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「スポットライト」

 暑すぎて、何もかも怠けています。時系列がメチャクチャですが、まず一昨日観た映画から。2002年に大きな話題を呼んだ実話に基づくお話です。ボストンの新聞社に新しく赴任したユダヤ人の局長が「スポットライト」というページを担当する5人のメンバーに指示して、カトリックの神父による児童の性的虐待とカトリック教会がその事実を知りながら組織的に隠ぺいしていたことを赤裸々に掲載するにいたる経過を描いています。

 私は宗教にはほとんど無縁の人間です。アメリカのこともよく知りません。ですから、いろいろ勉強になりました。ボストンという人口60万の都市で発行されている「ボストン・グローブ」の読者の53%がカトリックの信者で、教会の権威が極めて高い。市民は「よそ者」に対して閉鎖的。人格的に未熟なまま禁欲を強いられる神父たちの6%が貧しく家庭的に問題のあるローティーンの子どもを欲望の対象とし、被害者に生涯消えない傷を与えた、等々。ええーっ、ということばかりです。

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 「スポットライト」担当記者たち。右端は敏腕なデスク。その隣がユダヤ系の新任編集局長。腕を交差させているのがポルトガルにルーツを持つ熱血記者。被害者を取材する女性記者。記者たちはさまざまな障壁を少しずつ崩していきました。ボストンだけで加害者が87名にのぼることを突き止め、ついに輪転機がスクープを刷り上げ、新聞の束が配送されていきます。夜が明けて、出勤してきたデスクは、受付の女性から部下の二人を応援に出したと告げられ、自席に急ぎます。すでに出勤してきた記者たちが鳴り続ける電話に全力で応対しながら、デスクに、ほとんどが被害者からだと報告するところで映画はストンと終わります。その後の状況が字幕で示されたあと、被害者を出した都市の名と国名が延々と映し出され、あまりの多さに追いきれませんでした。

 この映画はカトリック教会そのものを批判しているわけではないと思います。少し前に観た「木靴の樹」に出てきたカルロ神父のような聖職者は21世紀になっても必ずいるはずです。貧しい家庭の子どもに深い傷を負わせる者がいることを知りながら示談で済ませた枢機卿や裁判官、その他、影響の大きさを慮って、秘匿し続けた人々を許せない正義感とスクープに対する熱い気持ちが伝わってくる映画でした。

 日本のジャーナリストも曇りのない目で真実を追いかけてほしいものです。だらだらと書いているうつに、暑い日から一転、肌寒い日を迎えています。

 

映画「木靴の樹」

 予約や約束は心身を縛るようで、気おくれがしますが、ふらっと行ける映画館は有難い存在です。19世紀末のベルガモが舞台になっているらしい、という浅い予備知識だけで、イタリア語の響きが聞けるかなと思って下高井戸シネマに出かけました。

 3時間を超す長い映画でしたが、行ってよかった! 1978年製作のイタリア映画で、原作・監督はエルマンノ・オルミ です。農場の一角の共同住宅に身を寄せ合う4組の家族の暮らしが季節の移り変わりを追いながら描かれています。俳優ではなくて、農民が演じ、蝋燭やランプが一部で使われる以外は自然光のみの画面は、決して華やかでもドラマチックでもありません。教会に描かれた農事暦のように、農民たちは、耕し、種を播き、収穫し、家畜を屠殺します。収穫の3分の2は地主に納め、住居や家畜、農具は地主から貸与される厳しい暮らしをしながら、嘆いたり、恨んだりする言葉はほとんど出てきません。

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 農民が栽培している主な作物はトウモロコシです。ちょっと意外な気がしましたが、ミラノでポレンタをいただいたのを思い出して、納得です。

 バティスティ家のミネクの利発さを神父ドン・カルロは神の恵みと信じ、両親を説得して片道6キロの小学校に通わせます。一家に2人目の子どもが生まれた日、ミネクは下校時に階段で転び、木靴を壊してしまいます。ミネクの父は水路に沿って生えているポプラの樹を密かに伐って、深夜に木靴を作りました。それが地主に見つかり、追放されたバティスティ一家は、わずかな家財を荷馬車に積み、村を去っていきます。どう考えても絶望的な結末ですが、見て見ぬふりで息をひそめていた他の3家族の人々が、わらわらと屋外に出て来て、遠ざかっていく荷馬車に提げられたランタンの灯りを見送り、バッハのオルガン曲が流れるフィナーレは、心を打つものでした。音楽に詳しい方の解説によると、延々と流れる曲は、<片足は墓穴にありて我は立つ>(カンタータNo.156だそうです。

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 ルンク家は、夫に先立たれたルンク夫人が、6人の子どもと舅のアンセルミを洗濯の仕事で支えています。2人の娘が町から一輪車で洗濯物を運び、15歳の長男は水車小屋で仕事をみつけ、アンセルミは、トマトを他の農家より2週間早く出荷できる工夫を凝らします。川で洗濯をしているルンクに話しかけた神父は、ミサに出席しないことを叱りにきたのではなくて、一家の窮状を見かねて、下の二人の子どもを施設に預けてはと勧めにきたのでした、夜、母親から相談を受けた長男は、「僕が昼も夜も働くから、みんなで一緒に暮らそう」とキッパリ。この一家については、獣医も見放した馬に、小さな礼拝堂でキリスト像に一心不乱に祈り、礼拝堂の脇を流れる小川から組んできた水を飲ませたら、見事に治ったという出来すぎのお話も加わります。

