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『見知らぬ場所』ジュンパ・ラヒリ

 ロマネスク美術のおかげでお近づきをえたykさまは、驚嘆すべき読書家。私など足元にも寄れない濃度と精度で多方面の書籍を読破し、ブログで紹介してくださるありがたい存在です。おそらく全く知らずに通り過ぎたであろうスコットランドの高地からカナダに移り住んだ人々についても関心を持つことができました。

 いま読みつつあるのは、ジュンパ・ラヒリの作品です。『低地』に続いて、最新作の『べつの言葉で』のご紹介があったのですが、まだ図書館には入っていなくて、替わりに旧作を3冊借りてきました。いませっせと蔵書の整理中で、だれも読まない負の遺産は増やしたくないので、図書館が頼りです。登場するのは、ベンガル地方のコルカタからアメリカに渡った一世、二世、さらに三世たち。盛んに出てくるコルカタって、いったいどこと思ったら、カルカッタでした。ラヒリの親の世代にインドから移り住み、ラヒリはロンドンで生まれます。

 googleで検索すると、三番目ぐらいに、「ジュンパ・ラヒリ 美人」という項が出るほど美しい方で、アメリカ人と結婚して二児の母になり、いまはイタリアで暮らしているそうです。

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 『見知らぬ場所』は、第一部5編、第二部3編、合計8篇の短編からなっています。表題となった「見知らぬ場所」は、アメリカ人と結婚して二人目の子どもを身ごもっているルーマのもとに、父から娘夫婦がシアトル郊外に買った新居を見るため一週間ほど滞在したいという電話をがかかってきたというところから始まります。ルーマの母は胆石の手術の麻酔で、誰もが予期しない死を迎え、父は独りで自炊生活をしているので、ある程度は覚悟していますし、夫も同居に異存はないのですが、父の世話を義務として引き受けることには警戒心を持っていました。

 ところがやってきた父は同居などまるで望んでいません。投函を頼まれたルーマには読めないベンガル語で書かれた絵葉書をなどから女性の影がほの見えます。

 最近、一億総活躍とか、聞きづらいスローガンが喧伝されるなか、三世代同居こそ少子化や介護の問題を解消できる妙案のような言い方をされるお偉い方がおられますが、人生で初めての独居を楽しんでいる身としては、余計なお節介以外の何物でもありません。子どもや孫との交流はかけがえのない宝ですし、これまでも必要な場面ではお互いに助け合ってきました。それでいいと思っています。

 ルーマの父は孫息子に慕われ、新居の裏庭を耕し、未来の花園のために精を出して、飄然として去っていきます。

 「地獄/天国」は、総合病院の研究職を務める父と専業主婦の母のもとに育つ娘の目をとおして、「叔父」と呼ばれながら全く血縁関係のない男性に対する母の秘められた思いに気付き、水をグラスに注ぐことすら他人任せだった「叔父」を含めて、アメリカに住む裕福なベンガル人の暮らしを知ることができます。

  ただ、ラヒリの作品に登場するベンガルにルーツをもつ人々は、ほとんどが豊かで知的な人ばかり。それがいけないとは決して言いませんが、トイレを使用できない人が10億人いて、その6割がインド人という報道に接すると、別世界にも思えます。

 短編の名手と言われるだけあって、読者の心を引き込む筆力は大したものです。おもに片道20分ほどのバスの行き帰りや電車の中が読書環境なので、乗り越しそうになったこともたびたびありました。

 第二部の3編は、巧みに話者を入れ替える手法で、ある事情で子ども時代を同じ家で過ごしたことのある男性と女性の30年にわたる別離と邂逅を描いています。最終篇「陸地へ」で、考古学者になってエトルリアの研究をしている女性と報道カメラマンとして紛争地帯を取材している男性がローマで出会います。ある日、ポポロ広場からヴィラ・ジュリア博物館へ足を延ばして、若い夫婦の石棺を見た女性が涙を流したのは、思いがけない結末につながるのかもしれません。二人でエトルリア人の築いた古代都市ヴォルテッラの修道院だったホテルで一週間を過ごすという展開もあって、かつて歩いたことのある場所への個人的な思いが募りました。またイタリアへ行きたい、という思いを、何度も行けて幸せだったではないかと言い聞かせて抑えています。こういうふうにアルカイックスマイルを浮かべて旅立てるといいなと思ったりして・・・。ラヒリの作品には、死の影が潜んでいるものが多いような気がします。

