃いものでした。

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  2階は、宮島ゆかりの諸家の書画、屏風、古絵図、古写真、案内記、古文書など、主に江戸時代以降の歴史資料や土器類などの考古資料、約300点を展示しています。宮島芝居や富くじに関する資料、名所図会などは、信仰と観光の島、宮島を理解するうえで欠くことができません。ここで見た「厳島の合戦」の絵解きのような展示は、なかなか興味深いものでした。大内氏を滅ぼした陶晴賢と毛利元就が厳島で繰り広げた死闘の全貌がわかります。

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 庭園の池の鯉が何かもらえるかもと寄ってきましたが、ごめんなさい。

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 最後に代表民家を拝見して、資料館を出ました。宮島の古い町家は、ふつう間口が狭く奥行きが深くなっています。大戸から入ると奥まで「通り庭」になっており、それに沿ってミセ(表の間)、オウエ(中の間)、ザシキ(奥の間)に続きます。オウエには天井がなく、戸棚の上には神棚がまつられているのが、神の島宮島の特徴です。

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 お昼は「ふじたや」の穴子めしに決めていました。ミシュランの星を持つお店など全くご縁がありませんし、2時間待ちは当たり前という情報に震えましたが、開店の11時に入ると、待つことなくカウンターのお席に案内されました。注文を受けてからタレを塗って焼くので、出てくるまでに30分という噂通り、しっかり待ちます。天然物しか扱わず、売り切れしだい終了。熱々のご飯の上にカリッとした穴子が敷き詰められています。

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 どんどん人が押し寄せてきました。お店を出ると、隣に屋根付きの待合所があって、10人ぐらいが待っていました。入口の名簿に名前と人数を書いておくと、呼んでいただけます。ふっくらとした美味しい穴子でしたが、早めに行くのが正解です。

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 厳島神社の出口に近い大観寺の前からもみじ山公園に向かいました。無謀にも弥山に挑戦します。

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 宮島屈指の老舗旅館「岩惣」前から、ロープウエー乗り場まで無料バスが20分置きに出ています。12時10分発の午前の最終便に間に合いました。

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 昭和34年(1959)に開業したロープウエーは、誰でも弥山登山が楽しめるように建設され、瀬戸内海の絶景や原始林の眺めを満喫しながら空中散歩ができます。紅葉谷駅から榧谷駅までは6人乗りゴンドラの循環式で1分間隔で運行。10分で中間駅の榧谷駅に着き、展望台のある獅子岩駅までは大きなゴンドラの交走式で約5分です。

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 ロープウエーを降りて、覚悟して歩きました。

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 徒歩20分だという霊火堂を目指したのですが、休み休み歩いたので、倍以上かかりました。視界が開けると美しい海と山にうっとり。晴れていたのでなんとかなりましたが、ほとんどがつかまるところのない坂道ですから、危ないです。この場所だけは、土砂崩れがあったため、柵がありました。

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 下山してくる方々に励まされて、やっと霊火堂までたどりつきました。1200年、ともしつづけているという「消えずの火」が信仰を集めています。

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 向かい側の本堂には毘沙門天が祀られています。

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 来た分だけ戻らなければなりません。

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 「天然記念物弥山原始林」と刻んだ石碑と説明板が立っていました。天然記念物、特別保護区、世界遺産になっています。昔からほとんど人の手が加わることがなかったため、本土と比べ自然度の高い植生が残されています。 ドイツの植物学者エングラー博士が、「できるなら一生ここに住んでここで死にたい」と絶賛したほどです。

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 遥かにロープウエーの獅子岩駅付近の建物が見えて、生還することができました。

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 帰りのロープウエーは、車で世界遺産巡りをしているという男性と2人だけ。豪雨の三保の松原から姫路城を見て、明日は石見銀山だそうです。いろいろな旅のスタイルがあるものですね。

 最後の力を振り絞って、また石段に挑戦。向かい合って建つ五重塔と千畳閣で宮島の旅を締めくくりました。

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 五重塔は応永4年(1407)に創建され、三度の再建を経ています。大聖院の子院にあたる金剛院の塔でしたが、現在は厳島神社の末社の豊国神社の塔になっています。現存する22基の五重塔のうち、7番目に古いそうです。