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 ブレナ家の美しい娘マッダレーナは、製糸工場で働いています(紡績工場と書いた解説がありましたが、違います)。ある日、同じ工場に勤める青年ステーファノが、彼女のあとに付いてきて、二言、三言、言葉を交わします。農場の集まりの中で、寡黙な青年が送る眼差しがマッダレーナの心を動かしたのでしょう。異例の早朝の結婚式のあと、二人は船着き場まで素朴な荷馬車で行って、船で1時間半かけてミラノに向かいます。船旅の場面は、この映画の中でいちばん明るく、言葉にならないほど美しく、教会の鐘を聞くと、持参のもので食事をとる乗客の会話がほのぼのとしています。着いた街は、官憲に捕らえられ数珠つなぎになった労働者や警戒に当たる騎馬隊で騒然としていますが、マッダレーナの母の姉が院長を務める修道院で暖かくもてなされます。修道院で一泊した翌朝、院長は1歳の男の子を抱いて現れ、この子を引き取ってくれと言うので、えっと思いました。詳しいいきさつは語られませんが、何か訳のある子どもで、支度金と立派な衣服、15歳になるまでは養育費が支給されるので、貧しい新婚夫婦にとっても、捨てられた幼子にも幸せな途なのかもしれません。

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 フィナールはいつも息子と大喧嘩をしています。収穫物に石ころを混ぜて、目方をごまかしたり、聖母祭の人込みで拾った金貨を馬の蹄鉄に隠したり、近ごろ流行りの「SEKOI」がピッタリの人物です。その金貨がなくなって、馬に八つ当たりしたら反撃されてが死にそうになって、呼ばれたのは祈祷師でした。19世紀末でも農村では民間医療が主流だったようです。

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 寒い冬の夜は、農場の人々は家畜小屋に集まって暖をとります。時代は遥か昔ですが、三内丸山遺跡の大型建物は、冬になると住民が集まって寒さをしのいだという推定が可能だという解説を思い出しました。女性は編み物に余念がなく、男性は伝承を話す、絵画のような情景でした。

 地主は大型のラッパの付いた蓄音機で「ドン・ジョヴァンニ」を聴き、地主の息子は豪華なサロンで「トルコ行進曲」を弾いて、美しく装った人々の喝采を浴びますが、格差社会だなどという叫びはなく、淡々と事実が展開するだけです。貧しい暮らしをしていても、物を乞う人には食べ物を渡し、獣医は往診料を取りません。声高に不平を述べず、敬虔な信仰に支えられて生きる人々は、気高く思えました。いまの世の中、これはもう稀有の存在ではないでしょうか。

 神父様の言葉がほんの少し聞き取れただけで、ベルガモ訛りのイタリア語は難しすぎましたし、ロレンツォ・ロットやドニゼッティ、ベルガモ・アルタやオペラハウスとは無援の世界でしたが、ロンバルディアのひんやりした自然も見られ、嬉しい出会いもあって、ほのぼの感に浸って帰途につきました。

映画「黄金のアデーレ」

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 寒いけど、髪をカットするついでに映画を見よう、クリムトの絵が出てくるらしい、という程度で、なんの予備知識もなく、いつもの下高井戸シネマに行きました。娯楽映画としての限界や返還された絵が競売にかけられたことの当否逃避など、いくつかの問題はあるとしても、いろいろな意味で観てよかったと思います。100パーセントかどうかわかりませんが、実話だそうです。

 ① 主役の夫亡きあともブティックを経営しているマリア・アルトマンが魅力的です。82歳から90歳という設定ですが、上手に老いて、お洒落で、あんな服が欲しいと羨ましくなります.。

 ② もう一人の主役の駆け出し弁護士が、この案件を通じて成長していく姿が感動的です。作曲家シェーンベルクの孫でありながら、最初は、ナチスの蛮行を半世紀も前のことではないかと言い放っていたのが、ウィーンのホロコースト記念碑を見た後、洗面所に駆け込んで慟哭し、34年も法廷記者を務めた人に、間違いなく敗訴だと言われた裁判に勝ってしまします。

 ③ 行ったことのないサンフランシスコと何度も行ったウィーンの風景が美しく映し出されます。

 ④ 何よりも、正しく過去と向き合い、非道な行いを指弾するだけではなくて、これからどう生きればいいかを教えられます。

 ⑤ 面白いです。感動します。

 時代は1907年に完成されたアデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像をクリムトが描いている場面から、裁判が終わる2006年まで約100年にわたりますが、マリアの子ども時代、オペラ歌手と結婚したのちアメリカに亡命する時期、1998年から2006年までの三つの時期のウィーンとロサンジェルスが交錯します。

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 冒頭、マリアの伯母アデーレの肖像をアデーレの夫の依頼でクリムトが描いています。油彩と金彩を施したきらびやかな作品はウィーンのマリアの家に飾られていました。アデーレの夫は砂糖産業で財をなし、子供がなかったので、マリア姉妹をわが子のように愛しています。

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 アデーレの肖像に描かれた豪華なチョーカーは、マリアが結婚するとき、伯父からマリアに贈られ、結婚式のパーティでマリアは身に着けて踊ります。アデーレは1925年に43歳で亡くなり、その遺言状がのちに争点になりました。

 やがて恐怖の時代が訪れます。オーストリアを併合したナチスの行進をウィーン市民の多くは熱狂的に歓迎します。最後にウィーンに行ったときに入った美術館の3階で当時の映像を見ましたが、USAと叫び、トランプを支持し、ヘイトスピーチをわめく人々の姿に接すると、過去の恥ずかしい行いと切り捨てるわけにはいきません。