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 あと2冊借りているので、せっせと読まなければ。わが町が出てくるというので、異色の芥川賞作家の作品について、図書館で聞いてみたら、486人待ちですって。順番が回ってくるまで何年もかかりそうだとこぼしたら、すでに購入した友人が「賞に値するかしらね」と言いながら貸してくださったので、忙しくなりました。

『春楡の木陰で』

 さしもの猛暑が去って、息を吹き返したと言いたいところですが、身体じゅう故障だらけ。内科、整形外科、眼科、皮膚科、耳鼻科に通って、国家財政の赤字に貢献しています。待ち時間の徒然に図書室で借りてきた本を読むのが習いとなりました。新刊書の棚にあった『春楡の木陰で』を手に取ったのは、著者の多田富雄氏の『イタリアの旅から  科学者による美術紀行』がいまも愛読書だからです。

 優れた免疫学者であられた多田氏は、鋭い感性の持ち主で、とりわけイタリアに恋して、毎年20日ほどの旅を20年近く続けられたそうです。この紀行書を求めた2000年ごろ、親も亡くなり、孫も成長して、なんの知識もないまま、あっちだ、こっちだと、公共交通機関のみに頼る旅ができるようになりました。『イタリアの旅から』には、あまり情報のない街が数多く紹介されています。たとえば、ポンポーザ、スペロ、ウルビーノ、モンテルキ、リミニ、パエストウム、ビトント、トロイア、カステル・デル・モンテ、レッチェ、トラニ、さらにシチリア島からサルデーニア島など、枚挙にいとまがありませんが、この書で触れられた街は、2,3の例外を除いて、なんとかたどりつき、参考にさせていただきました。

  いまデング熱で大騒ぎですが、敗戦後、デング熱よりも頻繁に耳にしたのはマラリアでした。サルデーニアに行ったとき、現地の方がマラリアの話をされて、マラリアは、イタリア語で悪い空気、その反対がボナーリア、すなわち良い空気だ、スペイン語ではブエノスアイレスよ、と教えてくださいました。多田氏の著書のサルデニアのくだりに、ムッソリーニが土地改良と湿地の埋め立てを行うまで、悪性のマラリアが古代ローマ以来の征服者を苦しめた、にもかかわらず原住民が絶滅しなかったのは、重症の貧血を起こす遺伝性の風土病の患者が多く、その患者は、マラリアに強い抵抗性を示すからだ、と書いてあったのを思い出します。ボッタルガのパスタ、不思議なヌラギ、そしてあまりにも美しいロマネスクのサンティ・トリニタ教会、すべては貴重な思い出になってしまいました。

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 痛ましいことに、私がこの書を手にした翌年(2001)、多田氏は脳梗塞で倒れ、声と右半身の自由を失われました。タイトルに掲げた『春楡の木陰で』は、自死することさえできない、苛烈な闘病生活のなかで綴られたエッセイをまとめたものです。まず1964年、30歳の研究者としてデンバーの研究所で過ごされたころに触れあった方々との交流が語られます。家主の老夫婦、ダウンタウンの酒場に集う豊かではない人々、戦争花嫁として渡米し、辛酸をなめながら中華料理店で働くチエコさん、などとの出会いとつながりにみられる、研究所の同僚や裕福な日本人社会の人たちから、芳しからざる噂がたっても、、まったく意に介さない、筋の通った、豊かな人間性が胸を打ちます。

 一転して、2001年から2010年に逝去されるまでの闘病生活に移りますが、私ごときが、あそこが痛い、ここが辛い、などと言っては罰が当たりそうな、苦闘の連続です。それでもユーモアと暖かな眼差しはなくしておられません。とりわけ高齢者に対する労りの心は涙する思いです。若い日に家主夫人の突然の死に慟哭され、氏が日本に帰られたのちも30年にわたって交流の続いたチエコさんの悲しい最期に動転されるくだりはジンときます。本を返却に行った帰りに目にした、ご近所さんの庭で咲いていたムクゲの花にたとえられた女性でした。能にも造詣の深かった氏の『姥捨』という新作能を鑑賞されたときの感慨も深いものでした。身内を含め、かかわりのあった高齢者への悲しみをたたえた想いは、ありきたりの敬老の集いとは無縁のものです。昨日の「敬老の日」関連の報道でも、老婆と言って憚らないナレーターがいましたし、加齢臭という揶揄の言葉を聞いて、ガッカリしたり・・・。やはり、ひがみっぽいのでしょうか。