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 1587年に豊臣秀吉が戦没者を鎮魂するためのお経を唱える「大経堂」を造ろうとして、安国寺恵瓊に命じますが、完成しないうちに豊臣秀吉が没し、安国寺恵瓊も関ケ原の合戦に敗れて処刑されたため、頓挫してしまったのが千畳閣です。実は857畳だそうですが、広々とした空間です。建築が中断したため、天井も壁もありません。かつては内部に釈迦如来像などが安置されていましたが、明治初年の神仏分離令で大願寺に移され、千畳閣は豊臣秀吉と加藤清正を祀る豊国神社となりました。

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 山を仰ぎ、海を見下ろす高台です。

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 いくつか石段があるので、千畳閣の受付の方に宿にいちばん近い石段を教えていただいて、帰途につきました。

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 江戸後期の僧・誓真は、水不足にあえぐ島民のため島内10カ所に井戸を掘ったと伝えられ、4カ所が現存します。宿の近くに誓真釣井の一つがありました。誓真は道路の改修や宮島名物となった杓子づくりも手がけています。

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 干潮のときは、大鳥居まで歩いて行けます。もう余力がなくて、遠望するだけです。

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 錦水館の玄関とシーサイドテラス。

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 2泊目は、メニューが一新。苦手の蝦蛄以外は美味しくいただきました。

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 呉のお酒の飲み比べで、いい気分です。

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 ライトアップされた大鳥居を見ながら、夜が更けました。

安芸の旅・・・②宮島(厳島神社・大聖院)

 朝食もナイスでした。サラダバーとドリンクバーは自由に選べます。いわゆるバイキングは大の苦手なので、朝からいい気分です。

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 外国人旅行客の人気が伏見稲荷に次いで2位というので。人波が押し寄る前に、最初で最後の厳島神社詣で。宿の前から5分です。

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宿の前の道を大鳥居に向いて歩きます。

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 作戦成功。お掃除の方しかおられません。入口から出口まで一方通行です。

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 厳島神社の創建は、推古元年(593)、佐伯鞍職によると伝えられます。平安時代後期の仁安3年(1168)に、佐伯景弘が厳島神社を崇敬した平清盛の援助を得て、今日のような廻廊で結ばれた海上社殿を造営します。本殿以下37棟の本宮(内宮)と、対岸の地御前に19棟の外宮が設けられ、全て完成するまでに数年が費やされたそうです。社運は平家一門の権勢が増大していくにつれ高まり、その名を世に広く知られるようになりました。鎌倉時代から戦国時代にかけて政情が不安定になり荒廃した時期があったものの、弘治元年(1555)、厳島の合戦で勝利を収めた毛利元就が神社を支配下に置き庇護したことから、社運は再び上昇します。天下統一を目前にした豊臣秀吉も参詣して武運長久を祈願しており、その年に安国寺恵瓊に大経堂(千畳閣)の建立を命じています。
 厳島神社は社殿が洲浜にあるため海水に浸る床柱は腐食しやすく、長い歴史の間に幾度となく自然災害や火災に見舞われてきましたが、その度に島内外の人々の篤い信仰心に支えられて修理再建され、今日まで平安の昔さながらの荘厳華麗な姿を伝えています。

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 日本三景などと言われると、敬遠したくなりますが、『平家物語』の世界が蘇ってきて、やはり来てよかったと思いました。いまの季節は6時半から開門していますから、団体様が押し寄せる前がお勧めです。

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 出口の前のきらびやかな建物は霊宝館です。平家納経はレプリカしか展示されていないそうで、通り過ぎました。これまでに本物には一度しかお目に掛かっていません。

 霊宝館の左側の道をたどり、大聖院の仁王門の前に着きました。高野山に行く前に読んだ高村薫氏の『空海』の中にかなり詳しいご紹介があり、さらに東博の『仁和寺と御室派のみほとけ』で大聖院の本尊の不動明王を拝観したことも加わって、行ってみたい場所の一つでした。大聖院は、明治初年までは厳島神社に付属する別当寺でした。明治初年の神仏分離から廃仏毀釈への流れは、隣国の文化大革命を嗤えない大愚行だと思いますが、大聖院はなんとか存続します。

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 仁王門から石段を登りきったところに、四脚門の御成門があります。長い石段を手すりを頼りに這い上がりました。このあとも斜面に配置されているお堂をめぐって、石段を登ったり、下りたり。