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 マリアはウィーンに両親を残して、夫とともにイギリス経由でアメリカに渡ります。この脱出劇は思わず硬直するほどスリリングでした。マリアの豪華な屋敷の財産を没収され、ナチスが監視しています。アデーレの肖像も持ち去られ、豪華なチョーカーはナチス高官夫人の首に巻かれます。病む父のの薬を買うと言って家を出たマリア夫妻は、監視役の一瞬の隙をついて、裏口から駆け出し、追跡をくぐり抜けて、貴方のお父さんには世話になったと語る人の車で飛行場にたどり着きます。出国審査で、荷物を持っていないことを怪しまれると、「夫はオペラ歌手で、急に代役を務めることになった。指揮はカラヤンよ」と咄嗟に答えて、亡命は成功です。前回、ここで観た「愛と悲しみのボレロ」でも、カラヤンをモデルにした指揮者のアメリカ公演で、チケットは完売したのに、聴衆は2人だけ、ユダヤ人の団体が買い占めていたというエピソードがありましたが、カラヤンって、そういう存在でもあるのですね。

 時は移り、やはりアメリカに渡った姉が亡くなり、引き取った遺品を整理していた82歳のマリアは、ナチスに没収され、戦後はベルヴェデール宮殿の所蔵となったアデーレの肖像を取り戻したいと思い立ち、84歳のとき、友人の息子で作曲家のシェーンベにルグの孫にあたる若い弁護士とともに裁判を始めます。ここまでに登場した主要人物は、すべてユダヤ人です。

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 主要人物の中でユダヤ人でないのは、ウィーンで協力を申し出たジャーナリストのフベルトゥスです。映画の終わりのほうで、15歳のとき、父がナチスの親衛隊だったことを知り、自らの行動で償おうとする心情が語られます。

 オーストリアとアメリカで繰り広げられる返還までの紆余曲折は語りつくせません。アデーレの肖像は、いまはニューヨークの「ノイエ・ギャラリー」で公開されています。マリアは2011年に94歳で亡くなりましたが、弁護士のランドル・シェーンベルクは、ナチスが略奪したユダヤ人の財産の返還案件の専門家として、いまも活躍しています。

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 ウィーンの街で、済んだことをほじくり返すな、と言ってくる市民がいたり、アメリカの法廷で、これを認めたら、日本やフランスが同じことを言いだして、国際問題になると相手方の弁護士が述べたり、その他、もろもろで問題は簡単ではありません。略奪したのはナチスで、アデーレ自身の死後は美術館に寄贈するという遺言があったにもかかわらず、オーストリア政府が最終的に返還に応じたのは驚きです。

 サイモン・カーティス監督の夫人エリザベス・マクガヴァンは、いまNHKで放映中の「ダウントン・アビー」の伯爵夫人を演じています。判事役でこの映画に顔を出して、マリアが、「判事は女性に限るわね」と漏らす場面は思わず笑ってしまいましたが、アメリカから嫁いできて、経済危機をたびたび救う伯爵夫人もユダヤ人だという設定がまもなくわかるはずです。

 教科書に「アイヌから土地を奪った」と書いたら、検定不合格、「アイヌ人に土地を与えた」と書き直して合格、という記事を読んで、開いた口がふさがりません。過去の汚点をなかったことにしたい、という風潮が顕著ないまの日本だからこそ、この映画を見てよかったと思いました。



「ターナー、光に愛を求めて」@下高井戸シネマ

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 昨年はターナーの作品を見る機会が多くて、作者自身にも関心がありましたので、公開を心待ちにしていました。駅から2分の劇場は、いつも空いていて、アクセスにストレスがかかりません。

 冒頭は風車の回るオランダの風景です。イギリスでは息子の帰国を控えて、ターナーの父が絵具を買い求めたりして、準備に余念がありません。理髪店を営んでいて、ウインドウにターナーの絵を飾っていた父は、いまは息子の助手のような存在です。やがて帰ってきたターナーの散髪をする場面は、ほのぼのとしていました。

 この映画は、町も海も丘も、ありえないほど美しく、室内のさりげない雰囲気もいい感じなのですが、登場する人々は、あまり美しくなく、幸せそうには見えません。ターナーの晩年の25年間を描いているので、老いの無残さが迫ってきました。その中で、ターナーの父とた最後の恋人の生き方には安らぎを感じます。

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 ターナー生涯独身でしたが、この映画には3人の女性が登場します。一人は家政婦、もう一人はターナーとの間に二人の子どもをもうけた家政婦の親戚の女性、そして先ほど挙げた最後の恋人です。この女性は、ターナーが何度か泊まった海辺のホテルの女主人で、夫が亡くなったあと、ターナーの愛を受け入れ、ホテルを売って、ロンドンに引っ越してきます。家政婦がポケットの中の住所を書いた紙を頼りに、最後の恋人の家を訪ねてきながら、会わずに帰っていく場面は哀れでした。

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 年老いたターナーが愛した女性と一緒に写真を撮りに行ったりして、2人の子どもにも愛情を持たなかったように見えるターナーの別の一面を知って、少しほっとしました。

 同年代の方々の訃報を目にする機会が増えました。自分の老いといかに向き合うかということを改めて考えさせられましたが、ターナーへの理解が深まったかというと、かえって謎が深まったと言えそうです。「まるでターナーの絵のようだ」という風景の映像美には素直に感動したのは事実です。

 