 巻末の奥様に捧げられた詩と、奥様が書かれたあとがきは、羨ましくもあります。

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『コリーニ事件』 フェルディナント・フォン・シーラッハ

 これも図書室の新刊書の棚に並んでいました。2014・4・11というスタンプが捺してありますが、最初の読者です。作者のシーラッハは1964年生まれの作家・弁護士で、ナチ党全国青少年最高指導者の孫だということを12歳のとき、教科書に祖父の写真が載っていたので気づきます。シーラッハの初めての長編もその生い立ちが色濃く影響を与えているようです。下記の簡単な内容紹介を読んで、借りてきました。

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 2001年5月、ベルリン。67歳のイタリア人、コリーニが殺人容疑で逮捕された。被害者は大金持ちの実業家で、新米弁護士のライネンは気軽に国選弁護人を買ってでてしまう。だが、コリーニはどうしても殺害動機を話そうとしない。さらにライネンは被害者が少年時代の親友の祖父であることを知り…。公職と私情の狭間で苦悩するライネンと、被害者遺族の依頼で公訴参加代理人になり裁判に臨む辣腕弁護士マッティンガーが、法廷で繰り広げる緊迫の攻防戦。コリーニを凶行に駆りたてた秘めた想い。そして、ドイツで本当にあった驚くべき“法律の落とし穴”とは。刑事事件専門の著名な弁護士が研ぎ澄まされた筆で描く、圧巻の法廷劇。

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 法廷ミステリーかと思いましたが、むしろ歴史小説かもしれません。なぜコリーニは凶行にでたのか。なぜ犯行は2001年なのか。驚くべき法律の落とし穴とは何か。細かく書いてしまうと、これから読まれる方の興味をそぐかもしれないので、迷ってしまいます。200ページ足らずの小説ですし、翻訳が優れているので、1日で読了しましたが、ライネンが犯行動機を突き止める場面は、やはり謎が残ります。現場写真の下に捜査官が書き込んだ凶器の名前がワルサーP38。この方面の知識が全くなくて、最初はなんのことかわかりませんでした。検索して、ナチス陸軍が採用していた軍用拳銃であったことを知って、ライネンが現場写真の拳銃に気付いた翌日、ルードヴィフィスブルクに行って、5日間、滞在し、体重を2キロ減らして、調べ上げるという流れはいちおうわかりました。ルードヴィフィスブルクには連邦文書館分館(ナチ戦犯訴追センター)があるのです。でも、コリーニは拳銃は蚤の市で買ったと供述していますし、これだけで犯行動機の解明にたどりつけるのでしょうか。

 1943年、ジェノヴァ近郊の村に住んでいた9歳のファブリツィオ・コリーニの父はパルチザンに加わって逮捕され、姉はドイツ兵に殺され、家は焼かれました。翌年、父は2人のドイツ兵が殺害されたテロの報復のため、ジェノヴァバ親衛隊大隊指導者ハンス・マイヤーの命令で処刑されます。時は過ぎ、2001年5月、外国人労働者としてダイムラー・ベンツ社で34年間働いてきた67歳のコリーニは、ベルリンの高級ホテルの一室で85歳になるハンス・マイヤーを射殺します。マイヤーは戦時中の犯罪行為を追及されることなく、事業で大成功を収めていました。

 この小説で初めて知ったことはたくさんあります。ドイツの裁判では一般市民から選ばれた参審員が職業的裁判官とともに裁判を行う参審制度が採用されていること、刑事事件の裁判では裁判官、参審員、検察官、弁護士のほかに、公訴参加代理人が被害者遺族の依頼で加わることなど。日本でも被害者参加が少しずつ認められるようですが、ドイツはもっと進んでいますね。加害者側と被害者側の弁護士が法廷で一人の参考人を巡って繰り広げる論戦で浮かび上がってくるのが時効の問題です。

 それが内容紹介に出てくる「驚くべき“法律の落とし穴”」ですが、これに関して実在の人物が登場します。エドゥアルト・ドレーアーは、1937年にナチ党に入党し、38年から45年の終戦までナチ体制下で検事として辣腕を振るいました。 戦後は弁護士になり、1951年に連邦法務省に入り、出世街道を歩みます。1968年10月1日に発布された秩序違反法に関する施行法は、ドレーアーの仕事だそうです。この法律はまったく重要でないと思われ、連邦議会でも一度も議論されませんでしたが、この法律によって、ナチの最高指導部の人間は謀殺犯だが、他の人間は幇助者とされるとともに、幇助者の時効成立期間を15年としたため、罪に問われることはなくなりました。