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 大師堂から振り返ると、青い空、白い雲。

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 観音堂の前にテントを張って、外国人旅行者目当てにこけしなどを売ろうと準備中でした。奥の二層の建物は摩尼殿です。

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 平家一門も尊崇した十一面観音を安置する観音堂の堂内ですが、判別不能の写真しか取れませんでした。仏罰かもしれません。十一面観音は、もとは厳島神社の本地堂に祀られていましたが、神仏分離令により大聖院に移されました。

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 高村氏の『空海』で紹介されていたチベット密教の砂曼荼羅です。

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 摩尼殿の前まで来ました。

 勅使門から仁王門までの石段の途中に霊宝館があって、東博でお会いした重文の不動様がご帰還でした。

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 弁髪を結い,両眼を開き,上歯牙を露わす、大師様不動明王像の古例です。顔をわずかに右に向ける姿も,東寺講堂像(国宝)に似ていますが、整理された量感表現や装飾的な臂釧にみる浅い刻出などから平安時代(10世紀後半)の作と推定されています。もとは京都の仁和寺塔頭・真乗院に祀られていました。

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 海を眺めながら、石段を下ります。このお寺にはおびただしい石仏が並んでいて、いかにもお大師様信仰の聖地という感じですが、個人的な好みでは禅宗寺院の簡素で清冽な雰囲気が好きです。婚家の宗旨が真言宗でしたので、蝋燭とお線香を備えてきました。

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 奈良ほどではありませんが、シカがのんびりと日向ぼっこをしています。

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 あせび歩道と名付けられた道を登ると、多宝塔(重文)に至ります。

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 1523年に創建、1704~10年(宝永年間)に改修されています。もとは大聖院の伽藍を構成していましたが、明治初年の神仏分離令で、厳島神社の管理下に移されました。この場所は絶景ポイントで、宮島口から宮島桟橋に向かうフェりーが映っています。

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 石段を下りると、次の目的地の宮島歴史民俗資料館はすぐそばです。

安芸の旅・・・①三景園&不動院

  厳寒や酷暑の時期を除いて、月に一度は小旅行をしています。6月12日~14日の旅は広島県を選び、宮島の宿を予約しました。錦水館は日本旅館には珍しく、シングルの洋室があります。少し遠いので、新幹線ではなくて、ANAとセットのプランを選びました。梅雨の季節もものかは、お天気は3日間とも上々でした。10時50分発の羽田空港から広島空港まで1時間10分のフライトは定刻どおりです。

 まず空港から徒歩5分の三景園に寄りました。広島空港の開港を記念して1993年に造られた築山池泉式庭園です。

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 庭園は三つのゾーンに分かれています。正門付近は、宮島をイメージした海のゾーンで、数寄屋風水上建築と大きな池や島を配しています。


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 すべてを回り時間はありませんので、「湖畔の道」を通って、「ショウブ田」と「アジサイ園」を見に行きました。右側は池、左側は新緑の森の美しい遊歩道は静けさに包まれていました。

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 「ショウブ田」は、規模は小さいのですが、人が少ないのが高得点。

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 道沿いにおびただしい種類のアジサイが植えられています。絢爛と咲き誇るというよりも、どこか儚げな風情でした。

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 山のゾーンは割愛して、空港に戻り、広島バスセンター行のバスに乗りました。広島駅行に比べると利用者が少なく、私を含めて5人で発車。38分で中筋に着きました。

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 ここで平成6年に開業したアストラムラインに乗り換え、4分ほどで次の目的地の不動院前です。私が利用した区間は高架でしたので、駅からそれらしい建物が見えました。

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 地図の①が不動院で、ここを起点に「二葉の里歴史の散歩道」が設定されていますが、今回は不動院だけにとどめました。私にとって不動院には三つのキーワードがありました。

 1.広島市内唯一の国宝建造物

 2.安国寺・利生塔

 3.安国寺恵瓊

 広島県内の国宝建造物ということでしたら、尾道の浄土寺やこれから行く宮島の厳島神社が著名ですが、市内に限ると牛田山の山麓という地形的要因によって原子爆弾の爆風を逃れた不動院の金堂しかありません。