「イミテーション・ゲーム」@下高井戸lシネマ

 今日は誰とも話さなかったという日が続くと、さすがにこれではいけないと思って、映画を見てきました。アラサーとかアラカンとか、10年単位で区切るのが流行っていますが、そうすると私はアラエイかアラサン、あるいはアラオッタンタ。馬齢を重ねても、なんとまあ、知らないことの多さでしょう、と我ながら嫌になります。年が接近した姉と妹がいたので、幼いころは、家の外で遊んだことはほとんどありません。学校にいくようになると、クラスで浮いた存在になってしまいました。そのためかどうか、人さまと交わることが苦手で、かなり狭い世界で暮らしています。

 「イミテーション・ゲーム」は、エニグマと天才数学者の秘密という副題がついているように、メインテーマは、ナチスの暗号を解読して、戦争を勝利に導いた天才の物語ですが、もう一つは、性的マイノリティーの問題です。このあたりも、まるで不案内で、イギリスでは犯罪として処罰される歴史があったとは全く知りませんでした。

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 この映画では、アラン・チューリングの41年の生涯のなかで、①寄宿学校の生徒のころ、②第二次世界大戦のころ、③ゲイであることで逮捕されるころ、④死を前にした数日間という四つの時期が交錯します。もちろん、ナチスのエニグマ暗号の解読に没頭する③の時期が映画の三分の一ほどを占めますが、私にとっては初めて知ることばかりでした。

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 アラン・チューリングの実像

 ブレッチリー・パークの暗号解読施設で、チャーチルに直訴して、暗号解読者たちのリーダーシップを握ったチューリングは、クロスワードパズルの解読者を集めて、テストをします。6分以内に正解を出した者という難関を突破したのは、場違いな闖入者として追い払われそうなところをチューリングが留めた美女ジョーン・クラークです。ジョーンと婚約したのち破局するのは実話ですが、採用のいきさつは映画を面白くさせる味付けです。

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 暗号解読者たち

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 元祖コンピュータ

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 暗号解読者たちの中で、初めは対立しながら、やがて理解者となるヒュー・アレグサンダーを演じたマシュー・グードがナイスでした。

 数日前、小2で高3レベルの数学の問題をスラスラと解いてしまう天才少年の話題がテレビで報道されていましたが、アラン・チューリングという天才数学者も寄宿学校の生徒のころから数学に秀で、暗号学に興味を持っていました。そういう異色の少年は酷い苛めに遭い、教室の床下に押し込まれて、釘付けにされたりします。ただ一人の理解者である同級生のクリストファーに恋心を抱きますが、告白の手紙を渡そうとしていたとき、友の結核による死を知らされます。この映画がほとんど実話に基づいているなかで、暗号解読装置にクリストファと名付けたのは、脚本家の創作だそうです。

 これからご覧になる方がいらっしゃるといけませんので。詳細は避けますが、2012年のチューリング生誕100年に当たって、業績を顕彰する催しが行われたり、2013年12月24日にエリザベス2世の名で没後恩赦となったりするまでは、あまり知名度が高かったとは言えないようです。暗号解読の結果、1400万人の命を救ったとはいえ、ナチスに知られると設定を変えられて、努力が水泡に帰しますから、最高度の国家機密でした。もし秘密を洩らしたら反逆罪で死刑、というセリフもあります。

 戦後は大学教授を務めていたチューリングは、1952年に性的犯罪者として裁判にかけられ、2年の投獄か薬物による去勢を選ばされます。研究を続けるため、後者を選んだ天才数学者は、薬物治療が終わったのち、1954年に青酸カリに浸したリンゴを食べて死を遂げました。その死についても、自殺説、謀殺説、事故説など、諸説があります。白雪姫の話が好きだったと言われますが、白雪姫に毒リンゴを食べさせるのは継母ですから、自殺ではありません。チューリングの崇拝者であったジョブスが何度も強く否定していても、コンピュータの欠けたリンゴのロゴとの関連も取り沙汰されているようです。

 最後にこの映画を4万9000人のゲイであるがゆえに投獄された人に捧げるというテロップが出るまで、そんな理不尽なことが現代に行われていたとはつゆ知らず、本当に驚いてしまいました。日本の場合、1880年(明治12年)に制定された旧刑法でもゲイであるがゆえに処罰されることはなかったのは、むしろ珍しい例かもしれません。宗教的な問題もからんでいるように思いました。

パリよ、永遠に 「Diplomatie(外交)」

「Diplomatie(外交)」というタイトルが日本版では「パリよ、永遠に」というちょっと気持ちの悪いものになってしまいます。

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 もう長いお付き合いのK子さんに「トニーノ」で」美味しいランチをご馳走になったあと、下高井戸シネマで鑑賞しました。

 澁谷で3月に上映していた映画です。まず、フルトベングラーが指揮するベートーベンの交響曲第七番第二楽章が静かに響くなか、ドイツ軍の攻撃で瓦礫の街になったワルシャワの情景が暗示的に映し出されます。

 1944年8月24日の深夜、パリの超高級ホテル・ル・ムーリスの最上階のスイートルームのバルコニーに立つのは、ドイツ軍パリ市防衛司令官ディートリヒ・フォン・コルティッツ。光を背にして立つとテロリストの標的にされると忠告する従卒の言葉が、切迫しつつある状況を示します。ドイツの敗北を認識せざるを得なかったヒトラーは、パリの爆破を命じ、25日の早朝に決行されることになっていました。ドイツ軍将校とともにやってきたフランス人の建築技師は、パリの地図の上に爆破予定地と爆薬の量を記します。廃兵院の地下では爆破の準備が完了し、あとは司令官の指示を待つのみです。オペラ座やルーブル美術館など著名な建造物を破壊し、橋の爆破でセーヌ川が氾濫して、パリは水浸しになり、数百万の犠牲者が出ることが想定されていました。

http://diplomatie.gaumont.fr/carte_interactive/#

 上記を開いて、地図の赤丸をクリックすると、爆破予定の建造物の名前と当時の写真が出てきます。

 室内の照明が消え、再び灯りがともると、中立国スエーデンのパリ駐在総領事ラウル・ノルドリンクが立っています。二人はフランス人政治犯釈放の交渉で何度も顔を合わせていたので、初対面ではありません。ノルドリンクは19世紀にナポレオン3世が愛人の女優に逢うために作らせた秘密の階段を上ってきたと言いますが、この部分はフィクションだと監督がインタビューで語っていました。

