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目白で若冲と等伯・・・②永青文庫と肥後細川庭園

 椿山荘を背に目白通りを左に進み、矢印を頼りに早稲田方向に折れて150mほど行くと、和敬塾の隣に永青文庫があります。

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 永青文庫は、武蔵野の名残をとどめる目白台にあった細川家の屋敷跡の一角に建っています。この建物は旧細川侯爵家の家政所(事務所)として昭和初期に建設されたものだそうです。細川家は室町幕府で将軍に次ぐ要職である管領を務める三家(細川・斯波・畠山)の中でも、現在まで連綿と続く名家だと思います。現在の細川家は藤孝(幽斎)を初代とし、二代忠興は武将としても千利休の高弟としても名高く、妻の玉は明智光秀の娘でありガラシャという洗礼名で大河ドラマにたびたび登場しています。三代忠利のとき肥後熊本五十四万石を与えられ、強力な外様大名として幕末にいたり、現当主は最近も話題にのぼる家柄です。

 細川家ゆかりの南禅寺塔頭・天授庵の方丈を飾る長谷川等伯の32面の障壁画が公開されると知って、猛暑が和らぐのを待って出かけました。 前期16面、後期16面ですから、すべてを鑑賞するためには2度行かなくてはなりません。前期は↓のチラシに載せられている「禅宗祖師図」がメインですが、猫が犠牲になる絵はどんな意味があるにせよ引いてしまいます。                   

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「禅宗祖師図」

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 4階から2階に展示室があり、等伯の障壁画以外にも興味深い展示品を見ることができました。たまたまですが、10月に行こうと思っている場所に関連のある展示があって、一人で喜んでいました。そのことは、旅が実現したら、改めてまとめたいと思います。

 永青文庫から坂道を下ると肥後細川庭園に出られます。

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 坂を下りると、池泉回遊式庭園が広がっています。「カワセミを見ました?」と声をかけられて、なんでしょうと思ったら、「午後3時ごろに出てくると聞いてやってきた」と三人連れのご婦人がおっしゃいます。しばらく待っていたのですが、その気配なく、中門を出て、松聲閣でお茶をいただきました。

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 松聲閣は、旧熊本藩細川家下屋敷のあったこの地で、細川家の学問所として使用されていたようです。一時期は細川家の住まいとして使用されていて、護熙氏も暮らされたとか。現在の建物は、歴史性を生かして保存・修復を行うとともに、耐震性を確保し、平成28年1月にリニューアルオープンしています。とても感じのいい受付の方が点ててくださったお抹茶を休憩室「椿」でいただきました。
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 お菓子は「加勢以多」です。ポルトガル語の「caixa da marmelada」(カイシャ・ダ・マルメラーダ)の最初の部分だけが、「カセイタ」となったようで、二代忠興公がお好きだったものを再現したそうです。熊本以外では求めにくい銘菓を美味しくいただきました。

 2階は回遊式の展望所になっていて、文京区の史跡を解説するビデオも見られます。エレベーターも設置されていて、バリアフリーは完璧です。

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 正門から神田川沿いの道をのんびり歩き、胸突坂の石段を登ると目白通りに出られます。途中に芭蕉庵がありますが、残念ながら「本日休庵」の札がかかっていました。

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 松尾芭蕉が延宝5年(1677)から延宝8年(1680)まで、神田川の改修工事に参画し、ここに住んだと言われています。

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 胸突坂は、その名にたがわず、写真で見るより厳しいです。坂の途中から見下ろす神田川は、あまり風情がありません。上流の我が家の近くの神田川のほうが素敵と郷土愛。

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 境内に公孫樹の巨木が茂る水神社は、いまはコンクリート造りですが、神田上水が開かれて以来、関口水門の守護神として祀られてきました。石段を登りきると、永青文庫の前でした。東京に住んで40年以上たつのに、けっこう知らない場所があるものです。1万2000歩近く歩いて、疲れたけれど、いい半日でした。

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目白で若冲と等伯・・・①五百羅漢@椿山荘

永青文庫で長谷川等伯の障壁画32画面が公開されるというので、目白からバスに乗りました。いい機会ですから、椿山荘の前でバスを降りて、庭園内に置かれた若冲下絵の五百羅漢を拝観しましょう。今年の四月に伏見の石峰寺裏山の五百羅漢を見せていただきましたが、撮影禁止でした。そのとき20体ほどが椿山荘の庭園に移設され、こちらは撮影できると知って、いつか行ってみようと思っていました。

 椿山荘の正面玄関から入って、そのまま庭園入口に向かいます。左に行くと羅漢さまに会えますが、まず右側の三重塔まで行ってみました。椿山荘のある場所は、かつては椿の自生地で、江戸時代は下総久留里藩黒田豊前守の下屋敷がありました。山県有朋が明治11年に購入し、庭園・邸宅を造り、大正7年に藤田組の二代目・藤田平太郎男爵の所有となります。広島県の竹林寺に創建された三重塔は、大正年間に強風で、二、三層が大破した状態でしたが、藤田男爵の目に留まって、大正14年に移築されました。建築工法や細部の様式から室町時代の作と推定されています。

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 坂道を下って、羅漢さまとご対面。チャペルにほど近い庚申塔の右側の草むらに鎮座されています。

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 庚申塔は、道教の庚申信仰に思想由来する石塔で、寛文9年(1669)に造られたと伝えられ、青面金剛像が刻まれています。

 伊藤若冲が下絵を描いた五百羅漢のうち20体が大正14年にここに移された事情は定かではありません。庭園を散策する方々が関心を示さずに通り過ぎて行かれるのが、ちょっと残念でした。

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 石峰寺の鬱蒼とした林の中に釈迦の誕生から涅槃まで数多くの石仏が並んでいる様子とは、かなり雰囲気が違いますが、気前よく公開されているのは有難いお話です。山県有朋は椿山荘のほかに小田原の古稀庵や京都の無鄰菴なども所有していますから、明治の元勲はスケールが違いますね。椿山荘を出て、目白通りを目白に向かって少し歩くと、永青文庫はこちら、という表示がありました。