 ここで小説に戻ります。ハンス・マイヤーはコリーニの告発で1968年から69年にかけて捜査の対象になりますが、事件は時効になったため、訴訟手続きを中止するという通知を受け取ります。それから30年以上たって復讐を遂げる理由も書かれていますが、この部分はちょっと弱いと思います。なぜ68年になって告発したのか、そのあたりはきちんと納得できませんでした。

 最後に加えられた「本書が出版されて数ヶ月後の2012年1月、ドイツ連邦共和国法務大臣は法務省内に『ナチの過去再検討委員会』を設置した』という文章で、作者が指摘したかった問題と、この小説が社会に与えた影響がわかります。

 過去と向き合うことを放棄したいという風潮が強まるいま、話の流れにいくつか疑問点があり、構成にやや無理があるとはいえ、重くのしかかる内容でした。

 ジェノヴァのパルチザンに関する史実としては、以下の共同通信の2002年の報道があります。

 93歳ナチス戦犯に禁固7年 独ハンブルク地裁
 ドイツ北部のハンブルク地方裁判所は5日、第二次世界大戦中にイタリア人捕虜59人を虐殺したとして、同市在住の元ナチス親衛隊将校フリードリヒ・エンゲル被告(93)に禁固7年の判決を言い渡した。
 判決によると、エンゲル被告はイタリア北部ジェノバでナチス親衛隊地区責任者を務めていた1944年5月、同市内でドイツ兵5人が殺害された事件の報復として、刑務所に収容中のイタリア人捕虜59人の殺害を命じた。
 検察側は終身刑を求刑したが、同被告は殺害を命じていないとして無罪を主張していた。戦後の戦犯追及では証拠不十分で訴追されなかったが、新たな目撃証言を基に検察が98年に捜査を再開、起訴した。
 イタリアは開戦時にはドイツ、日本の同盟国だったが43年に連合国側に降伏、44年当時は駐留ドイツ軍に対するパルチザン闘争が盛んになっていた。

 

アンのゆりかごー村岡花子の生涯

 

 なるべく口実を作って外出しなければと自分に言い聞かせていますが、出不精になってしまって、家から5分の図書室の本に浸っています。大きな図書館は不便な場所にあるので、コミュニティーセンターの図書室で雑誌を読んだり、あれこれと乱読したり。2週間が期限で5冊まですが、いつも5冊借りてしまって、間際に速読することもたびたびです。

 新刊書のコーナーで見つけたのが、いまNHKの連続ドラマで話題になっている村岡花子のお孫さんが書いた『アンのゆりかご』です。そもそも朝の連続ドラマは、あまり観ていません。素晴らしい、明日も観たいと思えないからです。今回も最初の数回を観て、あまりにも違和感がありすぎて、やめてしまいました。 あれほどの貧農の娘がいくら給費生とはいえ、山梨から東京のお嬢様学校に行けるというのが腑に落ちないし、物語に入り込めません。

 村岡花子は長男を疫痢で亡くしたあと、妹の娘を養女にします。孫として伝記を書いているのはその方のお嬢さんですが、しっかりと客観性を保っておられるのはご立派です。ただ、読み進めると、ドラマとの乖離が激しくて、最初に感じた違和感が自分なりに納得できました。父は静岡出身の茶葉商で、甲府の妻の実家で暮らしたことはありますが、花子が5歳のときに品川に転居していますから、入学時には甲州弁は話せないでしょう。ドラマとはこういうものなんだと割り切ってしまえばいいのですが、台本がしっかり書き込まれていないので、、おかしい、変だ、と思ってしまいます。

 昨日、久しぶりに観たら、柳原燁子(白蓮)がモデルだと思われる女性が登場しました。終生の友となる白蓮と出会ったとき、花子は16歳でしたが、このあたりの描き方も作り話っぽいと思いました。今後、どういう展開になるのか、ドラマもときどきのぞいてみようと思います。原作には、佐佐木信綱、片山廣子(松村みね子)、ガントレット恒子、澤田廉三など有名人が続々と登場しますが、今朝の葡萄酒事件などありえませんから、あまり期待しないことにしましょう。父が8人の子どものほとんどを養子にだしたり、花子が肺を病んだ妻のいる男性と恋をして結婚したり、クリスチャンの家庭でもこういうことがあるのか、と思わせられる辛い話がありますし。

 本当は、こういうことは黙っていたほうがいいのでしょうね。yahooにドラマの感想を書き、星を付ける欄がありますが、星五個組と一個組が入り乱れて、感情的になっているので、怖れをなし、わざわざ不愉快になることはないので、絶対にのぞかないことにしました。嫌なら観なければいいのですから。

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