 パリが爆破されなかったのは明白な事実ですから、興味はなぜ司令官は爆破命令を下さなかったのかに集中しますが、この映画における解答は、もとになった舞台劇の原題である「Diplomatie(外交)」です。 ノルドリンクは「パリを破壊してもなんの軍事的利点はない。美しいパリの歴史的遺産を地上から消し去り、罪もない市民を犠牲にすることにあなたの良心は咎めないのか」と迫ります。しかし、司令官は全く聞く耳を持ちません。実は、この間にレジスタンスの勢力の手で廃兵院地下の起爆装置が破壊され、修復に追われる場面がありますから、説得は時間稼ぎでもあったようです。

 ノルドリンクが去ろうとしたとき、司令官は喘息の発作に襲われます。薬のある場所を聞いたノルドリンクが助けるあたりで、二人の心の距離が狭まってきます。ノルドリンクが子どもの年齢を尋ねると、14歳と8歳と4か月。司令官があくまでも命令にこだわるのは、パリに赴任するにあたって、ヒトラーが制定した「親族連座法」が大きくかかわっていました。命令に従わなければ家族が処刑されるというのです。1894年生まれの司令官は、当時50歳だったはずですから、乳児がいるとは!

 最後の決め手は家族の脱出ルートでした。距離、標高、山道か否かを尋ね、成算を問う司令官に、ノルドリンクは「2度成功している。フランス人家族と私の妻。妻はユダヤ人だ」と答えます。司令官がホテルの屋上から無線で下した命令は爆破中止。あくまでもヒトラーの命令を遵守しようとする爆破責任者の額を撃ち抜いたのは、ホテルから連れてこられていたフランス人建築技師だったという、いかにも映画的な展開が用意されていました。

 司令官は群衆の罵声を浴びながら連行され、エンディングでジョセフィン・ベーカーの1930年の曲「二つの愛」が流れます。アフリカ系アメリカ人の母とユダヤ系スペイン人の父を持ち、大戦中はレジスタンス運動に加わったジョセフィン・ベーカーの曲を選んだフォルカー・シュレンドルフ監督の想いがこめられています。昨年、やはり下高井戸シネマで観た「ハンナ・アーレント」のマルガレーテ・フォン・トロッタ監督のご夫君だそうです。

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 写真は上が司令官役のニエル・アレストリュプ 中が総領事役のアンドレ・デュソリエ、下が二人(左総領事・右司令官)の実像です。1955年に再会した時の写真ではないかと思います。

 二人の会話がスリリングで、字幕をに目を凝らしましたが、見終わって、これはどこまでが真実なのかという疑問が猛然とわいてきました。少し調べてみると、この映画も、「パリは燃えているか」(アメリカ・フランス合作映画1966年)も、1000万部売れたというノンフィクション『パリは燃えているか』(ドミニク・ラビエール&ラリー・コリンズ 早川書房)に依拠しているようですので、早速、図書館に予約しました。

 ただし、異論もあります。2007年1月10日にフランスとドイツが共同出資しているテレビ局Arteで放映されたドキュメンタリー番組では、コルティッツは破壊命令を実行するだけの兵器を持っていなかった、自分を降伏後に戦犯として扱うなら破壊命令を実行すると連合国側に警告して、保身を図っていたとされているようですから、上記の本を読んでも疑問は解消されないのではないかという気もします。『勧進帳』の弁慶と富樫は実在の人物ですが、安宅関で火花を散らすやりとりが実話だとは誰も思わないのと同様、この映画の場合も実話は50%ぐらいで、あくまでもドラマとして、二人の駆け引きの演技を楽しんだほうがいいかもしれません。それでもなお、人は説得されうるのか、という疑問は依然として残りました。

 以下は二人の略歴です。

 ディートリヒ・フォン・コルティッツ将軍 1894-1966)・・ドイツ・シレジア地方でプロイセン将校の貴族の家庭に生まれる。ドレスデン幼年学校に学び、第107歩兵連隊に配属されて第一次世界大戦に従軍。任務を終えると少尉に昇進する。第二次世界大戦中は、ポーランドやフランスでの軍事行動、とりわけクリミア半島のセヴァストポリ攻略の際に頭角を現した。1944年7月20日に起きたヒトラーに対する軍事クーデター事件に参加しなかったことが評価されて、パリに送られドイツ駐留軍を指揮に。着任中に、コルティッツはレジスタンスとの間の停戦を交渉し、ルクレール将軍の率いる自由フランス軍に降伏した。イギリスの捕虜収容所に収容された後、1947年に釈放。1950年に、『兵隊の中の兵隊』と題された回想録を出版した。1966年にバーデン=バーデンで死去。