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 怠け癖はとめどもなく、いまさら出てくるのもお恥ずかしい限り。1月末に風邪をひいて、2月は無為に過ごしたとはいえ、もう3月も終わりです。これ以上怠けていると、とうとう・・・と思われそうですね。この間にMETのライブビューイングで「ロメオとジュリエット」。最後に見たアムステルダムの舞台のメッセージ性の多さにまごう主演歌手の運動量の多さが際立ちました。歌舞伎は仁左衛門さんの知盛に尽きます。平氏一門でも、もともと知盛びいきで、「見るべき程の事は見つ」という最後の言葉が特に好き。いつぞやテレビから聞こえてきた朗読番組で、このセリフが打ち寄せる波のようにリフレーンされていたのを思い出しました。

 体力が低下すると、行動力も鈍ります。心に圧力が加わらないと、何事もやめるほうに傾いてしまいますので、孫たちと食事や買い物を楽しんだ帰りに、熱海を往復する特急券を買いました。3月29日はお天気も優しく、品川経由で熱海着。バスでMOA美術館に向かいます。10年ほど前に同窓会で訪ねたときは、尾形光琳がお目当てでしたが、今回は「山中常盤物語絵巻」です。

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 この作品の存在を初めて知ったのは辻惟雄著『奇想の系譜』の「憂世と浮世ー岩佐又兵衛」の記述でした。昭和3年にドイツに渡る寸前に私財をなげうって長谷川氏が購入した絵巻が昭和4年に京博、昭和5年に東京・三越で展示されたときは押すな押すなの盛況だったそうですが、リニューアルを終えたMOA美術館であまりストレスなく拝見できて喜んでいます。長いエスカレーターを何回も乗り継いでいくのは、行きはよいよい、帰りは怖いで、とりわけ下りのエスカレータが恐怖! たぶん次の機会はないでしょう。

 「山中常盤物語絵巻」は、12巻、全長150メートルの大作で、今回の展示は70メートルだけでしたが、ケースのガラスの材質や採光などに工夫が凝らされ、たいへん見やすくなっています。物語そのものは荒唐無稽。牛若丸が密かに奥州に向かったのを知った常盤御前は、お供の侍従と呼ばれる女性ともども後を追い、美濃の山中の宿で高価な小袖を狙った盗賊たちに惨殺されてしまいます。胸騒ぎを覚えた牛若丸が奥州から駆けつけて母の仇を討ち、そののち10万?!の兵を率いて上京する際、力になってくれた宿の主人夫婦に褒賞を与えるという仇討ち話が鮮やかな色彩で描かれています。岩佐又兵衛は、私が育った北摂の町で生まれ、伊丹城主となった荒木村重の遺児だそうです。先年、大河ドラマの「軍師官兵衛」で、そのいきさつが語られていましたが、信長を裏切った村重に置き去りにされた家族が皆殺しになったとき、乳母に抱かれて脱出したと言われています。

 「山中常盤絵巻」は、美術館の解説では「伝岩佐又兵衛」です。辻氏は又兵衛の作だと断じ、逆に又兵衛の自画像は彼をよく知る画家の作ではないかと述べられていますが、私には当否はわかりません。ただ、73歳で亡くなった又兵衛の像が超高齢に見えます。

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 珍しく撮影可でしたが、私の持つハードもソフトも極めてお粗末ですから、HPから2枚だけ拾わせていただきます。嗜虐的な殺しの場面は小心者ゆえ省きました。

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 脱線して山中とはどんなところか調べてみました。織田信長の伝記である『信長公記』巻八に「山中の猿御憐愍の事」という一節があり、美濃に本拠があったころの信長が京都との往復の際、美濃と近江の境の山中に山中の猿と呼ばれる頑者(障がい者)が乞食をしているのを見て、不審に思って尋ねたところ、先祖が常盤御前を殺した因果で、代々、頑者として生まれているという答が返ってきます。そののち彼らを憐れんだ信長が村人に木綿二十反を渡して、これで飢えないようにしてやれと言った、なんという情け深いお方だという信長ヨイショの逸話が残っています。山中の宿は東山道の宿場として賑わい、室町時代は陶器の産地としても知られましたが、関ケ原町の大谷吉継の陣跡の近くにいまも常盤御前の墓と伝わる史跡があるそうです。

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 2巡して目に焼き付けたのち、唐門をくぐって茶の庭を散策し、ムアスクエアで海を眺めました。なんと今年になって海を見るのは初めて。花の蕾はまだ固そうです。

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 やっと寒さも和らぎ、とても良い日でした。

 

「禅」と「櫟野寺」@東博

 11月8日から後期の展示が始まった「禅ー心をかたちにー」と初公開の櫟野寺の秘仏を拝観しに東博に行ってきました。臨済宗・黄檗宗の源流に位置する高僧、臨済義玄禅師の1150年遠諱と、日本臨済宗中興の祖、白隠慧鶴禅師の250年遠諱を記念する展覧会ですから、曹洞宗関係の出展はありません。

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 10月に山梨県の清白寺を訪ねたとき、境内の掲示板に門前からバスで見学に行く旨の告知が貼ってあって、行かなければと思っていました。本展は五章に分かれています。

 第一章 禅宗の成立

 ここでは達磨がインドから渡来して中国で禅宗が成立するまでの経過を歴代の祖師尊像を中心にたどります。とりわけ目を惹くのは、後期のみ展示される雪舟作「慧可断臂図」です。

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  少林寺で壁に向かって座禅を組む達磨に慧可が自らの左腕を切り落として決意を示し、入門を許されるという有名なエピソードを77歳の雪舟が描いています。達磨の眼光の鋭さが尋常ではありません。雪舟没後まもない天文元年(1532)に尾張国知多郡宮山城主の佐治為貞によって斎年寺に寄進されますが、現在は京都国立博物館に寄託されています。