 現在は安国寺不動院と呼ばれていますが、足利尊氏・直義兄弟が後醍醐天皇が亡くなったあと夢窓国師の勧めで戦禍の犠牲になった人々の霊を弔うため、北海道と沖縄を除く全国に置いたのが、安国寺・利生塔の一つです。ただし、先例と考えられる聖武天皇の国分寺・国分尼寺とは違って、安国寺の寺号を得た寺のほとんどは、新しく建立されたものではなく、各国で守護との結びつきが強かった有力寺院が「安国寺」の寺号を与えられたようです。

 安芸の安国寺は安芸の守護武田氏の菩提寺として繁栄しますが、戦国時代の大永年間(1521~27)の武田氏と大内氏の戦いで伽藍が焼け落ちてしまいました。 荒廃していた安国寺を再興したのが毛利氏の外交僧として活躍し、のちに豊臣秀吉の直臣大名として戦国の世に名高い安国寺恵瓊です。安芸の安国寺の住持を務めたので、安国寺恵瓊と呼ばれています。恵瓊は海北友松を描いた『墨龍賦』にも登場しますが、敗者であることも加わって、あまり評判のいい人物ではありません。

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 参道の奥に見えてくるのは楼門(重文)です。上層の尾椎に「朝鮮木文禄三」(1594)等の刻銘があり、文禄の役に従軍した恵瓊が当時の朝鮮から良材を持ち帰って建立したものと伝えられています。

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 国宝の金堂は、大内義隆が周防山口に建てたものを恵瓊が移建し、仏殿にしたと伝えられています。現存する唐様の建築としては最大の遺構で、中世の本格的な仏殿の規模をうかがうことができます。屋根の反りや花頭窓などに魅せられました。安置されている薬師如来坐像(重文)は、藤原時代の定朝様なので、創建はその時代にさかのぼれそうですが、残念ながら、お正月の三が日と5月5日しか公開されません。

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 重層袴腰付屋根を持ち、入母屋造柿葺きの鐘楼(重文)は、永亨五年(1433)に建立されたもので、現存する不動院の建物では最古です。内部には高麗鐘があります。

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 恵瓊は関ケ原の合戦で西軍に加わったため、石田三成や小西行長とともに処刑されます。4月に訪ねた建仁寺に恵瓊の首塚がありましたが、不動院にも首塚があります。毛利氏が防長2国に国替えとなって去ったあと,芸備2国49万石の大名として福島正則が入国します。正則の祈祷僧である宥珍が住持となったとき、禅宗から真言宗に改め、不動明王を本坊に移して本尊とします。最初は本坊のみが不動院と称されましたが、のちに全体を不動院と呼ぶようになりました。福島氏が台風の被害を受けた広島城を幕府の許可なく修理したのを理由に改易されたのちは、浅野氏による治世が続きます。

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 本坊の前に立っていた掲示板を読んで、胸が痛くなりました。8月6日のことが書かれています。当時、大阪の郊外に住んでいて、新聞社に勤めていた叔父が強張った表情で訪ねて来て、「広島に新型爆弾が落とされた。次は大阪かもしれない」と言った日のことは、いまもはっきりと覚えています。いろいろな思いがあって、広島を観光で訪れることは長く念頭にありませんでした。戦争を知らない世代が圧倒的多数になって、もっと戦力を持っていれば、戦禍を免れたなどという人まで出て来たのには驚くしかありません。金属はすべて供出し、飛行機を飛ばす燃料を確保するために松の木を切り倒して、松根油を集めていたのですから・・・。再び愚かな道を歩まないよう、強く願っています。

 アストラムラインの新白島で岩国行のJRに乗り替え、宮島口に着きました。5分ほど歩くと、宮島桟橋行のフェりーの乗り場です。

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 フェりーに乗る前に電話したら宿からお迎えに行くというお話でしたが、電話がつながりません。あとで機内モードのままだったことがわかりましたが、仕方がないのでタクシーに乗りました。

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 ランチョンマットにこまごまと書いてありましたが、食材はすべて地元産です。とても美味しく、接客も気持ちのよいものでした。

 惜しむらくは5階なのに視界が悪く、ベランダの壁画に笑ってしまいました。

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 シーサイドテラスがロビーのそばに造られています。ちょうど米朝会談の日で、夜景もそっちのけで、テレビを見続けました。

 下に見苦しいものが残っていますが、どうしても消えてくれません。

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