 ラウル・ノルドリンク総領事(1881ー1962)・・パリでスウェーデン人の父とフランス人の母の間に生まれる。リセで学んだあと、父の経営する会社に勤める。並行して外交官としても活動を始め、1926年には領事の仕事も務めていた父の職務を継いで、パリ駐在スウェーデン総領事に就任する。第二次世界大戦ではスウェーデンが中立国であったため、ノルドリンクはドイツ軍と連合軍との間の調停役を務めるようになる。1944年5月には、ストックホルムに赴き、グスタフ国王と調停計画について議論したが、計画の実現には至らなかった。フランスのレジスタンスとコルティッツとの交渉において、ノルドリンクは外交官としての才能を十分に発揮した。3,000人以上の政治犯の釈放を実現し、首都パリの破壊を最低限に食い止めた。1951年に総領事を退任すると、レジオンドヌール勲章グランクロワを授与される。1958年にはパリ市から金のメダルを授けられ名誉市民となる。1962年10月1日にパリで死去。1945年に書かれた回想録は、2002年に『パリを救う。スウェーデン総領事の回想録(1905年~1944年)』」と題されて出版された。

 

ポーランド映画「イーダ」

  ずっと引きこもっていると、それもまた妙に心地よく、このままずるずると埋もれそうな恐怖にかられます。何も予定のない水曜日、一大決心をして、午後3時に家を出ました。行先は下高井戸シネマ。いまの体調では予約不要で、無理だと思えば途中で出られる映画館がいちばんピッタリきます。この映画館はほとんど一週間で終わってしまいますから、何かと制約の多い身では見逃してしまう場合も少なくありません。観たのはポーランド映画の「イーダ」です。

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 モノトーンの画面は静謐で美しく、冒頭の雪の降る修道院の庭に修復を終えたキリスト像を立てる場面から、最後のひたすら歩くイーダを捉えた場面まで引き込まれ続けました。ポーランドは訪ねたこともなく、ほとんど無知の状態です。物語の時代として設定されている1962年は、長男が生まれた年。その後の五十数年で日本もすっかり変貌しましたから、ポーランドはなおさらでしょう。1948年に小スターリンと呼ばれたピェルトがポーランド共産党の第一書記に就任して、スターリン化の時代が続きますが、スターリン死後3年目の1956年、フルシチョフによるスターリン批判の衝撃もあって、ピェルトはモスクワで客死。政敵であったゴムウカによる「雪解けの時代」が訪れました。しかし、60年以後、政権はしだいに保守化していき、その中で修道院で孤児として育った18歳の見習い修道女のアンナはイーダとして生き始めます。

 最終誓願の前に修道院長から叔母が生きているから会いに行くようにと勧められたアンナは訪ねあてた叔母のヴァンダから、思いがけない言葉を聞きます。「あなたはユダヤ人なのよ。本名はイーダ・レベンシュタイン」。一度は別れて、駅の待合室にいたイーダのもとにヴァンダが現れ、二人はイーダの両親が戦時中に住んでいた家を訪ねることになりました。ひっきりなしに煙草を吸い、アルコールに溺れるヴァンダと道の傍らの十字架に祈りを捧げるイーダは、ヴァンダの「私はあばずれ、あなたは聖女」という言葉どおり対称的です。

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  ポーランドにおけるユダヤ人差別の深淵は黒ずんだ辛いものでした。一度は匿いながら、イーダの両親と預かっていたヴァンダの息子の3人を殺害して、彼らの貧しい家を奪ったのは、ごく平凡で小心な農夫のシモン親子です。重い病で病院に入っているシモンに会いにいくヴァンダはスターリン化時代に厳しい刑罰を科した検察官であり、のちに判事を務めた人でもあります。雪解けの時代になり、自らを律しかねているヴァンダのザラザラした心は計り知れません。ポーランドでは、戦後、ユダヤ系の法曹人が過去の罪を激しく糾弾し、やがて、それは冤罪だったと言われ、さらに実は冤罪ではなかったと判明するという事態が起きたことも初めて知りました。

  家畜小屋に入ったイーダの目を射たのは、場違いなステンドグラス。叔母に母のことを尋ねたとき、とても芸術的センスのある人で、制作するステンドグラスが素晴らしかったと言われたイーダが母はここにいたと確信する瞬間です。

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 この映画のもう一人の重要な登場人物が、サキソフォン奏者のリス。ヒッチハイカーとして出会い、イーダとヴァンダが泊まったホテルでライブ演奏をし、自死したヴァンダの葬儀で再会します。

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 修道院に戻ったイーダは、以前のアンナではありません。食事の際に思わず笑ってしまったり、最終誓願の決心がつかなくて、涙を流したり・・・。両手を伸ばして十字架の形で床に伏すシーンは「尼僧の恋」という映画でも見ましたし、ヴェルディのオペラ「運命の力」のある演出でも見ましたが、かなりインパクトがあります。

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 亡くなった叔母の部屋を片付け、遺されたハイヒールを履き、ドレスをまとったイーダは、初めてベールを脱ぎ、叔母の言う美しい赤毛をあらわにして、リスと一夜を共にしますが、翌朝早く寝ているリスを置いて、再びベールをかぶって、立ち去ってしまいます。将来の夢を語るリスに、「それから?」「それから?」と畳みかけるイーダが向かう先は、修道院なのでしょうか。

 この映画は音楽も非常に効果的に使われています。リスたちが演奏するポーランド・ジャズ、ヴァンダが窓から身を躍らす前にヴォリュームをあげたモーツアルトのコンチェルト、ヴァンダの葬儀の場面で流れた「インターナショナル」、そして最後のシーンのバッハ。なんと久しぶりに「インターナショナル」を聴いたことでしょう。

 こんなことも知らなかったのか、と何度も思わされ、いまだにあれはどういう意味だろうと考え続けさせられる映画でした。予告編を観た「シャトーブリアンからの手紙」、どうしようか悩みに悩んでいます。月末に上映される「アルゲリッチ 私こそ、音楽!」は決定ですが。