 第二章 臨済禅の導入と展開

 臨済・黄檗15派の開祖や本山を肖像や墨跡を中心に紹介しています。建仁寺から萬福寺まで各寺から選りすぐりのお宝が並ぶ中、大徳寺蔵「後醍醐天皇宸翰置文」に目が釘付け。国民学校の校長先生のファナティックな楠公精神教育がトラウマになっているお方ですが、その墨跡の気韻には素直に感動しました。元弘3年(1333)8月24日の筆で、後醍醐天皇が大徳寺には開山宗峰妙超の門流のみを止住させる「一流相承」を認めた置文です。

 第三章 戦国武将と近世の高僧

 武将とそのブレーンとして活躍した禅僧たちの肖像や書状が中心ですが、とりわけ白隠の存在が際立っています。以前、白隠の展覧会でも拝見した「達磨像」が圧倒的な存在感を放っていました。

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 80歳を越えての最晩年作で、縦2m近くもある通称「朱達磨」。 「直指人心、見性成仏」の賛が入り、「自分の心にこそ仏が宿り, それを自覚することで仏になる」と説いているという説明がありました。この絵が今回の展覧会のシンボルのように、全会期、会場の入り口に置かれています。

 第四章 禅の仏たち

 禅宗は、仏像よりも高僧の人間味ある肖像が重きをなしているようですが、もちろん仏像もあります。配置のしかたや十牛図の説明など、お勉強になりました。

 第五章 禅文化の広がり

 敬虔な信徒の方には申し訳ないのですが、いちばん興味があったのが、この最終章です。

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 たとえば、この青磁たち。昨年、足利を訪ねた最大の目的は、鑁阿寺の拝観でしたが、寺宝は非公開です。青磁牡丹文の花生と香炉は、中国の浙江省にある龍泉窯で焼かれた名品です。寺伝では、香炉炉は足利尊氏、花瓶は足利義満の寄進によるものといわれています。後醍醐天皇と足利尊氏! 

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 茶道具も何点か展示されていましたが、ライトが当たって華やかに輝く「油滴天目」が見事です。関白秀次の所蔵からめぐりめぐって、いまは大阪の東洋陶磁美術館にありますが、なかなか拝見する機会に恵まれませんでした。

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とうとう見ました、実物を。妙心寺の退蔵院には何度か行っていますが、冒頭のチラシを飾る「瓢鯰図」は複製しか置いてありません。室町幕府の4代将軍足利義持が如拙に命じて描かせ、31名の賛が書かれた不思議な絵は教科書でおなじみだと思います。正直言って、いまだに意味がわかりません。

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 もう一点だけ。長谷川等伯の「竹林猿猴図屏風」にも初めて出会えました。この屏風と同じ図柄の屏風が昨年公開され、物好きにも七尾まで見に行きましたが、保存状態が悪くて、修補を経ても朧でしたので、やっとという感じです。

 11月8日からは、プライス・コレクションの若冲の作品2点も加わりました。

 疲れた身体に鞭打って、本館の「平安の秘仏ー櫟野寺の大観音とみほとけたち」と名付けられた特別展に向かいました。

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 滋賀県甲賀市にある櫟野寺には重要文化財に指定された仏像が20体あります。平成30年に完成予定の収蔵庫ができるまでの期間を利用して、初めてお寺の外に出たお像を拝観できる稀有の機会に恵まれました。台座・光背を含めると5mを超える十一面観音坐像は、御開帳の際もお厨子に納められているそうですから、側面や背面もを拝観することはできません。本展ではぐるっと回って拝観させていただけます。

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 お寺は空っぽじゃないかしらと心配になるほど、重文以外のお像もたくさん並んでいました。ずんぐりしたお姿の素朴な木彫も味わい深いものがあります。白洲正子氏の「かくれ里」で紹介されていると知って、慌てて発注しました。図書館には『白洲正子の「かくれ里」を行く』という写真集しかなかったので、とりあえず借りてきました。今年の3月に行った越前の平泉寺の美しい写真があって、懐かしく見とれています。暖かくなったら、あまり手強くなさそうなところを訪ねてみたいと思います。

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クリスティ&レザール・フロリサン

 もう一週間前になってしまいましたが、今年でいちばんのいい時間に恵まれました。MIXIのカレンダー欄のA様の書き込みで気が付いて、とても感謝しています。全く予備知識がなく、知らない作曲家の知らない曲もプログラムに並んでいました。サントリーホールのステージに二段になったベンチが置かれ、指揮者と6人の歌手と管弦楽のレザール・フロリサンの楽しい音楽が始まりました。

 前半はストラデッラ、ヘンデル、ヴィヴァルディなどバロック系ですが、セミ・ステージ形式上演と書いてあったのに、最初はクリスティの意図がわからなかったようで、一曲目が終わったときは拍手がわきましたが、「ソプラノは?」「IO」、「メゾソプラノは?」「IO」という感じで、6人が名乗り出て、十数曲のアリアや重唱を巧みにつないだオペラ仕立てになっていると気がつきました。ときには指揮者も加わって、楽しい雰囲気です。ヘンデルのオラトリオ『時と悟りの勝利』の快楽のアリアは、のちに『リナルド』の有名なアリアに転用されますが、ルシア・マルティンの名唱に心を奪われました。

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 後半は、休憩時間中も羽ペンで楽譜を書いていた劇場支配人が二人の女性歌手に振り回されるチマローザのオペラから始まって、、モーツァルト、ハイドンなど古典系の作曲家の小曲を再編成した知的な興趣に満ちた構成です。6人の歌手はそれぞれの力量も素晴らしく、アンサンブルも絶妙でした。

 残念だったのは、聴衆の少なさ。空席あまたは勿体なさすぎます。2日続けて、大きすぎる会場と少なすぎるお客にため息が出ます。

★出演
ウィリアム・クリスティ(指揮)
レザール・フロリサン(オーケストラ)
ルシア・マルティン=カルトン(ソプラノ)
レア・デザンドレ(メゾソプラノ)
カルロ・ヴィストリ(カウンターテナー)
ニコラス・スコット(テノール)
レナート・ドルチーニ(バリトン)
ジョン・テイラー・ウォード(バス)