パガニーニ 愛と狂気のヴァイオリニスト

 小雨の降る肌寒い水曜日に思い切って下高井戸まで出かけました。「パガニーニ 愛と狂気のヴァイオリニスト」は7月に公開された映画ですから、すでに多くの方がご覧になったことと思いますが、ヴァイオリニストのギャレットがタイトルロールを演じて話題になりました。この手の映画は、どこまでが史実かわかりません。幼少期に父に厳しい指導を受け、ヴァイオリニストとなったパガニーニは、劇場でオペラの幕間に演奏していました。当時の平土間には椅子がなく、照明は蝋燭です。誰も聴いてくれなくて、ロバの鳴き声を弾いているパガニーニの才能を見出したウルバーニは、実際はパガニーニの従者だったそうですが、ウルバーニのテーマがシューベルトの「魔王」で、パガニーニが悪魔ならウルバーニはメフィストフェレスの役割を果たします。 

 ドラマとしては面白く、観て損はないのですが、胸が熱くなるとか深く考えさせられるといった類ではありません。たぶん最大の見せ場であろうイギリスデビューの場面も、楽屋の窓から脱走し、さんざん指揮者の気をもませた挙句、ソリストなしで演奏を始めた協奏曲の途中で、劇場の後部入口から登場するなんて、ちょっと嘘っぽいし・・・。黒ずくめの服装を決めて、太鼓を叩きながら、「女たらしの悪魔崇拝者は出ていけ」とホテルや劇場の前で連呼する道徳向上女性同盟の姿は、割烹着にたすき掛けで「パーマネントはやめましょう。贅沢は敵だ」と叫んでいた愛国婦人会を思い出させたり、喉頭がんを患って、吸入をする場面で、カレーラスが主演したスペインの名テノールの伝記映画が脳裏に浮かんだり、それなりに楽しみました。奇行はあっても、どこが狂気なのか・・・。別れた妻との間に生まれた一人息子への愛がほっとさせます。それにしても、司教に葬儀と埋葬を拒否され、一人息子とともに各地を転々とし、没後36年でパルマの墓地に埋葬されたなんて、アイヒマンより酷い扱いですね。

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 帰りに下高井戸駅の改札口から30秒のQBハウスで髪をカット。長く通っていた美容院は予約が必要なうえ、シャンプー台を2往復しなければならないし、いろいろ勧められるのが辛く、カット専門店に目をつけていました。カットだけで65歳以上は1000円というのが有難い! 店外のシグナルで待ち時間がわかる仕組みですが、0分を示す緑が点灯していたので、躊躇なく入りました。前のお店は5400円でしたから、5分の1以下。身体にもお財布にも優しいお店です。

 その勢いで、しばらくサボっていた最寄り駅至近の整形外科に行ったら、新しいお薬が出ました。とうとう究極の鎮痛剤のお世話になります。かかりつけの内科の先生は反対されるでしょうね、と思いながら、恐る恐る服用したら、次の日、激しい副作用に見舞われ、水中歩行を中断してタクシーで帰ってきましたが、恐ろしいほど効きます。パガニーニも真っ青な悪魔度です。さあ、どうしましょう。

ブルージャスミン@下高井戸シネマ

 こう暑いと、どこにも行きたくありません。今日はエイヤッとばかりにいくつかの用件を抱えて家を出たら、途中で大きな蓋つきポリバケツに腰掛けた高齢女性がいて、救急隊がストレッチャーを持ってきました。病院に行こうとして、気分が悪くなったと説明する声が聞こえたので、どうやら熱中症にかかられたようです。

 銀行に行って、内科に行って、薬局でお薬をいただいて、せっかく駅前まで来たから、と電車に乗って、映画館に涼みに行くことにしました。「パガニーニ」が観たかったのですが、渋谷駅からの距離を思うと、怯みます。先月、ベロッキオの映画を渋谷まで観にいって、楽をしようとバスに乗ったら、見事に乗り間違えて、迷子になって、へとへとになって、感想を書く気も失せましたから、勝手知ったる下高井戸シネマに決めました。興味があった「エンリコ四世」よりも「ポケットの中の握り拳」のほうがはるかに衝撃的でしたが、渋谷は鬼門かもしれません。

 今日、観たのは「ブルージャスミン」。いきなり飛行機が出てきて、エレガントな女性が隣席の婦人に一方的に話しかけています。、ターンテーブルで回ってきたのは、ルイ・ヴィトンのスーツケースが2個。シャネルの上着にエルメスのバーキン。これぞセレブという感じですが、典型的な空気読めないお方で、「電話番号を」と声をかけたときは、辟易した隣席の婦人の姿はありません。タクシーで着いたのは妹のアパート。ニューヨークでのセレブな暮らしと、サンフランシスコの庶民の暮らしが交錯して、最後に何もかも失うジャスミンと名乗る女性のすっぴんの顔でおしまい。多くの方のご指摘はあとで知りましたが、「欲望という名の電車」を思い出しながら見ていました。もう60年以上も前ですが、大阪の毎日会館で上演される文学座は欠かさず通っていました。「祖国喪失」「紙風船」「ブリタニキュス」「華々しき一族」「ハムレット」「鹿鳴館」「卒塔婆小町」・・・。その中に杉村晴子主演の「欲望という名の電車」もありました。座長のような存在で、岸田今日子や仲谷昇は新人でしたね。