★プログラム
ストラデッラ:カンタータ「アマンティ・オーラ(愛のアカデミア)」 より
バンキエーリ:「音楽のザバイオーネ」~&5声のマドリガーレ第1集 より
ヴェッキ:「シエーナの夜会、または新音楽のさまざまな気分」 より
ヘンデル:歌劇「オルランド」 / オラトリオ「時と真理の勝利」 より
ヴェルト:マドリガーレ「もう涙も出ない」 より
ヴィヴァルディ:歌劇「オルランド・フリオーソ」 / 「離宮のオットー大帝」 / 「愛と憎しみに打ち勝つ徳、またはティグラネス王」 より
チマローザ:歌劇「みじめな劇場支配人」 より
サッロ:歌劇「カナリー劇場支配人」 より
モーツァルト:バスとオーケストラのためのアリエッタ「御手に口づけすれば」
ポルポラ:ソロ・カンタータ「もし私の心が一人だったら」
ハイドン:歌劇「歌姫」 / 「騎士オルランド」 より

★アンコール

ロッシーニ :オペラ『ラ・チェネレントラ』から 第2幕の6重唱「あなたですね」
ストラデッラ :カンタータ『ねえ、恋人さんたち(愛のアカデミア)』から マドリガーレ「愛の神は巧みな師匠だ」
ジャキェス・デ・ヴェルト :『5・6・7声のマドリガーレ集』第5巻から マドリガーレ「もはや涙ではない」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                         

ロッシーニ :オペラ『ラ・チェネレントラ(シンデレラ)』から 第2幕の6重唱「あなたですね」
ストラデッラ :カンタータ『ねえ、恋人さんたち(愛のアカデミア)』から マドリガーレ「愛の神は巧みな師匠だ」
ジャキェス・デ・ヴェルト :『5・6・7声のマドリガーレ集』第5巻から マドリガーレ「もはや涙ではない」

ジャパン・オルフェオ

 10月12日に東京芸術劇場で 日伊修好150周年記念オペラ「ジャパン・オルフェオ」を鑑賞しました。この劇場はフローレスやデヴィ―アと会えた大切な場所ですが、最近はすっかりご無沙汰でした。でも大好きなバロックオペラで、これまた好きなジェンマ・ベルタニョッリが出演するとなると、行かないわけにはいきません。モンティヴェルディの「オルフェオ」を初めて観たのはコモのテアトロだったと思います。その後、2007年が作曲されて400年目目だというので、クレモナやモデナ、その翌年にはマドリッドとバーゼルで観ることができました。いずれも忘れがたい公演です。

 とくに本公演はイタリアと日本の優れた表現者が同じ舞台で演じるとあって、夜間の外出は避けてきた身でありながら、興味津々で出かけました。

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 プロローグで擬人化された「音楽」役で登場するベルタニョッリは、レッジョ・エミーリアやローマ、そして日本でも聴かせていただいた好きなソプラノです。烏帽子姿の雅楽の演奏者の荘重な響きのなかに現れる彼女がまとった衣装を見て、ミッソーニっぽいと思ったら、本当にミッソーニのデザインでした。色彩も音楽も調和していて、さすがと思わされます。

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 第一幕はオルフェオとエウリディーチェの婚礼の日です。主役を演じるヴィットーりオ・プラートの歌唱も見事でした。華やかな祝宴の場面には、南イタリアの民族舞踊も加わり、観客席も高揚感に包まれました。

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 第二幕のオルフェオの喜びの歌は、妻の死を告げる「使者」によってさえぎられ、舞台は一転して嘆きの場に変わりました。オルフェオが妻を取り戻す決意を語って、前半は終わりです。

 休憩が終わって、なんとなく緊張感がただようなか、美智子皇后がお出ましになりました。舞台奥からまぶしいフラッシュがたかれ、拍手がわきました。警備の都合なのか、いつも途中からなので、オペラ好きな某女性ジャーナリストの「生前退位をされたら、どうか最初からご覧になっていただきたい」というTwitterの書き込みに共感します。

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 第三幕は、ベルタニョッリ(二役)の演じる「希望」に導かれてオルフェオは黄泉の国に向かいます。三途の川では、黒い着物に白い被衣の日本舞踊の方々が舞っていました。

 第4幕の冥界の王プルトーネに妻のプロセルビナがオルフェオに妻を返してやってと懇願する場面では能楽師がパントマイムを演じます。宝生流宗家の演じるプロセルビナは圧倒的な存在感がありました。

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 妻を連れ戻す条件は、黄泉の国では妻の姿を見ないことでした。ところが簡単にこの掟を破ったため、妻との永遠の別れがくるという物語は、「古事記」のイザナキ・イザナミ神話とそっくりです。若いころに学んだ神話学では印欧語族の神話と記紀神話の共通性が論じられていましたが、最近はどうなのでしょうか。いずれにしても、この共通性が演出家のステファノ・ヴィツィオーリ氏の文化交流への強い願望を生み出し、画期的な公演が実現したことは疑いのない事実です。

 モンテヴェルディの「オルフェオ」は、失意のオルフェオがアポロンに連れられて、天上に昇るという結末です。バーゼルの公演では、バーゼル市街の上空を飛翔するオルフェオの映像を映して終わりました。

 「ジャパン・オルフェオ」は第5幕が加わります。妻以外の女を罵倒したオルフェオは、日本舞踊家の演じるバッカスの巫女たちの怒りを買って、八つ裂きにされるという結末が用意されていました。最後はピエトロ・ピレリの奏でるレーザー・ハーブという初めて接する光とサウンドの世界で終わりました。

 二人のイタリア人歌手の優れた歌唱とジャパン・オルフェオ」のために編成された管弦楽団と合唱団の力演もあって、音楽的にもハイレベルでしたし、日本とイタリアの舞や踊りも目を楽しませてくださいましたが、最大の問題は入れ物です。最初の2公演は鶴岡八幡宮の特設会場だそうで、そういうスケールこそ望ましいと思います。大きすぎるホールとガラガラの観客が残念でした。

 実行委員長や委員の顔ぶれも気になりますが、それは言わないことにいたします。

歌劇『Japan Orfeo』 作曲 / クラウディオ・モンテヴェルディ Claudio Monteverdi(1567-1643)
補筆作曲 /沼尻竜典 Ryusuke Numajiri
作詞 / アレッサンドロ・ストリッジョ Alessandro Striggio(1540-1592)

■ 日程/会場: 2016年10月7日(金)、8日(土) 開演午後6:00 
鶴岡八幡宮 特設野外舞台 (神奈川県鎌倉市雪ノ下2-1-31)

   2016年10月12日(水)、13日(木) 開演午後7:00
東京芸術劇場コンサートホール (東京都豊島区西池袋1-8-1)

■出 演: 
・オルフェオ:    ヴィットーリオ・プラート Vittorio Prato  (バリトン)
・エウリディーチェ: 阿部 早希子 Sakiko Abe (ソプラノ)
・音楽、希望:    ジェンマ・ベルタニョッリGemma Bertagnolli (ソプラノ)
・使者、プロセルピナ: フランチェスカ・ロンバルディ・マッズーッリ Francesca
Lombardi Mazzulli (ソプラノ)
・カロンテ、プルトーネ: ウーゴ・グァグリアルド Ugo Guagliardo (バス)

・プルトーネ:   武田 孝史 Takashi Takeda (宝生流シテ方)
・プロセルピナ:  宝生 和英 (宝生流第20代宗家)
・日本舞踊 : 藤間 勘十郎 (宗家藤間流 八世宗家)
       花柳 美喜 Miki Hanayagi
       花柳 凛 Rin Hanayagi
       藤間 勘舞恵 Kanmae Fujima
       藤間 紫恵嘉 Shieka Fujima
・イタリア民族舞踊ダンサー:アンドレア・デ・シエナ Andrea de Siena
              チアラ・デル・アンナ Chiara Dell’Anna
              フランチェスカ・デ・アグナーノFrancesca d’Agnano

・レーザー・ハープ: ピエトロ・ピレリ Pietro Pirelli
          ジアンピエトロ・グロッシGianpietro Grossi

・ジャパン・オルフェオ管弦楽団 Japan Orfeo Ensemble 
 アーロン・カルペネ Aaron Carpene (チェンバロ)
 渡邊 順生 Yoshio Watanabe(チェンバロ、ポジティブ・オルガン、レガーレ)
 ルカ・ジャルディーニ*  Luca Giardini(バロック・ヴァイオリン) 
 エリン・ガブリエルソン Elin Gabrielsson バロック・ヴァイオリン
 渡邊 慶子 Keiko Watanabe(ヴィオラ)
 ロジータ・ヘレナ・イッポーリト Rosita Helena Ippolito(ヴィオラ・ダ・ガンバ)
 懸田 貴嗣 Takashi Kaketa(バロック・チェロ)
 西澤 誠治 Seiji Nishizawa(ヴィオローネ)
 西山 まりえ Marie Nishiyama (ダブル・ハープ)
 金子浩 Hiroshi Kaneko (テオルボ、リコーダー)
 ジャンジャコモ・ピナルディ Giangiacomo Pinardi(テオルボ、パーカッション)
 濱田 芳通 Yoshimichi Hamada (コルネット、リコーダー)
 アンドレア・インギッシャーノ Andrea Inghisciano(コルネット)
 神代 修 Osamu Kumashiro(トランペット)
 宮下 宣子 Nobuko Miyashita(トロンボーン)
 大内 邦靖 Kuniharu Ouchi(トロンボーン)
 巻島 俊明 Toshiaki Makishima(トロンボーン)
 三浦 元則 Motonori Miura(篳篥)
 三浦 はな Hana Miura(笙)
 〆野 護元 Moriyuki Shimeno(竜笛)
                              
その他:宝生流囃子方 (大鼓、小鼓、笛)

・ジャパン・オルフェオ合唱団 Japan Orfeo Chorus 
 合唱指揮 福島 康晴 Chorus Master Yasuharu Fukushima
 佐藤 裕希恵 Yukie Sato (ソプラノ)
 藤井 あや Aya Fujii (ソプラノ)
 松岡 多恵 Tae Matsuoka (ソプラノ)
 森川 郁子 Yuko Morikawa (ソプラノ)
 新田 壮人 Masato Nitta (アルト)
 畠中 海央 Mio Hatanaka (アルト)
 渡辺 新和 Niina Watanabe (アルト)
 相山 潤平 Jumpei Aiyama (テノール)
 北嶋 信也 Shinya Kitajima (テノール)
 鈴木 秀和 Hidekazu Suzuki (テノール)
 福島 康晴 Yasuharu Fukushima (テノール)
 阿部 大輔 Daisuke Abe (バス)
 金子 慧一 Keiichi Kaneko(バス)
 西久保 孝弘 Takahiro Nishikubo(バス)
 目黒 知史 Tomofumi Meguro(バス)

弦楽五重奏

 やっと猛暑も収まったと思ったら、甘かった。9月18日の午後に行ったコンサートの会場は、冷房が効かず、前半は演奏家も聴衆も汗だくでした。とりわけ日頃はベルリンで活躍している5人の演奏家にとって厳しかったようで、2曲目のベートーベンの弦楽五重奏曲ハ短調の第三楽章が終わると、演奏を中断した第一バイオリン奏者が「Berry Hot」と叫ぶ始末。出かける機会が激減した私にとって最後の砦の会館が来年の5月まで改修中で、あちこち間借りしておられますが、その一つが宰相閣下の母校の大講堂です。スタッフが窓を開けて再開し、休憩を経て登場した演奏家は上着もネクタイも外したクールビズでした。