 エリザベス一世を演じたケイト・ブランシェットは、ジャスミン役でアカデミー主演女優賞をもらわれたそうで、非常に存在感がありましたが、後味はあまりよくありません。余裕を持って鑑賞するには、歳をとりすぎたのでしょうか。ジャスミンも「欲望という名の電車」のステラも、セレブの優雅な生活から、一転して夫も財産もなくした転落の人生を経験し、這い上がろうとして挫折し、精神を病んでしまいます。虚言癖のある人というと、話題の女性が思い浮かびますが、今後、どうなるのでしょう。

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 劇場内の情報によると、「大いなる沈黙へ」「パガニーニ」「グレート・ビューティ」など、観たいと思っていた作品が来るようですから、酷暑の街を歩かずに待とうと思います。駅から2分の立地は魅力です。

 メインのパソコンが不具合で、買い替えようと、家電量販店に行ったら、自社製品を売ろうという熱心な販売員のターゲットになって、ほうほうの態で退散し、ネットで注文しました。届くまで、ネット難民が続きます。

 

 グランド・ブタペスト・ホテル

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 映画はあまり観なかったのですが、行動半径が狭くなったのも影響して、少しずつ鑑賞の機会が増えてきています。吉祥寺のバウスシアターが閉館するのは、とても残念です。『ムーンライズ・キングダム 』も同館で観ましたが、初めて知って、すっかり引き込まれてしまったウェス・アンダーソン監督の最新作『グランド・ブタペスト・ホテル』を新宿で観てきました。6月12日まで、10時からの初回以外は席がないかもしれないという情報を得て、あたふたと12日に出かけたら、あらま、京王線が遅れています。駆け込んだときは、もう予告編が終わっていました。お決まりの諸注意のあとで、「エンドロールが終わるまで観てください」という字幕が出たのですが・・・。

 現代、1960年代、1930年代が、それぞれ違うサイズで映し出されるのも初めての経験です。冒頭、細っそりした足と帽子が印象的な少女が一冊の本を手にして、彫像の前に立っています。その本が小説『グランド・ブダペスト・ホテル』で、彫像は作家です。

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 場面は変わって、廃墟のように寂れたホテルで小説家とシャンペンを酌み交わし、波瀾万丈の顛末を語る一人の男性が、コンセルジュのグスタヴを慕い、挙句の果てに19季連続して宿泊していた貴婦人を殺害したと疑われて投獄されたコンセルジュの脱獄を助けるアラブ系のロビーボーイの晩年の姿です。ホテルが建つ架空の国のズブロフスカは消滅して、共産主義の国になっていました。

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 さらにさかのぼって、あこがれのホテルでロビーボーイとして働くゼロの物語が始まります。いまはベルボーイですよね。

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 とてもお洒落で、可愛くて、可笑しくて、怖くて、ミステリアスで、胸が熱くなって、ずしんときます。あまり細かく書いてしまうと、これからご覧になる方の興をそいでしまいますから、観てのお楽しみということにしておきましょう。最後に「シュテファン・ツヴァイクの著作にインスパイアされた」という字幕が出るので、これは知っておいたほうがいいかもしれません。『マリー・アントワネット』や『メアリー・スチュアート』の作者だという知識しかなく、ベルばらブームのころ、教え子に貸してあげたことが記憶にある程度でしたが、映画の構成から、場所や時代設定、伝説のコンシェルジュの人物像にいたるまでツヴァイクが色濃く投影されているようで、是非とも読んでみたいと思っています。監督がインスパイアされた著作のうち、『心の焦燥』はまだ見つけていませんが、自伝的要素のある『昨日の世界』は図書館で借りられそうです。それだけではありません。やはりバウスシアターで伝記映画を観たハンナ・アーレントの『イェルサレムのアイヒマン――悪の陳腐さについての報告』も参考にされているそうですから、一筋縄ではありません。検索したら、この本は貸し出し中でした。

  ポスターのお菓子のお城のようなホテルとは別の世界が繰り広げられるのは、ツヴァイクがウィーンに住んでいたユダヤ人の家系出身であり、1942年に未来を悲観してブラジルで服毒自殺を遂げることの反映でもあります。ロビーボーイを伴って列車に乗っている場面が二度出てきます。一度目はロビーボーイの身元が問題になって、あわやというときにホテルの顧客だった将校が書類を書いてくれますが、二度目は検問する兵士に抵抗したため、コンシェルジュは非業の最期を迎えなければなりません。

 でも、決して深刻な場面ばかりではありません。脱獄したのち、殺し屋に追いかけられる2人をコンシェルジュたちの秘密結社が電話リレーで助けるいきさつなんて、とても面白いです。瀕死の顧客に人工呼吸をしている最中でも、役目を譲って電話を掛けるのですから。ゼロの恋人がパティシエなので、美味しそうなお菓子もたくさん出てきますし、貴婦人の遺産をめぐって、とんでもない殺人事件が次々と起こるし、娯楽大作でもあります。

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 100分はあっという間でした。残念だったのは、エンドロールが始まると、ぞろぞろと帰る方の多いこと。画面の端っこにいろいろなデザインのバラライカが次々と現れ、最後は右下にコサックダンスのおじさんが出てきて踊り続ける楽しい映像と音楽が勿体ないです。

 この映画のなかで重要な鍵となる絵があります。ルネッサンス期の貴重な名画だということになっていますが、映画のために制作された幻の名画でした。ブロンズィーノの作品に似ているとおっしゃる方がいて、なるほどです。『少年と林檎』あるいは『林檎をもつ少年』という題もなにやら意味深長ですね。

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 12日までだと思っていたら、13日からも続映されるそうなので、できればまた観たいです。