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ヴォルフ:イタリア風セレナード
ベートーヴェン:弦楽五重奏曲 ハ短調 op.104
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J.S.バッハ:G線上のアリア(管弦楽組曲第3番ニ長調 BWV1068より第2楽章)
ドヴォルザーク:夜想曲 ロ長調 op.40
ドヴォルザーク:弦楽五重奏曲第3番 op.97

 会場が冷えてくるのと反比例して、演奏は熱くなり、最後のドヴォルザークの弦楽五重奏曲第3番は圧巻でした。だんだん消極的になっている我が身に、世の中には凄いものがたくさんある、ぼんやりしていてはもったいないと思わせるものがありました。

 アンコールの曲名が聞き取れなくて、コントラバスの演奏家がセンターに出てこられたのをいぶかしく思っていたら、聞こえてきたのは大好きなアリアの旋律です。ベッリーニの「夢遊病の女」で、久しぶりに故郷に帰ってきた伯爵が歌うアリアをコントラバスが奏でます。えっ、と思っていたら、バイオリンがアミーナのアリアを奏で、もう夢見心地。このオペラは日本でも何度か鑑賞していますが、ヨーロッパではウィーンとビルバオとベルリンで体験し、いずれも主役は地の果てまで追いかけたいファン・ディエゴ・フローレスでした。

 馬齢を重ねながら、恥ずかしくもボッテジーニの「『夢遊病の女』による幻想曲」の存在を知りませんでした。ボッテジーニは1822年にイタリアで生まれたコントラバスの名手で、ヴェルディの知遇を得て、「アイーダ」が初演されたときは、炎暑の地を嫌ったヴェルディに代わって指揮をした方だそうです。コントラバスのための名曲をたくさん書いているなかの一つだということも初めて知りましたが、いろいろな思いがこみあげてきました。

 アンコールの2曲目は、チェリストがセンターに進み出ました。日本の曲だという前触れで、演奏されたのは久石譲作曲「映画『おくりびと』より}。最後は、チャイコフスキーの「『エフゲニー・オネーギン』より」。タチアナの手紙の歌やレンスキーが決闘を控えて吐露する心情、オネーギンの絶望があやをなして、ああ、オペラを観たいという気持ちが募ってきました。10月にマリインスキー歌劇場の来日公演がありますが、数年前のボリショイ歌劇場のあまりにもすごかった名舞台が脳裏を去来して、レンスキーを歌うコルチャックの近場のリサイタルのチケットしか買っていません。コルチャックはペーザロで聴いたことがありますが、いつのまにか世界のスターテノールと呼ばれているのですね。

ヴェネツィア・ルネサンスの巨人たち

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 7月20日は、まず展覧会を観てから、映画館に行きました。地下鉄の乃木坂駅直結の国立新美術館で開かれているヴェネツィア絵画の展覧会は、1階のルノアール展に人気を奪われ、ストレスなく鑑賞できてラッキー。30年ほど前に姉や妹とイタリアルネサンスの旅15日間という企画に愚かしくも参加して、ローマからミラノまで旅しましたが、大部の本の目次だけ見て、本文は超速読といった内容で、ヴェネツィアに着いたときは疲労困憊状態。自由時間にアッカデミア美術館に行っても、ジョルジョーネぐらいしか覚えていません。そのあとサン・ロッコ同信会館に行って目まいがして、フラーリ教会の聖具室のジョヴァンニ・ベッリーニの祭壇画の気高さに息を吹き返したのでした。

 第一印象のおかげか、ヤコポ・ティントレットは敬遠し、ベッリーニには心惹かれて、イタリアの各地で訪ねたものです。2009年のスクデリーエ・デル・クイリナーレ(ローマ)でのベッリーニ展で求めた図録は、いまも宝物です。もちろん、ペーザロの市立美術館の祭壇画は何度となく見せていただきました。ですから、今回も期待していて、確かに掉尾を飾っていたのですが、もっといい作品を観過ぎたのかもしれません。「赤い智天使の聖母」の名のとおり、真っ赤な頭と羽の天使が不気味に思えた罰当たりです。背景に丘や川、野原を搔きこむのはヴェネツィア派の特徴だそうです。聖母子の視線が交差していなく、抱き方がユニークです。

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 2番目に並んでいたのがカルロ・クリヴェッリ。アスコリの祭壇画から切り取られ、いまはアッカデミア美術館蔵の2点が来ていました。アスコリのクリヴェッリは、大聖堂の祭壇画の前で30分以上も放心状態でしたし、初めてクリヴェッリの作品を観たアンコーナの聖母子像の印象も強烈です。この作品もヴェネツィアで観たはずなのに覚えていませんでした。もうイタリアへはいけませんから、貴重な機会をいただいて感謝です。他の作品と同様、目の表現が強烈です。

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 ティチアーノは好きな画家の一人です。ルーヴルに行けば「黒い手袋の男」に見とれていました。↓の「アルベルティーニの聖母」も優しくて、清らかで、美しくて、大好きです。

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 ティントレットは苦手と言いましたが、↓の「ヤコポ・ソランツォの肖像」は凄いと思いました。豪華な衣装の質感、威厳のある面差し、迫力があります。

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 この展覧会にはヤコポの次男のドメニコ・ティントレットの作品も4点ほど展示されています。↓はドメニコの描いた「キリストの復活」です。ブルーを基調にした静かな画面の真ん中にキリストがスクッと立ち、周りに疲れ果てた兵士たちが寝込んでいます。

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 最近まで知らなかったのですが、宗教画や肖像画の名手としてヴェネツィアで活躍したドメニコは、天正遣欧使節の伊東マンショの肖像を描いています。東京国立博物館で「黄金のアフガニスタン」を観た帰り、本館で観ることができました。若桑みどり氏の『クワトロ・ラガッツィ』に詳細に述べられている少年の肖像を目の当たりにして、深い感慨を覚えました。今年、二度も訪ねた大分が使節を派遣した三大名の一人である大友宗麟の領地であったことも不思議なご縁です。4人の少年使節は1585年にローマで大歓迎を受けたのち、北イタリア諸国を歴訪します。ヴェネツィアを訪問した際、元老院がドメニコの父のヤコポに使節の肖像を発注し、ヤコポは大きな集団肖像画として制作を始めますが、1594年に亡くなったあと、ドメニコが当初の絵を切り詰めて単独の肖像画として完成させたのではないかと言われています。それから400年の時を経て発見された絵が7月10日まで公開されていると知って、立ち寄りました。

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 本題に戻ります。この展覧会の最大の呼び物は、サン・サルヴァドール教会の測廊に晩年のティチアーノが描いた410㎝の大作『受胎告知』です。よくもまあ、気前よく貸してくださったものですね。

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 最後に気になった作品がヴェロネーゼの「レパントの海戦」。1571年にオスマン・トルコ帝国海軍と、教皇・スペイン・ヴェネツィアの連合海軍が争って、ヨーロッパ側が勝利した海戦はよく知られていますが、ベネツィアをペストから救ったと信じられた聖母を各都市の守護聖人たちが取り囲み、ひしめき合うガレー船団のトルコ側には黒雲が立ち込めるというEU万歳みたいな表現は、なんとも皮肉です。

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 地下のカフェテリアでランチをいただき、午後は「スポットライト」を観たのですが、5月に完成した私鉄では最長という45mの下北沢駅のエスカレーターは恐怖でした。次回は全力でこれを利用しない方法を考えます。

黄金のアフガニスタン

 6月19日で終わってしまうので、体調はあまりよくなかったのですが、上野に行ってきました。せっかく来たからとあれこれ欲張ったので、奥入瀬渓流を10キロ以上歩くよりも遥かに疲れました。

 雨が降らないうちにと最初に足を運んだのは昨年拝観した奈良の十輪院の校倉造りの宝蔵です。どういういきさつで移設されたのかわかりませんが、あの境内にはすでにスペースがないように思えました。図らずも文化財の保存について考えさせられる1日でした。鎌倉時代に造られた一間四方の小さな校倉は、『大般若経』が納められていた経蔵で、 校倉の四方の腰には『大般若経』を読踊する人を守護する護法神の十六善神を線彫りで表す石がはめられています。柵で隔たれているので、つぶさに見ることはできません。

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 さて、ここへ来た最大の目的に向かいましょう。終了間際ですから、かなり混雑しています。考古館とも呼ばれて考古遺物が陳列されていたころに何度か行っていますが、久々の入館でした。

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 最初に映像で、カブールの博物館に収蔵されていた遺物の苦難の歴史が語られます。侵略・戦乱から文化財を守った館員の奮闘は称賛されるべきでしょう。

 1336点の文化財は地域と時代を異にする四つの章にまとめられています。第1章は紀元前2100年から2000年の「テペ・フロール」。テペとはペルシャ語で「丘」あるいは「塚」を意味し、アラビア語ではテルになるそうです。この遺跡からはメソポタミア文明とインダス文明をつなぐ遺物が出土しています。

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 脚部が失われた黄金の「幾何学文脚付杯」です。

 第2章はタジキスタンとの国境付近の「アイ・ハヌム」からの出土品が展示されています。紀元前145年以後という年代観の遺物が中心で、アレクサンドロス大王の東征によって生まれたギリシャ都市という性格から、ヘレニズム文化そのものです。教科書には必ず登場するイッソスの戦いで長槍を振るうペルシャ軍と対峙する大きな目をした大王の姿がパネルになっていました。やはりいちばん目をひくのは、「キュベーレ女神円盤」です。Pho_g04

 銀の円盤に鍍金で描かれているのは、上部のギリシャの太陽神・ヘリオス、左側の車上のアナトリア(現トルコ)起源の大地の女神・キュベーレと有翼のギリシャ神話の勝利の女神・ニケ、二頭の獅子が曳くペルシャの戦車、三日月と星です。右側の台に乗った西アジア風の神官は銀の浮彫ですから、黒ずんでいます。こうしたさまざまな文化要素がそれぞれの位置を保っているのは、あとで行ったバーミヤンの壁画の復元と合わせて興味深いことでした。

 この展覧会で最も耳目を集めたのは第3章の「ティリア・テペ」の金ぴか遺物です。5人の女性と1人の男性の墓から出土した夥しい金製品の中でも20歳前後と思われる女性が身に着けていた金冠の展示は、いくつかの歩揺を揺らす工夫まで凝らされていて、見事です。

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 実物を見るまでは新羅の金冠との関連を考えていましたが、6本の樹木が「出」あるいは「山」の形ではないことなどから、異なる経路で伝播したのだと思います。被葬者が誰かと話題を呼んでいる藤ノ木古墳出土の金銅製の冠の写真が並べてありましたが、確かに、こちらのほうがよく似ています。

 目を奪う大量の金製品とともに葬られた女性の被葬者は、最年長で推定40代です。20代の女性もいて、その若さは何を物語るのでしょうか。男王と王妃や側室たちなのか、歴代の巫女王なのか。藤ノ木古墳の2人の被葬者が誰であれ、悲運に斃れた王族であることは間違いないと思いますし、『金枝篇』も合わせて、いろいろなストーリーを考えてしまいました。

 第4章は、シルクロードの秘宝が集まったクシャーン朝の夏の都ベグラムに遺された豪華なお宝です。二つの部屋は出入り口がレンガで厳重に封印じられていたため、1世紀の遺物を見ることができます。ローマやエジプトなど地中海世界のガラス・青銅・石膏製品、インドの象牙製品、中国の石器など、数多くの文化財から、あえて1点、「把手付鉢」を選びました。発見当初、豪華な出土品に驚いた考古学者たちは、この遺跡は王族の邸宅跡だろうと推定ましたが、現在では、シルクロード経由でアジア各地や地元の有力者に売り込むための高級品を保管した倉庫だったと考えられています。

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  ガラスだと思ったら水晶でした。その薄さに驚きます。人の多さにはうんざりしましたが、来た甲斐のある展覧会でした。展示の手法も非常に優れていて、イメージをふくらますことができました。いまも見ている間に沸いてきた疑問や関心にとらわれています。

 遅めの昼食をとって、本館に向かいましたが、この話題は別のところで取り上げます。

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 重い足をなだめて向かったのは、これも6月19日までの東京藝術大学アフガニスタン特別企画展です。1階は、「文化財難民」として保護してきたアフガニスタンから流出した102点の文化財を返還するにあたって企画された展示です。

 2階は2001年に爆破されたバーミヤンの二つの大仏の一つである東大仏仏龕の天井壁画をデジタル撮影技術や3Dの印刷技術を融合させてつくりあげた文化財複製が展示されています。復元に当たられた方の解説で、貴重な知識を得ることができました。

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↑の2枚の写真は、借り物です。十数枚のパネルを組み立て、陳列室の奥の壁にはバーミヤンの映像がスライドショーのように映し出されます。私が行った日は、もっと人が多くてギュウギュウ詰めでした。ドーム形の天井壁画は、いつの日かカブールの博物館で展示されることを願って、いまは解体されて倉庫に入っているようです。

 天井には4頭の有翼の白馬が曳く馬車に乗って天空を駆ける太陽神が描かれています。太陽神は丸首で筒袖という遊牧民の服装です。足元には有翼の一対の女神が描かれ、画面の上端には一対の風神が描かれています。両脇には男女の像が並んでいますが、おそらく寄進した人々だろうということでした。

 アフガニスタンは「文明の十字路」と呼ばれるように、いまはイスラムの信仰が篤い国ですが、かつてはペルシャやヘレニズムの文化が栄え、仏教も信仰されました。異なった文化を排除するのではなくて、融合して独自の文化を築いてきたのに、今世紀になって、偏った価値観で破壊されたのは残念でなりません。バーミヤンの村人は、イスラムの教えを信じながら、二体の大仏を「お父さん」「お母さん」と呼んで、大切にしてこられたと聞いて、その思いはますますつのります。

生誕300年記念 若冲展

 東京都美術館のTwittereによると、本日(5月11日)10時30分の入室待ち時間は200分だそうです。日本人って、そんなに若冲が好きなんでしょうか!? 3時間以上も並ぶ体力はないので、諦めるところですが、とても有難いことに5月9日の特別鑑賞日の抽選に当たりました。東京都美術館は、毎回、会期中に1日だけ休館日に身障者に機会を与えてくださいます。あらかじめネットで申し込んで、400人を超えた場合は抽選になりますが、これまで外れたことがありません。あらゆる籤運が悪いのに、これだけは例外です。希望者殺到を見越して、今回は午前と午後に分けて募集され、当たったのは午後の部でした。

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 若冲の存在を知ったのは、それほど古いことではありません。辻惟雄氏の『奇想の系譜』で初めて知ったというお粗末さです。海外に行かなくなって、やっと日本の美術に関心がわいてきましたが、系統だった知識もなく、あれこれと見て歩いているだけです。

 LB階は、まず慈照寺所蔵の「牡丹・百合図』から始まり、細見美術館や岡田美術館、承天閣美術館などで拝見した作品に再会して、懐かしい! って感じです。すごく見入ってしまったのは、京都国立博物館蔵の「乗興舟」。明和4年の春、若冲は大典和尚とともに伏見から天満橋まで三十石船で淀川の風景を楽しみ、紙本拓版を残します。11mにも及ぶモノクロの絵巻は、かつて淀川に近い枚方に住んでいたこともあって、感慨もひとしおです。

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 淀には競馬場ができて、子どもたちは遠足で見学に行きました。若冲は絢爛たる色彩と驚くべき細緻な描写で称えられますが、鳥が苦手なこともあって、幻想的な夜景を描いた絵のほうが好きです。八幡や鳥飼の情景もあって、幼かった子どもたちと暮らした昔を思い出して、胸が熱くなりました。

 鳥は苦手と言ったばかりですが、1階の弧を描いた広いスペースに並んだ「釈迦三尊像」と「動植綵絵」は圧巻です。狂気すら感じて、言葉もありません。限られた人数でゆっくり鑑賞できる幸せに感謝しました。

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 30点の「動植綵絵」から極めて個人的な思いで、記念に1点だけUPします。

 2階にあがると目に飛び込んだのは「百犬図」。途中までしか数えていませんが、本当に百頭いそうです。愛くるしい子犬ばかり。「百猫図」も書いてほしかったな。

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 予備知識ゼロで出かけたので、西福寺の襖絵が来ているとは知りませんでした。阪急電鉄宝塚線の服部駅から15分の西福寺の近くに枚方に引っ越す前に短期間住んでいたのに、見る機会はありませんでした。1年に1日、11月3日だけ公開、雨なら中止といいますから、かなり難易度は高いと思っていたので、心の中でガッツポーズ。当時としては珍しいサボテンが描かれています。

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 火災で京都の家を失った若冲は、大坂の薬種問屋吉野五運の力添えでほぼ1年西福寺で暮らしたそうです。老境の若冲の描く鶏は、どこか優しくて、素直に見ることができました。金色の襖の裏は水墨で蓮の生涯が描かれ、これもいいなと思いました。こちらは襖から外され4幅の掛け軸になっています。

 最後は「米国収集家が愛した若冲」というコーナーで、大半がエツコ&ジョー・プライスコレクションです。仙台で見た大作とも再会。ロビーにプライス夫妻がいらして、一緒に写真を撮りたい人々に囲まれて、にこやかでした。

 もうこんなに恵まれた鑑賞はありえないだろうと思って、長い時間を過ごし、くたくたになりましたが、普段は9台のレジをフル稼働しても1時間待ちというショップを開けてくださっていたので、買いたくなります。「鳥獣花木図屏風」の象と升目をデザインした伏見のお酒や手拭や絵葉書など、ホクホクしながら持って帰りました。

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 隣家が解体されて、キッチンの日当たりが良すぎるので、買ってきた手拭を日よけにして悦に入っています。

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 今日(5月14日)の午前に入室240分待ちというコメントがでました。

 

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